モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 本編After「いわれ」11

—11

 

家の前の道で、母は車の到着を待っていた。玄関の前に、父の姿もあった。

母は泣きそうになるのを必死に我慢して、わたしと佐智に「おかえりなさい」と告げる。

 

「お話をしに来ました」

 

ただいまも言わず、口から出たのはそんな言葉だ。我ながら可愛くない。

母は寂しそうに微笑む。口に力が入っていて、彼女も緊張しているのかと思えれば少しだけ落ち着いた。

玄関に周君の靴はなく、塾に行っているのかと予想する。

気まずくて返事すらできない佐智は、家の中に入ってもうつむいたままだ。

通されたダイニングで6人掛けの長方形のテーブルに、わたしと佐智が隣合って座る。父と母も向かいに腰を落ち着けた。

廊下の壁にもたれかかったままの涼君は、室内に入ってくる気配がなかった。

沈黙が苦しい。陰鬱な空気を変えたのは、父の穏やかな声だった。

 

「ほら、結衣も佐智も困ってしまっている。もういいんじゃないのか?」

 

言われた母は、こわばっていた顔にさらに力を入れて、目をきつく閉じる。

ゆっくりと目を開き、正面にいる佐智と斜め前のわたしを見つめた。

 

「あなたたちは――」

「わたしは、お父さんとお母さんの子どもじゃないの?」

 

緊張をこらえきれなくなった佐智が母の言葉をさえぎる。

 

「本当に、本当なの? どうしてそんなことになったの。お父さんとお母さんが違う人なら、わたしは一体どこの誰なの?」

 

声を震わせる佐智は、目に見えて混乱していた。

吐き出されていく不安は止まらない。怖くて止められないのだろう。

 

「ねえ、どうしてなの? わたしは捨てられたの? お母さんたちは、仕方なくわたしを育ててきたの?」

 

ぬかるみにはまって抜け出せなくなり、想像どんどん悪い方へと繋がっていくはずだ。

自分で言っておいて、顔を青くしながら本日何度目かも分からない涙を流す。

パニック状態の佐智は、目の前の母が静かに首を横に振っているのにすら気付いていない。

 

「本当のことを、教えてください」

 

佐智の言葉が途切れたのを見計らい、両親に告げた。

静かに頷いた母は椅子から立ちあがりダイニングから出ていく。

しばらくして戻ってきた母の両手には、ハードカバーの本が抱えられていた。

授業で使うノートほどの大きさのそれは、淡い水色のベースにレース柄がプリントされている。

厚みのある光沢のページから、母が持って来たものがアルバムなのだと理解した。

机に置いた母は、無言で水色の本をわたしたちに向ける。

開かれた1ページ目。透明のフィルムにとじられた写真を母が示す。

映っていたのは、椅子に腰かけたウェディングドレスを着た女性と、隣にたたずむタキシード姿の男性。結婚式の記念写真だろうか。

写真を見た瞬間、これはは父と母のものなのかと考えた。幸せそうに笑う女性の顔のつくりが母と同じものだったからだ。

だけど男性は父とかけ離れた顔つきをしている。吸い込まれそうな漆黒の瞳と、ワックス後ろに流された同じく黒い髪。

穏やかながらも強い意思を持った瞳でこちらを見つめる彼に、背筋が震えた。

 

「須堂 歩美(すどう あゆみ)――、母さんの妹と、歩美の夫の雅紀(まさき)さん」

 

女性から男性へと母の示す指が移動し、最後はアルバムの両端に添えるように机に手が置かれて停止する。

 

「結衣と佐智を生んだ、お母さんとお父さんよ」

 

愛おしそうに、母は写真を見つめる。過去を振り返ってるのか、寂しげではあるがとても穏やかな笑みだ。

母から再び、机の写真へと視線を移した。

切り取られた過去の一場面に、肩の力が抜けていく。

実際に彼らがここに存在しているわけでもないけれど。彼らがどんな人だったかも知らないというのに。

感情を抑え、強く目を閉じた。

 

やっと会えた――、と。

 

心の底から、思う。

 

 

それなのに。

事実を求める頭に反して、わたしの内側には真っ黒な世界が続いていた。

 

「この人たちは――?」

 

今、どこに。などという質問をするまでもなく、父と母の表情が全てを物語っていた。

写真の人たちはもう、この世にいない。真実にたどり着いたところで、話すことは一生出来ない存在だと。

 

「とても仲の良い夫婦だったわ。大人になってもお転婆がなおらなかった歩美を、穏やかな雅紀さんがいつもフォローしてくれてた。難産の末に結衣が産まれた時は、2人とも本当に幸せそうに喜んでいたわ」

「それが……、どうして」

 

きつく目を閉じた母は、細く息を吐き出す。

そしてゆっくりと目を開いた母の瞳は相変わらず寂しそうに揺れていたが、迷いが消えていた。

 

「雅紀さんは、高速道路を走行中、事故に巻き込まれてそのまま……。結衣が産まれた年の、12月のことよ」

 

