モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 本編After「いわれ」2

—2

 

カプリスに帰っていつもの仕事に戻り、閉店後の業務まで何事もなく順調に終えた。

従業員口からビルとビルの狭い間を抜けて表通りに出ると、カプリスの店の前に凍牙がたっているのを見つけ驚いた。

こちらに気付いた凍牙はもたれかかっていた店の壁から背を離す。

 

「どうしたのさ。何か用事でもあった?」

「用事があるのはそっちじゃないのか」

 

心当たりのない返答。瞬時に思い浮かんだのは、にやにやと笑う金髪天然パーマのメガネ男だ。

 

「柳さんが会いたがっていたと言っていたんだが」

「……騙されたね」

 

呆れながら言うと、凍牙は微かに目を細めた。

 

「今日柳さんの店にお前が来たというのは」

「それは本当」

「うっかりびびらせてしまったから、会いに行くならついでに謝っておいてほしいと言付かったんだが」

「それは、まあ、間違ってはいない」

 

あの柳さんは本気で怖かった。

 

「大人に言えない悩み抱えて行き詰っているようだったから、ガキ同士であれこれ考えて答え出してみろと」

「これは嘘。わたしは別に行き詰ってない」

「悩んではいるんだな」

「悩んでない。考えてるだけだ」

 

くそう。だんだん切り返しが苦しくなってきた。

見下ろしてくる凍牙の目が冷たい。見苦しい屁理屈ごねやがってと、視線が告げている。

頭の上から小さなため息が聞こえた。

 

「行くぞ」

「どこに?」

「帰り道で愚痴ぐらい聞いてやると言ってんだ」

 

言いながら凍牙はわたしの住むマンションへの方向へと歩き出す。

愚痴って、こちらは特に不平や不満が溜まっているわけではないのだが。

 

「へそ曲げてないで早く来い」

「曲げてないよ」

 

振り返る凍牙に駆け足で追いつく。

2人で並んで歩いたところで、凍牙は何があったかを話せとは急かしてこない。

静かな時間、左隣にあるのは絶対的な安心だった。

 

「妹が昨日、うちに来た」

 

4車線の国道を横断する信号で足を止めたのと同時に、わたしは昨日の出来事を話した。

凍牙は相槌を打つこともなく、黙って最後まで聞いてくれた。

人に伝えることによって、自分の思考の整理も進む。

できるだけ客観的に話そうと努力した結果、柳さんの意見を含めて、わたしの中で新しい可能性が見つかった。

 

「都合よくわたしを利用しようとしてきたとか、甘えられたとか以前に、昨日のあれは妹にとってのエスオーエスだったのかもしれないなーって、今更だけど思えてきた。思春期や反抗期のサインなんて、よく分からないし、救難信号出されたところでわたしにできることだって限られたものだけど」

「もしそうだったとしても、お前はそいつの保護者や責任者ではないだろう。助けを求められたとしても、それを受けるかどうかの選択はお前の自由のはずだ。身内であったとしても、助けたいと思えるかどうかはそれまでの付き合い方で決まるものじゃないのか」

 

ようやく口を開いた凍牙からは辛辣な言葉をいただいてしまった。厳しい意見だが的確だ。

 

「妹を拒否した自分の行動をここまで引きずるというなら、多少なりとも何かしらの情はそいつに持っているはずだ」

 

目の前の信号が青になり、横断歩道を進みだす。

前を見据える凍牙の目は悲観にくれるわけでもなく、ただ淡々とそこにあるものだけを映し出していた。

 

「俺にはない」

 

きっぱりと、迷いのないひとことが胸に突く。

何が、などと聞くまでもない。

ためらわずに言い切った決別の言葉が示すものは、確かにわたしには持ち得ない気持ちだった。

 

「手、繋がない?」

「理由も脈絡もなさすぎるぞ」

「そんなもの何でもいいよ」

 

了承を得る前に凍牙の手を握っても、振り払われなかったのでよしとする。

今日は互いに手袋をしている。スウェード素材の黒い手袋が凍牙の体温が隠してしまっているのを少し残念に思った。

わたしは家族が嫌いじゃない。離れて暮らしているけれど、これは断言できる。

普段関わりを持たず互いに牽制しあっていた佐智だって、例外ではない。

実家で何があったのか。

涼君に何を言われたのか。

なぜわたしを頼ろうとしたのか。

こんなに気にかけるぐらいなら、佐智に質問ぐらいはしておくべきだった。

国道をしばらく進み十字に交わる道を左に曲がれば、高校へと続く通りに出る。

ここからの一本道は緩やかな上り坂だ。

 

