モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 本編After「いわれ」12.end

—12

 

 

その後久しぶりに、実家の晩御飯を食べた。

高瀬家次男の愁君も塾から戻ってきて、家族全員で食卓を囲う。

両親に今日は止まっていくかと聞かれたが、明日もバイトがあるからと断った。

住んでいるマンションまでは涼君が送ってくれるそうだ。

両親はそっけない態度のわたしを非難することはなく、少し寂しそうに笑っていた。

またいつでも帰っていらっしゃいねと、涼君の車に乗り込んだわたしに母が優しく言う。

いたたまれなくて俯きつつも、年明けには必ずと返事をした。

車が走り出してししばらくは涼君とわたしの間に会話もなく、ずっとフロントガラスから見える夜空を眺めていた。

母が見せてくれたあの写真が、頭に焼き付いて離れない。

もしも彼らが事故にあうこともなく、わたしと佐智が実の両親のもとで育っていたならば――。

ありもしない未来を想定しても、きっと行き着く先は同じだ。

わたしはわたし。誰に育てられたところで根底にある本質はどうすることもできない。

 

「ほっとしてるんです。これでも。自分の出自が知れてよかったと思ってますし、安心しているのも本当です」

 

交通量の少ないバイパスでスピードを上げる車の中、涼君の顔も見ずに呟く。

 

「ただ、全部分かったからといって、父さんと母さんに対して素直になれるかとなると、また別の問題で……」

 

父と母に思いっきり不安をぶつけて、問題が解決したらこれまで以上に絆が深まる。

感情のままに動ける佐智が、ほんの少し羨ましかった。

 

「わたしは、父と母に人見知りしているんだと思います」

 

これでは両親もわたしに遠慮してしまって、さぞ接しづらいだろうに。

全くもって、可愛げのない子どもだよ。

 

「今はそれでいいだろ」

 

涼君は前方に顔を向けたまま続ける。

 

「どんな事情があったとしても、今日までいろいろなことを隠し続けたのは母さんと親父だ。俺もこのことに何も意見しなかった。何年も結衣に強いた我慢を、全て話したと同時に許されるなんて2人も思っていないはずだ。事実を打ち明ければ全てが円滑にいくなんて考えは、隠している側の都合を押し付けているだけにすぎないだろ」

 

緩やかなカーブを曲がり切って、涼君がわたしと目を合わせた。

 

「親父と母さんは嫌いか?」

「……いいえ」

 

涼君はすぐに顔を前に戻す。

 

「だったら大丈夫だ。焦らなくていいし、自分を責めんな。家族との付き合いなんて、結衣の好きな距離感でいけばいいんだ。世間一般に合わせる必要はないし、周りの目なんて気にすんな」

 

滑るように車線を変更し、前を走っていた車を追い越した。

前方を行く車はなくなり、涼君は再び走行車線を切り替える。

 

「俺が産まれた時、うちはものすごく貧乏だった」

 

日奈守から地名が変わり、街の明かりが徐々に少なくなっていく。

涼君の真剣な横顔に少しの自嘲が混ざる。

 

「親父と母さんは生活のために働きづめになっていて、幼少期に構ってもらった記憶がほとんどない」

 

涼君は懐かしそうに遠くを見つめる。

 

「俺の食事の世話や保育園の送り迎えも、遊び相手も全部、当時高校生だった歩美姉さんがしてくれたんだ」

 

苦笑する涼君が、結衣のお母さんなと着け足した。

 

「母さんの実家近くのアパートに毎日、歩美姉さんが通ってくれたんだ。実家っつっても6畳一間の古い賃貸物件だったらしいがな。母さんとこは母子家庭で、歩美姉さんと母さんは仲が良かった。働いていてほとんど家にいなかったばあちゃんの代わりに、母さんが歩美姉さんの母親代わりを務めていたそうだ」

 

わたしは口を挟むことなく、涼君の話に聞き入った。

 

「経済的に家庭が落ち付いたのは俺が小学校にあがってからだ。そして母さんが愁を身ごもって、今の実家の一軒家に引っ越したんだ」

 

