モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 本編After「いわれ」1

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12月23日はクリスマスと忘年会を兼ね、一日中日奈守で遊んで過ごした。

とはいえ日中は港の倉庫でだらだらして、夕方から焼き肉の食べ放題に出掛けただけだ。

次の日はわたしも凍牙もバイトがあるので、早い目に切り上げてこちらの街へと帰った。

柳さんのことだから、クリスマス辺りから店を閉めて年末年始は旅行にでも出かけるのかと思っていたが、意外にも12月29日まで営業を続けるらしい。

しかし柳さんは気まぐれだ。気まぐれなので、本当に年末まで店を開けている保証はないのだろう。

23日が日曜日と重なった今年は、24日が振り替え休日となりオフィスの密集する一角にあるカプリスのお客さんは通常よりも少なかった。

夕方には閑散とした店は一時間早く閉店し、わたしの仕事も早々に終了した。

薄暗い帰り道、電飾に力を入れた民家があちこちに目立ち個性を主張し合っている。

前を通り過ぎた高校は、校門こそ閉じているもののグラウンドには白熱灯が灯り、叫び声ともいえる掛け声がこちらにまで聞こえてきた。

どこぞの部活が頑張っているのだろうか。

外灯が行く先を照らす、緩やかな坂道をマンションへと登っていく。

今日の晩御飯はどうしようかなんて考えつつ、エントランスに入るためのカードキーをカバンから探す。

マンションの玄関、自動ドアの横、カードキーを認証する機械とは反対側の壁に、ベージュのコートを着た女性がしゃがみ込んでいるのはここに着いた時から把握していた。

膝に顔をうずめて小さくなる姿は、見た目からしてまだ若そうだ。

人を待っているのか、はたまた家から追い出されたのか。どんな事情があったとしてもわたしには関係のないことだ。

カードキーを機械にスライドさせると、赤く光っていたランプが緑色に変わる。

自動ドアが開きエントランスへと入ろうとした瞬間、うずくまっていた女が微かに顔を上げたのが横目にうかがえた。

そして、思わず立ち止まる。

彼女のほうもわたしに気付き、目を見開いてこちらを凝視した。

互いに固まり、沈黙が続く。自動ドアが無情にも閉まる。

さて、これはどうするべきか。

ぱっちりと開かれた色素の薄い茶色い目瞳は気まずそうに揺れていた。

この子の性格からして、強気に出たいがどう切り出せばいいのか迷っているのだろう。

 

「……何してるのさ」

 

なんて言ってから、ここは強引にでも無視して自動ドアの向こうに消えるべきだったかと考えてしまう。

わたしだって気まずい。なぜ彼女が単身でこのマンションにいるのだ。

彼女――高瀬 佐智(さち)は寒さにあごが震えるのを歯を食いしばり堪えながら、わたしを見上げる。

ひとつ年下の妹の来訪は、わたしにとって全く想定外のものだった。

 

「……遅いし寒いし、こっちがどれだけ待ったと思ってるの」

 

佐智の上から目線な物言いは今更なことなので別段気にならない。

だけどのろのろと立ち上がった妹の顔が、わたしの目線よりも物理的に上にあるのはものすごく気になった。

身長はわたしが中学生になる前、すでに数センチ抜かされていたけれど。こいつまたでかくなったな。

 

「それで、何か用事でも?」

 

妹への態度が他人行儀になるのを自覚しながらも平静を努めて切り出した。

積もる話はマンションに入ってお茶でも飲みながら……とはならない。そこまでわたしたちの関係は良好ではないのだから。

 

「あの、さぁ」

 

寒さから手をこすり合わせていた佐智が、祈るように両手の指を口の下で組んで甘えるように首を傾げてきた。

 

「しばらく、ここに泊めてもらえない、かなぁ?」

 

これは珍しい。そして答えは悩むまでもなく即答できるものだ。

 

「無理」

「どうしてよ! いいじゃない!!」

 

態度を一変させて怒り出した佐智の高い声が耳に痛い。

 

「真冬に2人の人間が泊まれる設備はうちにはない」

「そんなの、わたしが横になって眠るスペースぐらいあるでしょ」

「あったとしてもだ。仮にあんたがうちで寝たとしても、わたしは布団を譲る気はないし、暖房を夜通しつけるなんて財布に優しくないことは絶対にしないからね」

 