「仲は悪いのか?」

「妹と? 良くはないし完全に嫌われているけど、わたしはそんなに嫌いじゃないよ」

「……誤解を招くようなことでもやらかしたのか」

 

なんと言うか、凍牙のわたしに対するお見通し感がすごい。

 

「………いじめ」

 

次第に見えてきた校舎は教室の電気が全て消えていて、人の気配は全くなかった。

非常口を示す明かりで所々が緑色に灯る薄暗い校舎を見ながら、自嘲気味に笑う。

 

「妹が中学で私立に進学した理由。そして、妹がいじめを受ける原因の一端となったのがわたし」

 

わたしが中学1年、佐智が小学6年の時だった。

佐智のクラスに春樹のことを好きな女子がいたらしく、彼女に春樹を紹介してほしいと佐智がわたしに頼んできたのがそもそもの始まりだ。

その女の子は春樹のことが何年も前から好きで、学年が上がり学校が離れ離れになってしまったのが耐えられなかったらしい。

たまたまクラスメイトの姉――つまりわたしが春樹と仲が良いことを知り、佐智にお願いしてきたとのことだったが。

 

「断ったのか」

「通常時なら春樹の背中蹴り上げて、とっとと後腐れも未練も残さない言葉選んで断ってこいとでも言って押し付けたんだろうけどね」

 

中学一年の初夏。別件でいらいらして春樹の背中を蹴り飛ばそうとしていたわたしを、他の仲間が全力で止めていたころだ。

 

「ちょうどその時期が、春樹と綾音が付き合うかどうかの瀬戸際だった。周りからしたら両思いなのは一目瞭然なのに、いまいちお互いにあと一歩が踏み出せない状態がしばらく続いていて。見守る立ち位置にいたわたしが、そんな状態の春樹に他の女紹介するなんてできるわけがない」

 

わたしは綾音の味方だったし、もうとっとと付き合ってしまえというのがじれったすぎた当時の本音であった。

振られると分かりきっている顔も知らない女のために一肌脱ぐなど、誰に対する優しさもない行動を起こすことはまずあり得ない。

 

「結果、わたしは出来ないのひとことで妹の要求をはねのけた。そして断られたのが気にくわなかったクラスの女子たちは妹をのけ者にし出した」

 

かねてから良好とは言えなかったわたしたちの仲が、完全に決裂したのはその時だ。

具体的に佐智が小学校のクラスでどんな目にあったのかは知らない。

だけど母が頻繁に小学校へと呼び出しを受けるようになったのもその時からで、次第に佐智は学校ではなく家で勉強をこなすようになっていった。

わたしさえ頼みを聞いてくれたらこんな目に合わなかったのだと、小学校を卒業する時にあの子はわたしを責めた。

当時の言い方がまずかったとしても、わたしは妹のお願いを断ったこと自体は今でも後悔していない。だからますます、佐智はわたしを許せない。

そうやってずっと平行線をたどってきて、今に至る。

 

「妹の都合であったとしても、甘えてくるうちにお前の気持ちぐらいは伝えておけよ。和解する気があるのならだが」

 

道を曲がって、マンションへと続く急な坂をゆっくりと上る。

 

「決裂を覚悟されたら、一生修復は不可能だと思っとけ」

「……うん」

 

凍牙の言葉は厳しいけれど事実だ。

負い目や劣等感から佐智に遠慮していた部分と、そろそろ向き合わなければいけないのかもしれない。

マンションの玄関口が見えた。

 

「聞いてくれてありがとう。ちょっと寄ってく?」

「いや。これから柳さんの仕事を手伝う予定があるから止めておく」

 

凍牙は普通に言ってきたが、思わず足を止めた。

 

「今日の仕事終わったんじゃなかったのか!?」

 

悠長に話し聞いてもらってる場合じゃないだろこれは。凍牙の貴重な時間をこんなことに使わせてよかったのか。

 

「息抜きぐらいしてもいいだろ。パソコン相手だと肩が凝って仕方がない」

「ちなみに何の仕事?」

「柳さん所有の物件管理業務の手伝い」

「ごめん。具体的なこと全く分からないけど頑張って」

「そのつもりだ。明日は朝から行くんだろう?」

 

