モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 本編After「いわれ」10

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  ☆  ☆  ☆

根本的なところで問うぞ。

結衣が父さんと母さんの子どもであろうがなかろうが、そもそもお前が結衣を非難する行為は正しいことだったのか?

勉強ができない結衣を、父さんや母さんがいつ責めたんだ。

広い人付き合いが苦手な結衣を少なくとも俺は、それでもいいと認めていた。

お前がこれまで結衣を邪険にしてきた理由は、高瀬という家とは全く結びつかないものだろう。

自分の正義が由来だからといって、その責任を親父や母さん、ましてや結衣に押し付けて逃げるな。

 

  ☆  ☆  ☆

 

 

 

倉庫の2階にある部屋が、いつもと全く違う雰囲気になっているのは、ひとまず予想通りだ。

菜月と綾音が1階に戻ったのと入れ違いに様子を見に来たが、ソファに座って俯く佐智は完全に刃向う牙を抜かれた状態だった。恐るべし。

 

「菜月が涼君と連絡を取ってくれたよ。午後からの仕事を休んでここまで来てくれるって」

 

佐智は反応を返さない。

 

「菜月、怒ったら怖いだろ」

 

佐智と向かい合うように、ソファに腰掛ける。

 

「一応教えてくけど、菜月はそこら辺にいるどうでもいい他人に対してはそこまではしないよ。怒るのも、説教だってそれなりに気力と体力が必要だし」

「……全部わたしのためだとでも言いたいの」

「違う。あんたの中で菜月ひとりが悪者になるのが嫌なだけ。おせっかいな優しさは、甘やかすこととはまた別物だ」

 

どちらかというと、これは佐智ではなく菜月を思ってのアフターケアだ。

 

「わたしは、あんたに怒らないよ。疲れるだけだから」

 

次に仲間をけなすような物言いをすれば完膚なきまでに言い負かすけど、佐智にわたしたちを分かってもらいたいなんて望みは最初からない。

涼君が気にかけていなければ、きっと日奈守駅の前で見かけた時も迷わず放置していただろうし。

わたしが佐智を慮る気持ちは、その程度にすぎない。

 

「その昔あんたが自分の友達に春樹を紹介してほしいって、わたしに頼んできたのを断ったこと、反省はしている。もっと別の言い方をすればよかったって。でもね、あんたの頼みを断ったこと自体は後悔していない。例え過去に戻れてやり直せたとしても、要求を受け入れる選択はわたしの中で絶対ないよ」

「……ちょっとでも悪いと思っているなら、謝ればいいじゃない」

「反省はしているけど後悔はしてないって言ったろう。許してほしいわけでもないし。だけどあの時、わたしの断り方に非があったことは認める」

 

佐智が顔を上げた。

 

「せっかく菜月が作ってくれた機会を無駄にしたくないから伝えたけど、とりわけあんたに何かを期待しているわけじゃないから」

 

泣きはらした目と一瞬視線が絡み、すぐにそらされる。

 

「な……なによ。まるでわたしのほうが聞き分けのない子どもみたいじゃない」

 

事実あんたのほうが年下だ。

 

「自分が子どもじゃないって言うのなら、人の話もちゃんと聞くべきだろう。帰ったら父さんと母さんにちゃんと向き合いな」

 

びくりと、佐智の体が目に見えて硬直する。

 

「確かにわたしはあの家から逃げたよ。でもね、ここに行き着くまでにそれなりの手順は踏んだ。少なくとも中学卒業までは実家か涼君のところにいたし、父と母を納得させた上での独り暮らしだ。何より金欠なやつがわがまま抜かすな。現実を見ろ」

「だから、あんたんところに泊めてって頼みに行ったのに……」

「甘えるのは甘やかしてくれる人だけにしたらどうだ。あんたの見るわたしはそういうお願いを聞いてくれる人間なのか?」

 

押し黙った佐智をよそに、数年ぶりのまともな会話に少しだけ感動していた。

 

「……話を聞いてって言っても、あんたは涼お兄ちゃんを頼れって言う?」

「まず部屋に泊めろと話を聞けは同レベルの頼み事なのか」

「だって会いに行った時も、何も聞いてくれなかったじゃない!」

「勝手に決めつけるな。だいたいあんたがいつわたしに相談があるなんてことを告げたんだ。言わなければ伝わらないし、あんたに何があったかなんてわたしに知るすべがあると思うか」

 

感極まって泣き出した佐智が太股に置かれた手の爪を立てる。

 

「世の中の人間みんなあんたの意を汲んで動くわけじゃないんだよ。思い通りにならないからっていちいち癇癪起こすな」

 

下唇を噛みしめて鼻をすする佐智は、何度も涙を手でぬぐった。

 

「…………話、聞いて……」

 

蚊の鳴くような声だったけど、ちゃんと届いた。

 

「涼君が来るまではここにいるよ。あと、この部屋使えって言ってくれた春樹たちには感謝しなよ」

 

