モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 本編After「いわれ」9

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  ☆  ☆  ☆

 

平気な顔で、なんてこともないように結衣は笑う。それは無理して強がっているわけでもない、自然な笑みだった。

倉庫の2階、いつもわたしたちがくつろいでいる部屋の前に行くと、ドアの前で有希君が呆然と立ち尽くしている。

 

「……菜月と一緒にいたのはどこのどいつだ?」

 

どうやら菜月には何の説明もなく部屋を追い出されたみたい。さすがは女王様。

 

「結衣の妹さんですって。下でちょっと菜月を怒らせてしまったの」

 

眉を寄せた有希君は手すりに近付き吹き抜けから1階を見下ろす。

軽く手を振って結衣と凍牙君にあいさつをした後、小さくため息を漏らした。

 

「それで、菜月の長引く説教のために俺は部屋を追い出されたのか」

「そう。わたしはいざとういう時の歯止め役。結衣に仲裁はやり辛いだろうから、わたしがかってでたの」

 

ドアにもたれかかって、部屋の中に聞き耳を立てる。

 

「別に今更年上だからって敬語に切り替えなくていいわよ。日本人らしい気遣いもいらないわ。思ってることは遠慮なく口にしなさいよ。どうせめでたしめでたしで終わることはないだろうし。先に言っておくけど、わたしはあんたのことずっと嫌いだったから」

 

よく通る菜月の声は、ドア越しでも十分に聞き取れる。

妹さんは叫ぶように声を張り上げているので、部屋の中の会話は筒抜けだった。

有希君が隣に立って、わたしと同じく傍聴する体制を取る。

 

「ヒステリックに叫んでいるが、これは止めに入らなくてもいいのか?」

「悪化して暴れまわるようなら仲裁するけど、言葉のぶつけ合いは許容範囲よ」

 

女の喧嘩に男が入るとややこしくなってしまうからわたしがいるけど、そもそも妹さんに味方したいという気持ちは全くない。

 

「わたしも、菜月と同じであの子のことは好きになれないわ」

 

わたしの大切な結衣を目の敵にする子に、好意的な態度なんて取れるはずもない。

 

「結衣の妹とやらが菜月に何を言われてもこれといって同情はしないが、あまりうるさいと洋人が起きるぞ」

 

有希君の心配は違うところにあったみたい。

気の毒そうに隣の仮眠室をうかがうも、ヒロ君が起きてくる気配な今のところなかった。

 

「結衣は、お父さんとお母さんが本当の生みの親じゃないんですって」

 

小さな声で告げれば、有希君は瞠目した。

 

「そのことを妹さんがわたしたちの前で言い放った結果がこれよ」

 

簡潔に説明してドアを指し示せば、有希君は納得して頷いた。

天井を仰いでいた有希君の瞳が、微かに細められる。

 

「……まあ、俺たちがつるんでいるのは結衣自身であって、あいつの家と付き合っているわけではないからな」

「そうね」

 

きっと有希君の言ったことは、わたしだけでなく春樹や菜月、そして凍牙君も思っていることでしょう。

わたしたちが結衣と一緒にいる理由に、家柄や血筋は関係ない。

部屋の中では菜月に圧倒されて、妹さんの声から次第に覇気が消えていく。

 

「うるさいわよ。どうせあんたなんかに、わたしの苦しみなんて分からないわ。わたしに何があったのかも、知らないくせに」

「知らないなんて当り前じゃない。わたしはあんたじゃないんだから」

 

投げやりな妹さんの嘆きさえ、菜月は清々しいほどばっさりと切り捨てる。

 

「まるで自分だけが誰にも分かってもらえず、ひとり苦しんでますって言いたげな顔ね。甘えてんじゃないわよ」

 

 

じゃあ何?

あんたはわたしの悩みを全部把握しているとでもいうの?

あんたから散々嫌味を言われて見下され続けてきた結衣の心情を、自分は理解しているとでも?

