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モノトーンの黒猫SS 初夢

初夢


  ☆ ☆ ☆



ーー凍牙は温泉とかそういうところ、あまり好きじゃないでしょう?

ーー……もう子供じゃないんだから、お正月だってひとりでも過ごせるわね。

…………じゃあ、お母さんたちはーーまで行ってくるから……。



大晦日の深夜。日付が変わり新年を迎え、それからいつ眠ったのかは定かでない。

まぶた越しに見た光の眩しさに目を覚ますと、付けっぱなしだった照明が静かに部屋を照らしていた。

外気の冷たさを感じつつ、布団を避けてベッドから立ち上がる。

時間は正午過ぎ。

寝すぎて重くなった体をのろのろと動かしドアを開けた。薄暗い廊下を通りリビングに行けば、テーブルの上に置いたままになった昨夜自分が食べたコンビニ弁当の残骸が目に止まった。

顔を洗う前にプラスチックの容器をゴミ箱に落とす。ゴミ袋がわりに使用されているスーパーの袋の擦れる音がやけに大きく響いた。

マンションの一室。

たとえ正月であったとしても、この家は何も変わらない――。




部屋の外から絶えず聞こえてる話し声に、意識が浮上していく。

騒音というほどうるさくもないが、一度耳に入ってしまえば頭が会話の意味を理解しようとしてしまう。無視して再び眠るのは難しいだろう。

ここはアルバイトとして雇われている喫茶店の店の奥にある仮眠室。元は柳さんのくつろぎの場だったみたいだが、今は俺の寝泊まりに使わせてもらっている。

柳さんは喫茶店の業務以外の仕事を容姿なく押し付けてくるような人だが、なんだかんだで俺も結衣と同様に可愛がられているのだろう。

シンプルなシルバーの四角い置き時計は、午後3時を示していた。少しだけ仮眠をとったつもりだったのが、思いの外長く眠ってしまったようだ。

急激な渇きを自覚してソファ横にある小型の冷蔵庫を開く。ペットボトルの水で喉を潤しため息ひとつ、脱力してソファの背もたれに体を預ける。

元旦の早朝、結衣と初日の出を見るためふたりで街を歩き回った後、ここに戻って特にすることもなくうとうとしてしまったのがまずかった。

中途半端な寝方をしたためか、嫌な夢を見た。

「――、嫌な夢、か」

思ったことを口に出し、自嘲気味に笑う。

当時の自分にとって、家に家族がいないあの環境は普通であり、それは嫌悪する事柄などではなかった。

今でも、身内がこの時分にどこぞの行楽地で羽を伸ばしていたとしても、羨ましいとは微塵も思わない。

それでも、過去の夢は不快なものでしかなかった。

部屋の外から聞こえていた話し声が消える。

内容までは聞き取れなかったが、ドアの先にいるのは結衣と、アルバイトの雇い主である柳さんに間違いないだろう。

初日の出を見終えて家に帰ったはずの結衣が再びここにいる事実に多少は驚くも、やることがなく暇だったのだろうという結論に落ち着いた。

ある程度の予測をしつつ部屋を出て喫茶店の厨房に入る。

カウンター席に座り頬杖を付いてふてくされていた結衣が俺に気づいた。

柳さんの姿は、すでに店にない。

「柳さんが、もらったカニで鍋にするから暇してるなら夕方家に来いってさ」

「それはいいが、その柳さんはどこに行ったんだ?」

「知らないよ」

いじけた様子で結衣がカウンターに突っ伏す。

どうやら新年早々遊ばれていたようだ。

「で、行くんだろう」

「……行く。静さんには新年の挨拶したいし、カニに罪はない」

どんな理由だ。

「凍牙は?」

「まあ、特に用事もないからな」

「……よかった」

「何がだ」

「ひとりであの家に挑むのは荷が重すぎる。静さんは優しいけど、こと柳さんに関してだけは味方になってくれないし」

「まあな」

「でもカニは食べたい」

「……柳さんから逃げるという、ひとつの負けを認めたくないだけでは」

「んなわけあるか」

言葉尻に被せるように否定してきたが、つまりはそういうことなのだろう。

柳さんは、結衣の反抗心と闘争心を駆り立てて利用するのがやたらとうまい。

スマホを起動させて時間を確認する。

15時30分。夕方、というには少し早い。

「シャワー浴びて眠気を覚ましてくるから少し待ってろ」

「了解。よく寝てたよね。声かけても全く起きる気配がなかったし」

「……そうだな」

こいつの呼びかけに気づけないほど寝入っていたというのは、少しばかり衝撃だった。

現実の声よりも過去の夢に意識が取られていた事実が、不快なまでに脳裏にまとわりつく。

ーーあれは。

「そうだ。凍牙がシャワーしてる間に駅前で手土産買ってきておくね」

「ああ、頼む」

ショルダーバッグを肩にかけて、結衣が立ち上がる。軽い足取りで店のドアまでたどりついたそいつは、ノブに手をかけたまま数秒間停止した。

「……起こしていいなら、次はもっと本気で起こすけど」

考え込んだ末に首をかしげて結衣はこちらを伺う。

ああ、気を使わせてしまったか。

「好きにすればいい。そもそも俺が寝ているからといって、暖房もつけずに店側で待つことはないんだぞ」

周りがどう言おうが、馴れ初めがどうであれ、仮にも付き合っているのだから。

こいつが仮眠室に断りなく入ってきたとしても、拒絶はない。

俺の言葉の意味を探してきょとんとしていた結衣が、刹那表情を緩めた。

「じゃあ、次からは好きにする」

嬉しそうに笑って、結衣は店を後にする。

店のドアが閉まると、外側から鍵のかかる音がした。

互いの距離感は相変わらず曖昧だ。だが、手探りで測り合うもどかしさも、結衣に限ってはそう嫌なものでもない。

新年早々に誰かの声が聞こえてくるのも、人と話をするのも新鮮だった。

一年の始まりを賑やかに過ごせる今を、自分が楽しんでいることは自覚済みだ。

今を守るためなら、たとえ身内であっても容赦ししない。

結衣が戻る前に支度を終えるべく、俺は簡易のシャワーしつつへと足を進めた。

当然のようにそばにいる存在を、当たり前のものと奢ってはいけない。

俺にとって、あの夢は戒めだ。



END


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