体の中に重い石が落ちるような感覚がした。胃が苦しい。息がしにくい。

心配そうに見つめてくる父に軽く頷いて大丈夫だと伝えた。笑って返せる余裕はない。

 

「その時、助手席に乗っていた歩美も大けがを負って、意識不明のまま病院に運ばれたけどなんとか一命は取り留めたわ。病院で雅紀さんの不幸を知った歩美は精神的なショックから体を壊してしまって。体調が戻らなくて、事故からずっと入院し続けていた時に歩美が、雅紀さんとの子ども――佐智を身ごもっていることが分かったの」

 

母の声が震える。佐智は瞬きひとつせず、石のように固まっていた。

 

「お腹の子どもを産むのは、母体にリスクが大きすぎるとお医者様は言ったわ。でもね、歩美は頑として譲らなかった」

 

赤ちゃんは絶対に産むんだって。雅紀さんが残してくれた、大切な宝物だからって。

……先に、雅紀さんに会いに行くのは、お腹の子じゃなくて、わたしだ――って。

机の上で祈るように組まれた母の手に力が入る。

話の続きを言いかけては閉ざす母が、やがて力なく目を伏せ口を開く。

 

「佐智が産まれた一週間後、あの子は息を引き取ったわ」

 

母が話し終えた後、しばらくは誰も動かなかった。

空気は重い。居心地はよくないが、椅子に座った当初よりも自分が冷静であることを自覚した。

ちらりと佐智をうかがえば、顔を青くして母を凝視している。

 

「わたしが……」

 

微かに動いた唇から出た消えそうな声。

血の気が失せた佐智の、自分を責める含みがある言葉に母が首を横に振って違うんだと否定する。

絶望する佐智の感情に母も流されて上手く説明ができそうにない。

 

「どうして今まで、そのことを黙っていたんですか」

 

ここで口を挟まなければ佐智と母が共に泥沼にはまっていくと判断しての質問だった。

他人事のごとく状況を分析できるぐらいには、いつものわたしに戻れている。

まっすぐに見つめると、はっとした母が自分を取り戻して口元を引き締めた。

 

「歩美との約束よ。娘たちに、自分の死をほんの少しでも負い目に感じてほしくないと言った、あの子の最期の願いを、わたしが聞き入れたの。それと――」

 

一呼吸置いた母が決意を固めた強い眼差しを向ける。

 

「わたしは、あなたたちに自分が親のいない子どもだと思いながら育ってほしくなかった。それを理由に何かを諦めたり、悲観的になるようなまねだけは、絶対にさせたくなかったの。わたしとお父さんが、歩美と雅紀さんの分も愛情を注いで、立派に育てて……。2人がたくさんの経験を積んで、いろんなことを学んで、大人になった時に全てを話すつもりだった」

 

一呼吸置いた母がわたしと佐智を交互に見つめ、目に涙を溜めたまま再び口を開く。

 

「あなたたちには、父と母が2人ずついるのよ――と。歩美と雅紀さんは会うことができないけど、2人は今も、きっと、絶対に、あなたたちの幸せを願い続けているって。わたしとお父さんと、歩美と雅紀さん。みんなに愛されていることを、誇りに思ってほしくて……。それが……、こんな……」

 

母が鼻をすするたび、肩が小さく上下する。

言葉を詰まらせた母に、呆然とする佐智が手を伸ばした。

すがるように、佐智の手が机上にある母の手に触れる。

 

「……わたしは、お母さんの子どもでいいの? この家に、いてもいいの? お母さんもお父さんも、どこにも行かない?」

「当り前じゃない! 佐智も結衣もわたしたちの大切な娘なのよ」

 

伸ばされた佐智の手を自らの両手で包み込むように握り、母はきつく目を閉じる。

母の目から、涙がこぼれ落ちた。佐智がもう片方の手を母の手に重ねる。

 

「……ごめんね、ごめんね――」

 

何度のも繰り返される言葉に、佐智は嗚咽を漏らしながら頷き続けた。

母の謝罪と佐智の泣き声は、全てのわだかまりを洗い流すようにしばらく止まる気配がなかった。

不安そうな顔つきでわたしを見つめていた父には、肩をすくめて笑ってみせる。

そんなわたしに父は寂しそうに笑って、隣にいる母に顔を向け目を細めた。

自分の出自の全てを知った。

ずっと知りたかったことが分かった。

安心できた。

 

――――それで?

 

ほっとするより先に、自分の内面に冷たい何かが満ちていく。

隣にいる佐智のように感動して、涙を流せるほど心が動かない。

予想はしていたことだ。静かに笑うしかできない自分の異常さに、心の中で落胆する。

これがわたしだ。どう頑張っても、佐智と同じ反応を取ることはできない。

ほら――、と。

やっぱりこうなるんだと心の中で自分を嗤った。

ほらね。わたしは何も変われない。

 

 

続く


BACK  TOP  NEXT

Loadingこのページに「しおり」をはさむ