ましてや妹と一緒の布団で眠るなんて論外だ。

 

「母さんたちはあんたがここにいることを知ってるの?」

 

心配しているだろうからさっさと帰れと言おうとしたのだが、佐智が目に見えてひどく動揺したので口をつぐむ。

 

「……知らないわよ。あんな人たち」

 

寂しそうに吐き捨ててそっぽを向いた妹に納得する。

父と母に甘えっぱなしだった佐智にも、ようやく反抗期が来たということか。それも、よりによって年の瀬に。

 

「家出するならわたしじゃなくて涼君を頼ったら? 生活水準はあっちのほうがよっぽど上だろうし」

 

何より父と母も安心だろう。

涼君の名前を言った途端、佐智は肩を震わせて泣きそうな顔になってしまった。

 

「嫌よ。涼お兄ちゃんは何も分かってくれないんだもの」

 

口ぶりからして、すでに頼った後だったか。

 

「というか、わたしだったらあんたの言い分を分かってやれるとでも思ったのか」

「ち、違うにきまってるじゃない!」

 

だよね。

 

「そうやって、いつも人の揚げ足ばかり取って! そんなのだからあんたはーー」

――本当の親に捨てられるんじゃない!

 

いつも父や母のいない時に、何度も言われてきた言葉だ。

今回も感情に任せてぶつけてくるのかと思ったが、佐智は途中で止めてしまった。

 

「……もういいよ。あんたなんかあてにしたわたしが馬鹿だった」

 

それは。

 

「なんだ。ちゃんと分かってるじゃん」

 

佐智は苦虫を噛み潰したように顔をしかめ、わたしを思いっきり睨みつけてから駅のほうへと消えた。

妹は、もうずっと何年もわたしを憎んでいる。

嫌われている自覚はあるし、原因となった出来事もはっきりしているのでこれを理不尽だと言うつもりはない。

だけど、ただそれだけだ。

身内といえど、わたしは妹に対してそこまで深い情を持っていはいない……はずである。

 

 

佐智が訪ねてきたことも、一晩経てば忘れるまではいかなくても気にしなくなるとふんでいたが、現実にそうはいかなかった。

次の日になって、バイト中も佐智のことが頭の隅に引っかかって意識から外れない。

どうして妹はわたしを頼ってきたのか。

プライドの高い子な分、なおさら行動が不可解だ。

こうやってあれこれ考えているということは、わたしは思っていた以上に妹への関心を持っていたのだろう。

今度涼君のところに行った際、佐智と何があったか聞いてみるとする。いくら気になったとしてもわたしにできることなんて、それぐらいだ。

クリスマスとはいえ平日の今日、会社勤めの人たちによってカプリスは一時大層な賑わいを見せ忙しかった。

昼時のピークが過ぎ店内が落ち着くと、暇になったわたしは静さんのお使いで柳さんの店に足を運んだ。

 

 

先日柳さんが持って帰りそびれた、ためしに入荷した新しい種類のオリーブオイルと、カプリスにあるファイルに混ざっていた向こうの伝票を渡すのが目的だった。

外は曇っていたものの雨や雪が降る気配はなく、薄い雲の奥にはぼんやりと太陽が確認できた。

風もなく、防寒着さえあれば外出も億劫にならない気候である。

柳さんの店は、裏口に回らなくても入口の鍵は開いていた。

 

「お、どうした高瀬」

 

店に入るとすぐに柳さんがカウンター越しに顔を出した。店内にお客さんはひとりもいない。

 

「静さんからの届け物です」

 

言いながらカウンターに紙袋を置く。

 

「ああ。悪いな」

「いえ、時間を持て余してましたので。凍牙は今日休みですか?」

 

厨房にいるのも柳さんだけのようだし、ひょっとして裏でパソコンの作業をしているのかと聞いてみる。

わたしの持って来た紙袋の中身を確認しながら、柳さんはなんともなしに告げた。

 

「あいつなら知り合いのバイク屋にレンタル中だ」

 

……この店はいつから派遣業務までこなすようになった。

 

「年末の忙しい時期に整備部門で人出が不足したらしい。水口のやつ、けっこういろんなところで重宝されてんぞ。あいつ器用で覚えが早くて力もあるからなあ。俺の周りはあいつの不遜な態度を気にするやつはそういないし、高校卒業したら正式に雇いたいって言うところもあるぐらいだぞ」