わたしの背中を押してくれた凍牙。佐智を戒めた菜月――。

仲間がいなければ、わたしは佐智とこうして向き合うことすらできなかっただろうな。

 

 

気まずそうにしながらも、やがて佐智は口を開く。

 

「……馬鹿にしてた。小学校でも問題ばっかり起こすし、わたしより頭悪いし、社交性もないし。そんなのが平気な顔して楽しく生きているのが、ずっと納得いかなくて」

 

誰とは言ってないけど、わたしのことだよな。別にいいけど。

 

「出来そこないだから、本当の親にも捨てられたんだって。わたしとあんたは違うんだって、ずっと、ずっと……」

 

声が震えだした。うろたえるように首を振って、開きかけた唇は何度も閉じられる。

 

「……違うって、思ってた。……けど……」

 

再び泣きだした佐智は、しゃくり上げながらも続ける。

 

「りぃちゃんがね……、わ、わたしも、お父さんとお母さんの……、本当の子じゃないって……!」

 

聞き取りづらかったけど、佐智の言葉はちゃんと耳に入ったはずだ。重要なところは聞き逃していない。

だけど理解するまでに時間がかかった。頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。

冷静になれと自分に言い聞かせても息がつかえて考えがまとまらない。

 

「……まず、りぃちゃんというのはどちら様だ」

「親戚の! お父さんのほうの従姉妹の!」

 

自棄になって叫ぶ佐智の情報を頼りに記憶を掘り起こす。

 

「――ああ」

 

わたしに水をぶっかけた女か。おぼろげにしか覚えてないけど、佐智とは仲が良かった気がする。

 

「この前りぃちゃんと遊んだ時、高校も今の学校をエスカレーターで進学するのかって聞かれて。それまでなんともなかったのに、そうだって言った後から、急におかしくなって。いくらレベルの高い高校に行っても、あんたは涼お兄ちゃんたちと同じにはなれないって。所詮、あんたも高瀬の子どもじゃない――って……」

 

ちょっと待て意味不明すぎる。佐智も混乱していて要点が上手くつかめない。

佐智が父と母の間に生まれた子どもじゃないだと。

それじゃあ、わたしが佐智は母に似ていると感じていたのは錯覚だったとでも言うのか。

でも、現に同じく母似の涼君を、今日木谷さんは佐智の顔から連想させた。

佐智と母で、たまたま顔のつくりが似通っていたなんて、偶然で片付けてもいいことなのか。

 

「そのことを、母さんたちには?」

「……言ってない。……怖くて、聞けない」

 

徐々に声が小さくなっていく佐智の弱気な顔に、いつかの自分が重なる。

わたしは本当にこの家の子どもなのか。

抱いていた疑惑が確信に変わり、わたしの全てが崩れ去るような感覚に襲われたあの時。

最初は何も話してくれない父と母を密かに恨んだ。

揺らいでいく自身の存在を証明しようと、学校で無茶苦茶にあがき続けた。

両親にぶつけることはせず、家の中では聞き分けのいい子どもであり続けたのはわたしのずるさだ。

不安定ながらも保たれている均衡を、自分から壊したくない。

父と母に思いをぶつけたら、もしかするとわたしはこの家にいられなくなるかもしれない。

捨てられたらどうしよう。嫌われたくない。困らせて面倒な子どもだと思われたくない。

今より悪い方へと状況が進むかもしれないなら、我慢して笑っているほうがよっぽどましだ。

所詮は自分本位で臆病だった子どもの出した結論だ。だけど当時のわたしには、それが精一杯の選択だった。

 

「どうしてあの人たちは、今まで教えてくれなかったのよ。ずっと騙されていたなんて……、もう何を信じていいのか分からない」

「そういうことは父さんと母さんに直接言ったらどうだ。そもそもりぃちゃんとやらの話だけを鵜呑みにするのもどうかと思うが」

「わたしだって最初は信じてなかったわよ! ……でも、涼お兄ちゃんは、……否定しなかった」

 

ああ。黙ってはいても、涼君も嘘をついてはぐらかしたりはしないんだな。

 

「涼君も厳しい人だからね」

「そんなひとことで終わらせないでよ。いろいろ聞きたかったのに、全部お父さんとお母さんに聞けの一点張りなのよ」

「傍観者であって当事者ではからじゃないのか。たとえ身内でも人を間に入れると話がこじれやすいし」

「だからって! ていうか、どうしてそんなに余裕なの。他人事じゃないのよ!」

 

いいやわたしだって驚いてるよこれでも。ただあんた違って年季が入ってしまっているだけだ。

 

「じゃあ聞くけど、父さんと母さんがわたしたちの『親』であるのを放棄したことが一度でもあったか?」

 

両親は優しい。母はわたしを心配して泣いてくれるような人だ。

彼らがわたしにどんな真実を隠していたとしても、両親から受ける愛情は本物なのだと信じている。

 

「比較論はあまり好きではないどね。世間には実の子どもを殺す親だって実在している。子どもを自分の道具にしか思ってないやつだっているんだよ」

 