それだけ悲観的になるなら、当然全部を知った上で自分だけが分かってもらえないって嘆いているんでしょうね?

 

妹さんから反論はなく、しばらく沈黙が落ちる。

 

「あのね、人は自分以外の他人の心を完全に理解することなんてできないし、それが当り前なの。あんたがどんなに苦しい思いをして、たとえそのことを人に伝えたとしてもよ。言われた側は自らの人生の経験値をもってあんたの苦しみを自分なりに想像することしかできないの」

 

ましてやあんたは苦しんでますアピールをするだけで何も口にしないのに、何に悩んでいるのかなんて分かるわけがないじゃない。

知りたいとも思わないけど、と菜月は付け足した。

 

――人は他人に同情は出来ても、完全な誤差なく同じ感情を分かち合うことはできない。孤独といえばそうかもしれないけど、これについては人間みんな平等だよ。

だからこそ少しでも心の誤差を埋めるため、相手に自分を知ってほしいならなおさら言葉を尽くす必要があるんだと思う。

 

ふと、かつてわたしが結衣に言われた言葉を思い出した。

 

「小学生のころから、結衣は自分の出自について気がついていたのですって。さっき、普通な顔してこのことを笑って話せるまで成長できたと結衣は言っていたけど。つまりそれは昔はご両親のことで悩んだ辛い時期があったってことでしょう?」

 

これは、わたしの主観から来る憶測にすぎないし、結衣はもう過去なんて気にしていないのかもしれない。

でも――。

 

「結衣が大丈夫というのは精神的に強くなったわけじゃなくて、辛いことになれて感情がマヒしてしまったのだったら、それは寂しいことだとわたしは思ってしまったわ」

「そうか?」

有希君が怪訝に眉を寄せる。

 

「結局のところ、綾音の言ったふたつは本質が同じでとらえ方が違うだけじゃないのか。過去の苦しみを背負って生きる人間を前向きに見るか、悲観的に見るか――。過ぎた同情は逆に結衣の気を使わせるぞ」

 

有希君の言い分はすんなりと、頭と心に落ちてゆく。

物事を後ろ向きにとらえがちになるわたしの悪い癖が出ていたのだと気付かされた。

 

「……そうね」

 

指摘されて、自嘲気味に苦笑する。

わたしが勝手に結衣を「かわいそうな子ども」になんてしてはいけない。

 

「あんたがどんなに結衣が憎んでも、わたしにとってあの子は大事な幼なじみで、失いたくない仲間なの。だから結衣がどんなに大丈夫だと言って気にしなくても、あの子を害する者は許さない。結衣にとって、あんたの言葉は何の価値もなくて、右から左に通り過ぎるだけの騒音にすぎなかったとしてもよ」

 

棘のある菜月の言葉が、わたしにも刺さる。二度と過ちは繰り返さない。

大好きな結衣が大切だというこの居場所は絶対になくさせないとあらためて胸に誓う。

 

「たとえ外で何があったとしても、自分が存在できる揺るぎない場所はここにある。俺が感じている安心は、まやかしではないはずだ」

「ええ。わたしもその安心感はきっと共有しているわ」

 

そしてこと安定は、みんなが持ち得ているものだと信じたい。

部屋の中から微かに嗚咽が聞こえ出す。

菜月の声は威圧的なものから諭すような響きに変化していった。彼女が告げたことは、どれだけ妹さんに届いたのかしら。なんて考えても、それは本人にしか分からないことね。

だけどまあ、これだけは妹さんに向かって心の中で呟いておく。

今日この場にナル君がいなくてよかったわね、と。

菜月に突っかかったところをナル君が聞いていたら、潰されていたかもしれないから。

自尊心とか、主に精神面で、いろいろと。

 

――――

あなたが結衣を見下して、馬鹿にしながら学校のお勉強にいそしんでいる間。

わたしたちやあの子がどんなことを学んでいたのか、少しはお分かりいただけたかしら?

――――

  ☆  ☆  ☆

 

続く


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