モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 龍華編下4-3

4-3

 

 

屋外は晴れていたが風は冷たく、植え込みの木を揺らすほど強く吹きつける。

ひとまず皇龍側はこれで問題がなくなった、ことにする。

春樹たちのほうも心配ないとは思うが、不測の事態が起こったならわたしも加わって立て直しにかかるとしよう。

小一時間もしないうちに用事は終わった。これならカプリスに戻って静さんの手伝いができそうだ。

寒さに身を縮ませながらもアークから立ち去ろうとした矢先だった。

 

「待てよ」

 

背後から肩を掴まれ、勢いよくアークの壁に背中を叩きつけられた。

 

「この時間帯は皇龍関係者しかアークに入れないってのに、いいご身分なことだなあ」

 

前方には見知らぬ男がひとり、壁に手をついて睨みを利かせてくる。

店の周りには若い男女が何人もたむろしているが、全員が目の前にいる男と同意見なのだろう。

こちらを見て心配そうな顔をしている者はひとりもいない。

 

「ちょっと柳さんに目を掛けてもらってるからって、調子に乗り過ぎなんじゃねえのか」

 

そういやそんな話があったっけ。

龍華もなくなることだししばらくは平穏になりそうだと思っていたけど、そうなるとこっちも本腰入れてなんとかしないと。

 

「なんとか言ったらどうだ。びびって声も出ないのか」

 

当然ながら皇龍は手を貸してはくれないし、いっそのこと柳さんに押し付けようか。

いやいや、早まってはだめだ。先の長いと思われるわたしの人生で、あの人に頼るのは最終手段じゃないと絶対後悔が残ってしまう。

うだうだ言ってくる男を無視して思案に暮れるが、なかなか有効な策は見つかりそうもない。

とりあえずこの場は適当にあしらって、バイトが終わってから本格的に考えるとしよう。

思考の海に沈んでいたわたしは、目の前の男の口元以外を視界に入れていなかった。

だから気を取り直して向き直った時、彼のすぐ後ろにいつの間にか凍牙が立っていたのには本気で驚いた。

 

「はっ、今更怖気づいたか」

 

凍牙が目線でわたしからして左――男が壁に手をついていない側を示す。

ああ、うん。何をすべきかは理解した。

1歩、2歩と凍牙が音もなく近付く。凍牙と男の距離があと半歩になるタイミングで、左へと体を避けた。

タイミングは同じ。凍牙は男の後頭部を鷲掴み、壁に顔面を叩きつける。

不意打ちになすすべもなく額を殴打した男に、観衆は開いた口が塞がらない。

これは痛いぞというのが率直な感想だ。

だけどそれ以上に、顔で言うなら目の下と口元をはらした凍牙のほうがすごいことになっている。

 

「いってぇ、何しやが! ん、だ……」

 

振り返って怒りのままに怒鳴った男の声が次第に小さくなる。

凍牙は男を見ているだけだ。表情は、まさに今人を殺してきましたってくらい険しいけれど。お前もついでにやってやろうかって、そんな目をしているけど凍牙は何も言っていない。

顔をそのまま、凍牙は男の次にわたしを睨む。ちょっと待て、こっちは被害者だ。

 

「2度目なんだが」

 

絡まれているのを助けたのはってことを言いたいのか。

 

「残念。実際はもっと頻繁に起こってるんだよね、これが」

「ああ?」

 

すごまれたのはわたしなのに、なぜか絡んで来た男が委縮する。

 

「原因は皇龍か」

「事実にいろいろ盛り込んで街中に広めたのは皇龍だろうけど、根本的な原因は柳さんにあるはず」

「くそっ」

「ひぃ!」

 

凍牙の悪態に怯える男に、数秒前の威勢はどうしたと言ってやりたい。

 

「邪魔が多い。場所を変えるぞ」

「了解」

 

周囲をひと睨みして歩き出した凍牙に小走りで追いつく。

行く道を阻む者は現れなかった。

 

「春樹たちは? 顔腫れてるけど、そっちは大丈夫だったの」

「ああ。過程は無茶苦茶だったが結果は目的通り、龍華はこれで終わりだろう」

「凍牙の答えは?」

 

スラックスのポケットから取り出したものを、凍牙はわたしに見せた。

 

「武藤に渡された」

「ああ、綾音ってすごく絵が上手だよね」

「認めるが、今取り上げるべきはそこじゃないだろ。お前こそ皇龍に単身乗り込んで何もなかったのか」

 

どうしよう。心配されるのが純粋に嬉しい。

春樹なんて中学時代は外部から賓客が来ている会議室にでも、必要があればわたしを単身乗り込ませようしてきたってのに。

 

「荒事にならないって一点だけは、わたしも皇龍を信頼してるよ。力で物を言わせて恐怖で従わせるまねはしないってことは、これまで見てきて分かっていたことだ」

 

これはあくまで幹部クラスの人たちは、だけど。

下の連中ともなれば話も違ってくるだろうし、皇龍全体を通しての評価とは言い難い。

 

「首尾は上々。もともと不安な要素があるならひとりでは行かなかったからね」

 

商店街の大きな通りを横断し、歩道のない脇道にそれる。

示し合わせてはいないけど、足は自然とカプリスに向かっていた。

 