知らなかった産まれる前の事情に、驚きを隠せない。

現在の家庭しか知らないわたしは、父と母にそんな時代があったなんて思ってもみなかった。

 

「そんでまあ、あれだ。愁が産まれて、俺は歩美姉さんのところに家出した」

「……どうしてそうなるんですか?」

 

最後まで聞き手に徹するつもりだったのに、思わず質問してしまった。わたし自身の過去と被る気がするなんて、涼君に失礼だろうか。

涼君は拗ねたように唇をとがらせる。

 

「だって考えてみろ。忙しくて俺には全く構ってくれなかった母さんが愁にかかりっきりで面倒を見ている様子を目の当たりにして、ガキだった俺が怒らないわけがない。俺が産まれた時と愁の時じゃ事情が違うなんざ、今だから理解できる言い訳だ。とにかく俺は母さんを独占する周に嫉妬して、自分を見てくれて優しくしてくれるって知っている歩美姉さんのところに逃げ込んだ」

 

顔を引きつらせながらも、涼君は笑っていた。

 

「今から思えば、結構なお邪魔虫だったと思うぞ、俺は。なんせそのころの歩美姉さんは雅紀さんと結婚したてだったからなあ。それでも歩美姉さんは邪険にすることなく受け入れてくれて、雅紀さんも俺を弟のように可愛がってくれた」

 

最初のうちはな、とこちらに向かって言われて首をかしげる。

 

「それからしばらくして、いつまでたっても歩美姉さんに甘えてばかりで家族から逃げ続ける俺は、雅紀さんに本気で怒られた。あれはまじで怖かった。いつもは穏やかで静かな人だけに、迫力が違った。いや、怒ってる時も静かなのには変わりなかったが……」

 

昔を思い出してか、涼君の顔は若干青ざめていた。

そんな涼君に少しだけ安心する。この人だって、最初から完璧ではなかったんだ。

 

「まあ雅紀さんに怒ってもらったおかげで、俺は改めて親父や母さんと向き合えるようになったんだけどな。愁のことも前より可愛く思えて、そこからは進んで面倒を見るようになっていった。雅紀さんがいたから、俺はあの家に戻ることができたんだ」

 

反対車線を走行していたトラックとすれ違う。

 

「俺にとって、歩美姉さんはもうひとりの母さんだった」

 

遠い目をした涼君が、自嘲気味な笑みを顔がゆがむぐらい深くした。

 

「歩美姉さんが亡くなり結衣と佐智が本格的に高瀬家の子どもになると、母さんは子育てにかかりっきりになった。愁と結衣と佐智の子守りを頑張る母さんの姿を見ていて、どうしようもない罪悪感に襲われたんだ。思春期のガキの、自虐的な考えにすぎないんだけどな。あの時俺は本気で自分の存在を呪った」

 

車はバイパスを降りて一般道に合流するための信号で停車する。

 

「ひょっとして、俺が歩美姉さんと過ごした時間は、本来だったら結衣と佐智に与えられるべき時間だったんじゃないのか――ってな」

 

静かな車内で、涼君はぼんやりと赤信号を眺めていた。

力の抜けた声にと同様、目つきも心なしかおぼろげだ。

信号が青に変わるのと発車までに、常にはないほどの時差があった。

 

「そう考えてしまうとな、母さんが俺を気にかける時間がとことんもったいなく思えたんだ。俺を世話する一分一秒は全て結衣や佐智に与えられるべきだって、自分で結論出して、次第に家にも帰らなくなっていった。それが中学2年から3年にかけてか。だけどな、高校に進学からはひとり暮らしになったおかげで、自分に余裕ができた。帰る場所が他に出来て、家に戻れない自分を責めることがなくなったからだ。実家に住んでいたころよりも親父や母さんとの関係も良好になった」

 

車はやがてよく知った道に出る。

4車線の道路から脇道にそれて、坂道を上っていくとわたしの住むマンションの裏側に到着した。

車のエンジンはそのまま、サイドブレーキを引いた涼君がこちらを向いた。

 