どこに、なんて言われなくてもピンときた。

明日は水曜日。学校は冬休みで、カプリスも定休日だ。

きっと日奈守に足を運ぶのも、今年のうちで最後になるだろう。

 

「柳さんの店に行けばいい?」

「ああ。寝てたら起こしてくれ」

 

話しながら、凍牙はマンションの入り口に顔を向けていた。

薄暗さでよく見えなかったが、マンションの前に立つ人影がこちらを意識しているのに注意を払っているのだと察した。

背格好からして成人した男だ。自然に、凍牙が繋いでいた手を離す。

向こうもわたしたちが注意しだしたことに気付いたようで、ゆっくりとこちらへと歩み寄ってきた。

その歩き方で、分かった。警戒して前に出る凍牙のコートの袖を引っ張る。

 

「大丈夫。わたしの身内」

 

昨日に引き続き、予定外の訪問者が連日来るとは。

 

「父親か?」

「ううん。長男のほう」

 

ゆっくりと近付くにつれ顔がはっきりと見えてきた高瀬家長男――涼君とわたしを見比べて、凍牙は口をつぐんだ。

似てないとか、そんなこと考えただんだろうな今。言ってくれてもいいのに。

 

「似た声が聞こえたとは思ったが、本当に結衣だったんだな。久しぶり」

「お久しぶりです」

 

気さくに話しかけて来た涼君に、どうしようもなく緊張した。

なんというか、いつも通り気さくに笑っているはずなのに、目が怖すぎる。

 

「こっちは?」

 

にこにこと微笑みながら、涼君は凍牙に首をかしげる。

 

「水口凍牙といいます」

「うん。で?」

「あなたの妹さんとお付き合いさせていただいてます」

「うんうん。それで?」

 

気まずそうにしながらも毅然と答える凍牙に対し、涼君のこれはいじわるすぎる。

 

「ここまで送ってもらうついでに、わたしの悩みの相談に乗ってもらってました」

 

2人の間に入って涼君を見上げると、驚きに開かれた瞳と視線がぶつかった。

 

「凍牙は信頼できる大事な人です。ないがしろにするのは止めてください」

 

真剣に言うと、涼君はしばしの間硬直した後、少しずつ体の力を抜くように息を吐き出していく。

 

「……悪い。調子に乗り過ぎたな」

 

両手を軽く上げて降参のポーズをとりながら、涼君は苦笑する。それだけでぎすぎすしていた空気がきれいさっぱりなくなった。

 

「水口君? 凍牙君? 嫌な思いさせて申し訳ない。今のは俺が大人げなかったな」

「いえ、そんなに気にしてませんので。呼び方はなんでも構いませんよ」

「そうか。じゃあ凍牙で」

 

この切り替えの早さはなんだ。

 

「結衣から聞いているかもしれないが、こいつの兄の涼だ。言い訳させてもらうとなあ、俺はお前ら見た時結衣が男連れてマンションに入ろうとしていると思って本気で焦ったんだ」

「お茶ぐらい出すって言いましたけど、断られましたよ。凍牙、これからバイトらしいので」

「へえ、今まで2人で遊んでたのか?」

「いいえ。わたしも凍牙も仕事していました。凍牙は今休憩中みたいなものです」

 

正直に答えると、涼君は信じられないものを見るような目でわたしと凍牙を見比べた。

 

「お前らさあ、今日が何月何日でなんの日か知ってるか?」

「12月25日、世間で言うところのクリスマスですね」

 

お菓子業界が多忙を極める日だ。

 

「うんそうだなあ。そんな国民的なイベントの日に仮にもお前ら付き合ってるっつうのなら、帰り道といわず時間を一緒に過ごしたり、2人で晩飯食べたりとか、そういう予定はなかったのか。兄ちゃん逆に心配になってきたぞ」

 

そんなことを言われても。

 

「クリスマス的なイベントは23日にしました」

「おい凍牙、お前は妹のこの言い分で満足なのか」

「これまで行事と密接な生活なんてしてませんでしたし。生憎と、俺のバイトの休みは暦よりも雇い主の気分によって左右されますので」

 

柳さん、今日は働きたい気分なのかな。静さんもバイト終わってカプリスからわたしが出る時も、来年用の食材どうするかをカタログ見ながら悩んでいたし、まだ仕事を切り上げる様子じゃなかった。

この夫婦はあまり暦や年中行事に関心がないのかもしれない。

 