「わたしたちには、皇龍のように街を守るとか、そんな大義は何もないよ。ただ居心地が良くて、たまたま気があったから一緒にいる。本当にそれだけだ」

 

モノトーンという名前だって、後付けされたものだ。

 

「それが息苦しくて重く感じるようならいつでも破棄していいんだと思う。凍牙の自由を縛る権利なんて、誰も持ってないのだから」

 

それと言って凍牙の手を指差す。凍牙はペンダントを握りしめ、再びポケットの中に戻した。

 

「自由のための制限を重荷とするのは傲慢すぎるだろう。武藤の無茶ぶりにもそれなりに応えるつもりでいる。――ある程度は、だがな」

 

うん。その意気込みはとても大事だ。

反対側のポケットから、凍牙は四角い紙を取り出す。

差し出されたのは、ふたつに折られた茶色い封筒だった。

 

「蔵元からだ。渡してほしいと頼まれた」

「有希から?」

 

手にした封筒の中身を取り出すと、4つに折られたレポート用紙だった。

草書に近い流れるような文字は、確かに有希が描いたものだ。

 

「――ああ」

 

最初の一文を読んで、何の手紙かは分かった。

これは家に帰ってからじっくりと熟考するとしよう。考えることが増えたな。

レポート用紙を封筒に戻し、ショルダーバッグにしまう。

 

「……悪だくみか?」

「違うよ。今回の事態をどう締めくくろうかって話。それを有希がわたしに委ねただけ」

「お前と蔵元という組み合わせは精神的に厳しいところがあるな」

「成見単独よりましだろう。 なんにせよ龍華は消えてなくなったから、凍牙の周りは当分静かになるだろうね」

 

人間なんて薄情なものだ。学校で敵視していた人たちも、凍牙はモノトーンだという事実が広まれば見る目を変えてくるだろう。

となると当面の問題は、柳さんがらみのわたしが解決すべき一件だけか。

どうこうすべき相手が皇龍や龍華のようにはっきりと定まらない分、やり辛いことこの上ない。

こうなったら長期戦を覚悟して少しずつ街の柳さんに対する評価を捻じ曲げていこうか。

 

「付き合っておくか?」

 

あれやこれやと考えを巡らせるわたしに、凍牙がさらりと告げた。

 

「良くも悪くもこの街で名前が売れた身だ。これを使わない手はないだろ」

「何? また交際の体裁取り繕って街を練り歩くの? この寒い時期に」

「世間の常識に沿わせるのはもういいだろう。体裁がなくても付き合っているという事実があればいい」

 

コンビニの前にたむろする男たちの前を通り過ぎる。考え込むように口を閉ざしていた凍牙が彼らを一瞥した。

 

「そうだな。次にお前に絡んできたやつを俺が徹底的にぼこれば、少しは牽制になるか」

 

なかなかの危険思想だな。

暴力は跡が残るし問題になりやすいから、出来たら他で済ましたいよ。

 

「というかいいの? こんなところで自分使って」

「提案者は俺だ。嫌ならこんなことは言わないし、そっちの好きに決めればいい」

 

ずるいな。判断をわたしに委ねやがって。

交差点を渡るとカプリスが見えてきた。

凍牙は返答に期限を設けていないのだから、また今度返事をするというのもありだ。

でも、わたしは結局言い方に困っているだけで、答えはすでに決まっている。

 

「暴力沙汰はいらない。だけど次にしつこいやつが出てきたら、凍牙の名前を使わせてもらう。わたしのことも、好きに使っていいから」

 

無償の施しなんていらない。与えられて守られるだけの立ち位置ほど、息苦しくてむなしい場所はないのだから。

互いの自由のために助け合って支え合えるというのなら、この選択に迷いなどあるはずもない。

 

「しつこい女がこの先出たら、その時は頼む」

「なんかすごくうんざりしてるね」

「疲れてんだ。しばらくは静かに過ごしたい」

 

切実だな。

わたしの予想だけど、龍華がなくなって凍牙は皇龍の敵じゃないって周囲が認知し始めると、おそらく希望通りにはいかないよ。

顔も頭も容量もいいこんな万能男、周りが放っておくわけがない。

 

「昔かもてるもんね」

「やめろ。言いよる女には本気でお前の名前出すからな」

「いいよ。今度お菓子なのに絡まれたら、わたしの彼氏は嫉妬深いから関わってくるなとでも脅し交じりに訴えるから」

「好きにしろ」

 

言ったな。

カプリスの前で立ち止まると、額を指ではじかれた。

いわゆるデコピンだ。初めてくらったが地味に痛い。

 

「接客業でその顔はやめとけ。料理に毒が仕込んであると疑われるぞ」

「どんな顔だよ」

「獲物が罠にかかるのが待ち遠しくて仕方がないと笑う魔女の顔」

「具体的すぎて逆に想像に困るな!」

 

口が減らないのもお互い様か。

じゃれるような言い合いは、外の様子に気付いた静さんが出てきたことによりようやくおさまった。

カプリスでコーヒーでも飲むのかと思ったが、凍牙は店に入らずそのまま帰路についた。

後ろ姿を見送りながら、密かに肩の力を抜く。

凍牙の隣に誰もいないという事実にわたしは安心しているのだと、もはや認めざるを得ない。

 

 

続く


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