モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 モノトーン編中6-1

6-1

 

 

深く沈んだ暗いところから、ゆっくりと意識が浮上していく。

楽しかったはずの凍牙との散歩の時間。

突然現れた中学の同級生。

怒りをぶつけてくる、皇龍の誰か。

点と点を繋げていくように記憶が時間軸通りの線となって認識され、徐々に鮮明になっていく。

思い出せば思い出すほど、苛立ちがこみ上げた。まさか西の連中の浅はかな策にまんまとはまってしまうとは。

あいつらに構ってやれる余裕など、今のわたしにあるわけがないというのに。

当然か。こちらの事情など、やつらにとっては考慮すべきことではない。ならばこちらも手段を選ばない。

自分自身も、皇龍も、そしてやつらだって同じこと。邪魔になったものは排除するに限る。

ひとまず今後のためにも、先に西の連中を――。

 

「潰してしまおうか」

「目を覚ました開口一番でそうくるか」

 

ひとりごとをもらしたつもりなのに反応があった。

目を開けると、わたしがいるのは公園の階段ではなく室内だった。

暑さを感じないぐらいに空調が効いる。通りで寝心地がいいはずだ。

間接照明がひとつ灯っただけの薄暗い部屋の中。人の気配に目を向けるとすぐ横に凍牙が立っていた。

 

「ここ、どこ?」

「雨知らずのスタッフルームだ。柳さんに頼んで使わせてもらっている」

 

雨知らず。柳さんの喫茶店か。

前に店の名前を柳さんに教えてもらったが、この店名を知っている人はほとんどいないとか言ってたな。

店頭に掲げられた古い看板は、柳さんの前にここで喫茶店をしていた人のものらしい。

看板の掲示もなしでいいのかと聞くと、役所には雨知らずで届けてあるから問題ないと適当に返されたのは記憶に新しい。

 

「凍牙がここまで運んだの?」

「まあな。助けたのは皇龍の連中だが」

「そう」

 

起き上がろうとしてシーツに右手を付こうとすると、手首に激痛が走った。

体中に軋むような痛みがあったけど、全ての痛覚が右手首に持っていかれたようだ。

悲鳴を上げたくなるのをこらえて、左手を使ってベッドに座る。

 

「……ありがとう」

「痛がるか礼を言うかどっちかにしろ」

 

そう言われたって、なかなか痛みは引きそうにない。

包帯の巻かれた右手首は、かなり強めに固定されていた。

知らなかったとはいえ、これは力を入れてはいけない状態だったのだろう。

 

「この手当ては?」

「皇龍の誰かか、皇龍お抱えの医者だろ」

「あー、治療費とかいるのかなあ」

 

保険証はマンションに置いてあるし、後で請求されるのだろうか。

 

「向こうに払わせておけばいいだろ。それより、お前は右利きじゃなかったか?」

「基本右だけど、左でも文字は書けるし箸は使えるからそこは問題ない」

 

もともと左利きだったのを右利きに矯正した名残で、左手もそこそこ使える。

文字を書くペースの遅い授業などでは、今でも左手でノートを取っていたりするので日常生活に支障はないはずだ。

困るのはカプリスのバイトである。

両手が使えないと不便で使い物にならないだろう。

 

「そういえば、今って何時?」

「深夜3時を過ぎたところだ。柳さんはとっくに家に帰っている」

 

随分寝てしまったな。もともとの寝不足がたたったか。

 

「付き合わせてごめん」

「謝るな。もともと俺があそこで離れたのが原因だ」

「そこに責任を感じる必要なんてないよ。あれを挑発したのはわたしだし、むしろ凍牙が居合わせなくてよかったと思う」

 

あの場に凍牙がいたら、最悪殴り合いの乱闘になっていたかもしれないから。

向こうはそのつもりで人数を揃えて待ち伏せしていたようだし、わたしが手首をひねっただけで済んだのならこれは穏便に終わったのだと考えよう。

 

「聞く耳持たない連中との喧嘩なんて、わたしはお荷物にしかなれないからね」

 

わたしの武器は結局のところ口だけだ。

これは理性を失ったやつに対してはなんの意味も成さない。

無表情で凍牙はわたしを見つめる。

視線を受け止めて、座ったままの状態で頭を下げた。

 