血のつながりは無条件で強いものだけど、絶対ではない。

親の定義は血縁が全てじゃないって、父さんと母さんは何年もかけてわたしに態度で証明してくれていた。

父と母の優しさにいたたまれなくなったことは度々ある。でもね、わたしは父と母に絶望したことは一度もない。

 

「一時の感情に流されて、過去を全部否定するのは早計だとわたしは思うけど」

 

とっくに泣きやんだ佐智が拗ねるたようにそっぽを向く。

敵意や憎悪は感じないけど、わたしの考えをすんなり受け止めるのも癪なのだろう。

それでいい。わたしの正しいと思うことだって全てが正解とは限らないし、疑ってかかって、佐智は佐智の答えを見つければいいんだ。

 

「多分ね、父さんと母さんに本当のことを教えてもらっても、わたしやあんたの生活は何も変わらないと思うよ。根拠はないけど、そんな気はずっと昔からしている」

「……じゃあ、どうしてあんたはお父さんたちに何も聞かないのよ」

 

どうして、か。

 

「何も変われないだろうから、かな」

「は? 意味が分かんない」

 

顔を歪めて佐智が首をかしげる。

意味なんて説明したところで分からないだろうね。

この不安を、あんたが理解できるなんて到底思えない。

 

「でも、もう逃げられないんだろうね、ここまできたら。あんたが家に帰って本当のことを知って、わたしだけが何も知らないままってのも気にくわないし」

「何その腹立つ言い方」

「涼君着いたら、わたしも一緒に実家に行くよ。父さんと母さんも、重要な話は一度で済ませたいだろうし」

「わがままなうえ気使いを自分の口実にしているとしか思えないわ」

 

察しろ。そうでもしないと重い腰が上がらないんだ。

その後はしばらく、両者言葉を交わすことなく時間が過ぎていった。

沈黙が気まずいのか、そわそわして落ち着きのない佐智にため息をつきたくなったのは内緒だ。

ぼうっとして天井を眺めていると、ドアをノックする音がした。

 

「涼さんが着いたぞ」

「ありがとう。今行くよ」

 

外からした凍牙の声に応えて立ち上がる。

佐智は誰が見ても一目瞭然なほどに緊張していた。

 

「わたしも実家に行って、ちょっと両親と話してくるよ」

 

部屋を出て凍牙に言うと、小さな声でそうかと返される。伏せられた目が不安に揺れているように見えたのは気のせいか。

 

「結衣」

 

階段を下る直前、ドアの前に留まっていた凍牙に呼び止められる。

佐智を先に行かせて戻ると、静かに凍牙は口を開いた。

 

「明日仕事を休むようなら静さんに言っておくが」

「それはない。むしろバイトを口実にして今日中にあっちに戻るつもりでいるから。遅くなるかもしれないし先に帰ってはほしいけど、どっちかというと仕事は休めないって方で口裏を合わせてほしい」

 

先に行けと言った佐智はいまだに階段手前で留まっているので、小声で告げる。

 

「正直、今日で何もかもがめでたしめでたしに終わるなんて思っていない」

 

本心を吐き出せば、髪をかき上げた凍牙が小さく息をついた。

 

「今夜は店に泊まるから、吐き出したくなればいつでも来い」

「……そうする」

 

どちらからでもなく触れる程度に拳を突き合わせて、佐智の元へと急ぐ。

 

「あの人、あんたの何なの?」

 

追い越して先に階段を下りていると、後ろから慌てた足音と一緒にそんな質問が来た。

 

「彼氏」

 

簡潔に答えれば、佐智からそれ以上の追及はこなかった。

倉庫の外で、涼君は車から降りてわたしたちの到着を待っていた。

春樹と雑談していた涼君が、こちらに気付いて手を挙げる。

軽く会釈をして車の前で立ち止まった。佐智は臍のあたりでがちがちに緊張している。

 

「ひとまず俺んち行って落ち着くか」

 

見かねた涼君が苦笑しながらも提案したが、これにはわたしが首を横に振る。

 

「いいえ。わたしと佐智を、実家まで送ってください」

 

わたしが同行すると言ったのに、涼君は驚かなかった。

全てを悟ったように深く頷き、春樹に礼を告げて運転席に乗り込む。

佐智を後部座席に押し込んで、春樹たちに振り返る。

 

「いろいろありがとう。そういうことで、わたしもちょっと行ってくるよ」

 

みんなに言って、佐智に続きわたしも後部座席に乗った。

倉庫の中、車から遠く離れたところに凍牙が見える。

視線が絡んだのは数秒だ。言葉もかわせない距離がもどかしく、今すぐにでも駆けだしたい衝動に襲われる。

後で会えるから。今日中に会えるからと自分に言い聞かせ、心を落ち着けた。

車が動く。心臓がうるさい。暖房はかかっていないのに、冬の寒さが全く気にならない。

実家までの道のりは、あっという間だった。

 

 

続く


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