「あの時親父が家から追い出してくれなかったら、おそらく俺は取り返しのつかないぐらいに壊れていただろうな」

 

シートベルトを外そうとした手が止まる。

 

「世間が見たら親父の判断は非情だったとしても、俺はそれで助けられたんだ」

「……そうでしたか」

心なしか、肩の力が抜けた。

 

「ま、家を出たことに少しだけ後悔もしているが……。可愛い妹がいつの間にかお兄ちゃんと呼ばなくなったりとか、年を重ねるごとに他人行儀な敬語で話すようになっていったりは、さすがにちょっとショックだったなあ。もっと愛情注いで甘やかしておけばよかったなんてのは、今だから言えることだろうが」

「……涼君には十分甘やかされましたよ」

「まあ甘やかすのはこれからでもできるからな。目標は『お兄ちゃん』復活だ」

「……よしてください」

 

今更涼君をお兄ちゃんと呼ぶのは、ハードルが高すぎる。

涼君はそこまで本気じゃないのか、楽しそうに笑うだけで呼び方についてはこれ以上何も言ってこなかった。

 

「また来年な。気が向いたらいつでも帰ってこい」

「はい。ありがとうございました」

 

車から降りたわたしに軽く手を振って、涼君はあっさりと去って行った。

涼君の車が見えなくなると、外灯のついた歩道を通ってマンションの表側へと移動する。

そのまま玄関のドアを通り過ぎ、慣れたいつもの下り坂を駅のほうへと歩いた。

特に何かを考えているわけでもなく、望むままに足を動かして前に進む。

 

ただ、会いたかった。

 

事務的な報告になるかもしれないけど、今すぐにでも聞いてほしかったんだ。

信号で立ち止まる時間が惜しい。

はやる気持ちを押さえて、最後は小走りになりつつも柳さんの店に到着した。

合鍵を取り出して店に入り、ドアも開けたまま閉店後の閑散とした店内で立ち尽くす。

凍牙は奥の部屋だろうか。着いただけで安心してしまい、足が前に進まない。

自分の中で張り詰めていた緊張感が消えていく。やっとここまで戻ってこれた。

 

「いつまで突っ立ってんだ」

 

しばらくぼうっとしていると、冷たい口調とともに厨房奥のドアが開いた。

 

「よく来てるって分かったね」

「ドアの開く音ぐらいこっちの部屋にも聞こえている。まずそこを閉めろ。寒い」

 

言われたとおりに店のドアは閉める。

 

「なんてことはなかったよ。わたしの本当の母親は、育ての母さんの妹さんだった。実の両親はわたしが物心つく前に亡くなっていて、だから母と父はわたしを自分の娘として育てた」

 

電気も付けずにゆっくりと歩み寄る凍牙に向かって話し続ける。

暗がりの中、光源は奥の開いたドアから漏れる光だけ。逆光で凍牙の表情が分かり辛い。

 

「言われてしまった。今まで何も言わなかったのは、どうせ自分には親がいないからと、それを理由にして卑屈にならないでほしかっだって。納得はできたよ。確かに父と母はずっと今まで、多分これからもわたしの親でいてくれる」

 

カウンター越しに凍牙と向き合う。暗闇に目が慣れて、表情のない精悍な顔つきがよく見えるようになてきた。

自分に対する悪感情がわき上がり、堪えるために上着の裾を強く握りし閉める。

 

「母さんの言う通りなんだ。わたしがこういう人間なのはきっと、実の親に育てられなかったからじゃない。誰がわたしを育てても、結局わたしはこんなのになっていたと思う」

 

自分の中にある本質。普通とかけ離れた人間性。他人に対する無情さ。

周囲の人間の感情に合わせられない、協調性のなさだって自覚はある。

自覚があって、人と違うと分かっていても、どうすることもできない。これが紛れもないわたしの根幹なのだろう。

 

「わたしがわたしであることに、生まれは原因として当てはまらないんだ。言い訳にするなんてもってのほかで、きっとこの先も、わたしはこんな人間のままで生きていく」

 