「……ああ、お前ら似た者同士だってこんだけの時間でよく分かったわ。よくこんな同属性が巡り会えたもんだな」

 

しみじみと納得する涼君に、凍牙と顔を見合わせる。

というか、まずどうして涼君はここに来たのだろうか。

 

「俺はそろそろ行くとします」

 

一歩引いた凍牙が涼君に軽く会釈をする。

 

「ああ、またな。今度は一緒に飯でも食うか。外食か結衣の手料理か、好きな方選んでいいぞ」

「機会があるなら外食でお願いします。こいつの飯味が薄いんで」

「なんだもう知ってたのか。ちなみに何食った?」

「昼の弁当です」

「それをネタにするなー!」

 

味が薄くて悪かったな。半年以上前の失敗をここで持ち出してくるのは反則だろう。わたしだって、あれから少しは料理の腕も上達したはずだ。

とはいってもわたしの手料理より外食のほうが安定したおいしさがあるから、凍牙の意見には賛成だけど。

 

「また明日な」

「……うん。仕事頑張れ」

 

憮然とした表情で告げたわたしに手を挙げて応じた凍牙は、そのまま軽い足取りで夜の闇へと消えた。

 

「それで、涼君は一体何をしに来たのですか」

 

振り出しに戻るようだが、これは一番最初に聞くべきことだったと思う。

凍牙がわたしを送ってくれるよりも、この人の存在のほうが考えるまでもなく不可解だ。

 

「聞きたいことがあったんだ。それ確認したらすぐに帰るつもりだったんだが、想定外なものを目撃してしまって、本当に驚いたぞ」

「凍牙は何かを心配しなければいけない人じゃないですよ」

「分かってる。結衣とまともに意思疎通ができるやつはある程度なら信用ができる」

 

その基準も複雑だ。

 

「で、本当に用事は何なんですか」

「うん。ちょっと確認したいんだが、昨日の夜か今日の朝、佐智はここに来なかったか?」

 

まさかの名前に、一瞬声が詰まる。

 

「昨日、来ました。部屋に泊めてほしいと言われて、断りました」

「それからは?」

「分かりません。駅の方に歩いていって、それっきりです」

「了解。ありがとな」

 

くしゃくしゃとわたしの髪をかき回し、涼君が苦笑する。

 

「佐智が、どうしたんですか」

「ん? 昨日から家に帰ってないらしい」

 

なんともなしに涼君は言ったが、これは大事ではないのか。

 

「心配すんな。しばらく帰らないの一点張りだが、佐智の携帯は通じている。ただあいつのわがままで結衣に迷惑をかけていたら、さすがに連れ戻すつもりでいただけだ。じゃあ、佐智がまた俺んちにひょっこり現れるかもしれねえし、早いが俺も帰るな」

 

食い入るように涼君を見つめる。心臓の音が早くなるのを自覚した。

 

「あいつが身を隠したのは結衣のせいじゃない。俺が言いすぎただけだ。同意を求めて相談吹っ掛けてきたやつに、俺が正しいと思う反論をしたところで反感しか引き出せない。頭では分かっていたんだけどなあ、少し我慢が足りなかった」

 

涼君は曖昧に首を傾けて、再びわたしの頭に手を置いた。

 

「もしまた佐智が来たら親父と母さんが心配していたと伝えてくれ」

「……分かりました」

「うん。悪いな心配かけて」

 

「いえ」まだ聞きたいことはあったけど、わたしには涼君の後ろ姿を引きとめられなかった。

佐智はどうして涼君のところに来て、何を求めたのか。

父と母の間で何があったのか。

そこは、母の子じゃないわたしが踏み込んでいい領域なのだろうか。

こうやって躊躇してしまうから、わたしは家族と打ち解けられないのだと思い知らされる。

どうしようもない疎外感が押し寄せて、逃げるようにマンションの中へと入った。

シャワーを浴びて、夕飯を食べずに布団の中に潜り込んだ。

少しでも早く眠ってしまおうと目を閉じて、時計の秒針の音に耳を傾ける。

なぜこんなにも自分が余裕をなくしているのかも定かじゃない。だけどとにかく一刻も早く明日になってほしかった。

明日になれば、凍牙に会える。

甘えるなと叱られてもいいから、とにかくこの不安を埋めたくて。

電気を消した暗い部屋で、ひたすら日が昇るのを待った。

 

 

続く


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