「公園で一夜明かすなんてしたくなかったし、皇龍の拠点でなんかゆっくりできないから。わたしが凍牙に言えるのはありがとうしかないよ。ここまで連れて来てくれたこと、感謝してる」

「お前を付き落としたやつには、落とし前を付けなくていいのか?」

「どうでもいいよ、そんなやつ。わたしが何かしなくても皇龍の上の人がけじめはつけるだろうし」

 

それぐらいは皇龍を一応信用している。

 

「むしろ皇龍に対する借りが作れたと考えれば、感謝すべきところなんじゃないかな。死なない程度に傷つけてくれてありがとうぐらいの皮肉、笑って言えるよ」

 

いつどこで使えるかなんて分からないものだけど、カードとして持っておくには申し分ない。

わたしが加害者に自ら落とし前をつけてチャラにしてしまうには、あまりにももったいなさすぎる。

 

「自分を駒みたいに使おうとしてんじゃねえよ」

 

吐き捨てられた凍牙言葉には、怒気が感じられた。

冷やかながらも、これは本気で怒っている。

そんな姿が、過去の記憶と重なった。とてつもない既視感だ。

ここのところずっとあいつについて考えていたからだろう。でないとこんなにも早く、今凍牙がぶつけてくる感情について納得がいくわけがない。

凍牙が怒る理由を考えるまでもなく肩の力が抜けた。

わたしは今、言ってはいけないことを言ってしまったのだ。

 

――そうだ。

少し昔を思い返すと、わたしは仲間内からも同じようなことで怒られている。

あの時は菜月がもっと自分を大切にしろと、鬼の形相で訴えてきたっけか。

わたし以上に周りにいる人たちのほうが、この体の存在価値を重く見てくれている。

 

――自分で自分をモノみたいにしか見れないなら、俺たちが見ているお前をそのまま、自分の価値だと思いやがれ。

誰がどれだけの情をお前自身に向けているか、人の感情に敏いお前ならそれぐらい簡単に分かるだろう。

 

何年も前にわたしにそう言ったのは、あんただったね――春樹。

 

「ごめん。自己犠牲は一番やってはいけないことだった」

 

高校に入学したころは思い出したくもなかったあいつの言葉が、今ではすんなり振り返れるようになった。

少しは前進している、と思っていいのかな。

 

「……もう少し寝ろ。明日のバイトは強制的に休みだと柳さんが言っていた。静さんにも伝えておくとのことだ。朝にはマンションまで送っていく」

 

そういった凍牙はもう怒ってはいないようだった。

わたしに背を向けて、反対側の壁に付けられた4人掛けのソファに横になる。

 

「や、凍牙まで付き合わなくていいよ。自分の家のほうが休めるだろうし」

「この店の鍵は俺の責任と言い付けられて預かってんだ。それをお前に渡してみろ。無責任行為だなんだあの人に何言われるか分かったもんじゃない」

 

凍牙はだんだん柳さんの使い方とあしらいが上手くなっている気がする。

どうしてわたしの場合だとああも空回ってしまうのだろうか。

 

「余計なことに気を回さないで寝ろ。俺も眠いんだ」

「そうさせていただきます」

 

大人しくベッドに入って寝る体制をとる。

 

「今回作った柳さんへの借りは俺とお前で2等分だからな」

「うん」

 

おいしい話だったので素直に頷いてしまったが、等分なんかしなくてもこれはわたしが全部引き受けるべきじゃないのか。

 

「間違っても俺に押し付けて逃げんなよ」

「……うん。逃げない」

 

仰向けで天井を眺めながら、凍牙に返す。

モノトーンを名乗った春樹たちといい、凍牙もだ。

どうしてわたしの周りにいる大切な人は、こんなにも優しいのだろう。

 

「ありがとう。……おやすみ」

「……ああ。ゆっくり休め」

「………うん」

 

目を閉じても、熱い感情がひっきりなしに込み上げてきて、なかなか眠れそうにない。

沈黙が心地いい。時折聞こえてくる家鳴りに耳を澄ませて、朝が来るのを静に待つ。

凍牙と2人きりのこの空間に、どうしようもなく安心していた。

 

 

続く


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