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モノトーンの黒猫SS 冬の霧

冬の霧


朝からたちこめていた霧は昼になっても引く気配を見せず、夕刻を過ぎた辺りからいっそうその濃さを増した。

不鮮明な視界は通り慣れた道を別の世界へと変えてゆく。

いつもは眩しいくらいには照らしつけてくる街灯の光も、今日はとても優しかった

「上ばかり見ていると蹴つまずくぞ」

隣から聞こえた声にむっとなりながらも前を向く。さすがに自分はそこまで間抜けではない、はずだ。

道の反対側では赤い光がぼんやりとだがこちらに主張している。それを確認して、わたしは再び頭上へと目を移した。呆れたように小さく息を吐く隣の気配は気にしない。

白い靄がありふれた日常を遠ざける。

悪いのは視界だけのはずなのに、街を行く人の声や車の音までもが、薄い膜をひとつ隔てた先から聞こえるようだ。

「行くぞ」

そんな中でも不思議と隣にいる凍牙の声はとても鮮明に耳に入った。

先の光は赤から緑へ。凍牙に足並みを合わせるべく、早足で横断歩道を渡る。

車のヘッドライトに照らされた微細な水滴は、ゆっくりと形を変えて揺らめいていた。

道を渡り終えて振り返れば、さっきまでわたしたちのいた駅前のスーパーは霧に隠されおぼろげにしか姿が見えない。

「楽しいか?」

「たまにはいいと思うよ。こういうのも」

この街に来て、ここまで濃い霧に見舞われたのは初めてのことだ。360度どこを見てもいつもと違う景色というのは新鮮だった。

そんなものかと呟いた凍牙は、それ以上何も言ってこなかった。

かさり、と。彼が手に持つスーパーの袋が音を立てた。中身は主に酒のつまみなのだが、これを雇い主のもとに届ければ、凍牙の今日の仕事が終了する。

「柳さん、今日はなんて?」

「むかしの仲間が家に集まるそうだ」

「あれ、昨日もそんなこと言ってなかった?」

「昨日は地元の友人たちとの忘年会だったらしい」

「なんか、明日は久しぶりの同窓会とか言って呑んだくれてそうだね」

「否定はしねえ」

相変わらずの自由人だ。

そして雇い主とはいえ、明らかに仕事とは関係ないパシリを押し付けられているというのに、文句ひとつ言わずに引き受ける凍牙は、とてつもなく心が広い。

霞んだ街。大通りをそれて小道に入る。柳さんの住むマンションはもうすぐだ。

「あとで、公園の電飾見に行くか?」

目的地に着いたとき、唐突に凍牙がそんなことを言って来た。

公園といえば、駅近くの緑地公園のことだろう。この時期は遊歩道周辺の木に伝票が施される。ここら辺では有名なイルミネーションスポットだ。

「え、行く。行きたい」

不意打ちの提案。思いのままに即答すれば、凍牙の口元がかすかに笑んだ。

「だったらさっさと終わらせるか」

タイミングが良いのか悪いのか。マンションのエントランスに踏み込めばエレベーターは一階でとまっていて、呼び出しのボタンが押されるのをを今か今かと待ち構えていた。

心の準備なんてする間もない。

柳さんは、決して悪い人ではない。これまでもたくさんお世話になってきた。

ただ人をからかって遊ぶのか遊ぶのが大好きで、自身の楽しみのためなら周囲の人間を巻き込むこともためらわない、非常に厄介な大人というだけだ。

「わたしここで待ってたらだめかなあ」

「逃げるな。一連托生だろ」

乗り込んだエレベーターが上昇する。

逃げはしないが、これは少しばかり納得がいかない。

「お使いは凍牙の役目であってわたしは関係ないだろ」

「その使いにお前が同行しているのを既に柳さんは知ってんだ。ここで逃げたらそれはそれで、後日あの人のからかいのネタにされるだけなんじゃないか」

「……否定できない」

動きを止めたエレベーターの扉が開く。重い足取りで通路に出た。

藍色を深くした外の暗さに引き寄せられ、なんとなく手すりの向こうを眺めてみる。背伸びをして見た先にあった夜の街は、思っていたより鮮明だった。

霧が引いて、街の明かりが戻りかけている。

「どうした」

「なんでもない。急ごうか」

街が元の姿を取り戻す前に。

「それ、早く届けて公園に行こう」

先を行く凍牙を急かし気味に追い越せば、くつくつと楽しそうな笑い声が耳をかすめた。

「相変わらず、よく分からないところに楽しみを見出すやつだな」

「わたしはあんたの笑いのツボが分からない」

軽口を叩きながらも、ふたりの肩は並ぶ。

「からかわれてもむきになって返すなよ。万年反抗期」

「やな言い方だね。でも時間もないし、努力はする」

深い霧が明けるまで、あと少し。

END


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