一体何の宣言だと心の中で自嘲する。知ってほしいという欲求と裏腹に、報告は無意味だと思う気持ちも確かにあった。

同時にこんなどこかが壊れたような人間、失望したならさっさと見限ってほしいなんて投げやりな感情もあったりする。

勝手に先を想定してあれこれ嫌なほうに考えて、心は泥沼に自分からはまり込む。我ながらなんて面倒なやつなんだと呆れてしまう。

凍牙のため息が聞こえた。それだけで不安になって一気に気分が沈む。

厨房から店の中に出てきた凍牙はわたしの横を通り過ぎた。

後ろに大きな気配を感じていると、錠が回る音がした。凍牙がドアの鍵を閉めたのだ。

 

「不謹慎なことを言うぞ」

 

前置きは怪しいものだった。なのにわたしはほっとしてしまう。

 

「お前が実家から戻ってきた時に、今まで抱えてきたもの全てが片付いていたら、おそらくお前は俺の知らない誰かになっているんだろうと考えていた。これでも安心してんるだ。今夜ここに戻ってきたことも。お前がお前のままだったことにもな」

 

背中合わせの状態で、微かに凍牙の指先がわたしの手に触れる。反射的に体の前にもって行こうとした手は、凍牙の大きな手の平に掴まれた。

 

「逃げんな手フェチ」

「……違う」

 

言いながらも、わたしは凍牙の親指をきつく握りしめる。

ずるい人間だ。

きっとわたしはこんな自分でも凍牙はこうやって受け入れてくれると分かっていたからここに来た。

ああもう。安堵していいはずなのに、自分の汚い部分が見え隠れして辟易してしまうなんて、本当に厄介な性格だ。

 

「改めて実感したけど、どうしようもないぐらいに真っ黒なんだよね。わたしって」

「いいから黙って甘えとけ。思考回路がぶっ飛んで性格がひん曲がっていようが、腹黒だろうがなんだろうが、俺が惹かれたのはそんなお前なんだ」

 

心臓が高鳴る。背中に重みを感じた。

凍牙がもたれる分だけ、わたしも凍牙に体重を預ける。

 

「変わるなよ」

 

後ろから聞こえた低音が耳をくすぐる。

 

「頼むから、俺の知らないところで変わろうとするな」

 

懇願のこもった言葉に、頷いて返す。

背中合わせの状態で、凍牙からはわたしの返事は見えもしないだろう。

何の断りもなく無言で自分の重心を背中に預けても、後ろはびくともしない。

すがるように熱をもったわたしの手は凍牙を離さない。

互いの顔は分からなくても、ただこの距離に凍牙がいてくれるだけでよかった。

変わらないし、変われない。

凍牙がこれでいいといってくれるだけで、自分の一部が好きになれるのだから、わたしも調子がいい人間だ。

 

暗闇の中、目から流れる水滴が床は落ちて音を立てる前に、自由な方の手でぬぐって隠した。

 

 

 

12月30日。

 

わたしと佐智は山間にある霊園に足を運んだ。

人の住む地域から遠く離れた広大な霊園は、山の傾斜を利用していくつもの墓地が階段状に配置されているところだった。

駅からバスを利用してここまで来たが、朝も早い時間とあって人もほとんどいない。

見通しが良く、隣の山が一望できる静かな墓地の一角に、教えられたとおり、彼らの名前を刻んだ墓石を見つけた。

四角く石で囲われた内部には小さな草ひとつ生えておらず、左右に供えられた花は、少し萎れているだけできれいに咲いている。

行き届いた手入れからするに、誰かがここへ頻繁に足を運んでいるのだろう。

気の抜けたように力なく、佐智が墓石の前へと進み出る。

低くしゃがんで持っていた花束を供え、佐智は目の前にそびえる灰色の石を仰ぎ見た。

 

「……お父さん? ……お母さん?」

 

小さな問いかけに、返事などあるはずもなく。

山の斜面を滑るように吹きつける風は冷たいままだ。

凍てつく寒空の下で、わたしも佐智もしばらく動かず、ただ彼らの眠るその場所を見つめ続けていた。

 

 

本編After「いわれ」 END


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