 

それは俺に言われてもなあ、と若干誇らしげに柳さんは続けた。

 

「……大人気ですね」

「まあ、味方は多いにこしたことはないからな。水口に用事か?」

「いえ、ただいないみたいなので気になっただけです」

 

これは本当。会えたとしても互いに仕事中だとゆっくりもしていられない。

だけど、ほんの少しだけ自分ががっかりしているのも認めておく。

 

「では、わたしはこれで失礼します」

「おお。ありがとな」

 

軽く手を振る柳さんに背を向け、出口となるドアのノブを握る。

そこで動きを止めてしまったのは、悔しいけれど、ほんっとうに悔しいことだけど、柳さんがわたしよりも遥かにたくさんの見識を持っていると知っているからだった。

弱みを握られるのは気にくわない。だけど――。

しばらくそこでわたしは自分の意地と戦うはめになる。

 

 

「ひとつ、聞いてもいいですか?」

 

最後は知的欲求が意地とプライドを上回り、わたしはドアから手を離し柳さんに振り返った。

 

「うん?」

「どうしようもなく憎い人間を頼ってくる人の心境って、どういうものだと思いますか?」

 

脈絡のない質問に柳さんは一瞬きょとんと瞬きを繰り返したが、詳しいことをわたしに問い詰めず、顎の下に手を当てしばらく考え込んだ。

 

「そうだなあ。本当は憎まれてんじゃなくて、そいつはただお前に甘えているだけなんじゃないのか」

 

おい、わたしは自分のことだなんてひとことも言ってないよ。当たってるけど。

 

「……これまで結構な憎まれ口を叩かれましたし、その子に甘えられているというのは少し考えにくいんですが」

 

開き直って否定すると、柳さんは確信を得たと言わんばかりににやりと笑う。

どうやらわたしは早まってしまったようだ。

 

「釈迦に説法かもしれないが、何かを言った側と言われた側、両者の感じる言葉の重みが一致することはまずあり得ないぞ」

「それは」

 

分かっている、つもりだ。

柳さんはわたしの言葉をさえぎって続けざまに言った。

 

「たとえば……そうだな、一番分かりやすいのは『死ね』という単語か。いじめを受けている子どもが、加害者から死ねと言われてその日のうちに自殺したと仮定する。死んだやつにとっては、身も心も弱ったところに言われたその一言が自分の命を捨ててしまうぐらいに重い単語だったとしてもだ。加害者にすればそれはただの冗談で言ったひとことにしかすぎない」

 

柳さんが話していくうちに、店の空気が次第に暗く重いものになっていくのを肌で感じた。二の腕に鳥肌が立つ。

珍しく感情を乗せた喋り方をしてくるな。などと感心もしていられない。

まずい、下手したら感情に呑まれる。

 

「たとえ自殺が問題になって世間が騒いだところで、そいつは迷わず言い訳してくるだろうな。遊びの一環でからかっただけだ。そんなつもりで言ったんじゃない――ってな」

 

口角を上げているのに、柳さんはちっとも笑っていない。

暖房がきいていても決して暑くはない室内で、背中に汗がにじむ。胃が締め付けられるように痛んだ。

 

「そうやって、誰かを失ったことが……」

 

詰まる息を吐き出しながら呟くと、目を丸くした柳さんは盛大に吹き出した。

先程の様子が嘘みたいにけらけらと腹を抱えて笑う。

 

「例えっつったろ、何本気にしてんだ。それにこんなありふれた話、大人子ども関係なく昨今の日本にゃ溢れかえってんぞ。話を戻すが、つまりはそういうことなんじゃねえのか。誰に何を言われたかは知らないが、お前が重く受け止めている言葉は、言った本人にしてみれば大したものじゃない可能性だって十分にある」

 

確かに、それはそうかもしれないが……。

 

「参考にはさせていただきます」

 

もっと突き詰めて聞きたいこともあったのだが、わたしは逃げるように店を後にする。

余韻を引きずって、開放的な屋外に出たところで息はまだ少し苦しかった。

普段の調子に乗って人をからかい面白そうに笑う柳さんの、見てはいけない部分に触れてしまったようだ。

触らぬ神に祟りなし。

話の内容は頭に入れておくとしても、今日の柳さんは早急に忘れてしまおうと決意した。

 

 

続く


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