モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 龍華編下2-1

2-1

 

  ☆  ☆  ☆

 

幼少のころより小遣いの金額は、前の月の行いによって変動した。

定期考査でそれなりの結果を出した月は、決まって親から通常時より上乗せされた金を渡される。

問題行動や親への反発が目立った次の月の小遣いは、時にゼロとなることもあった。

崇司が俺について親にあることないこと告げ口した場合も、また然りだ。

そうやって、親は手に余る息子を管理しているつもりなのだろう。

証明するかのように、高校に入りバイトを始めようとした俺に両親は猛反対した。

 

――そんな暇があるなら塾に行って勉強しろ。

――家は金銭的に余裕があるのだから、お前が働く必要はない。

 

普段はそこにいても俺の顔すら見ようともしない父親に、焦りながらも怒鳴りつけられた。

真面目に履歴書の保護者の承諾欄にサインをもらおうとしたのがそもそもの間違いだった。

まさか放任主義を貫き通す父親が、バイトをすることに反対してくるとは予想もしていなかったのだ。

言っていたことは正論だが、ようするに俺に金を稼いでほしくないだけなのだろうと少し時間を置いてようやく気付いた。

経済的に息子を管理し支配する実感。それによってようやく得られる威厳を手放すまいと両親は必至だ。

俺の扱いに困り果て、長男である崇司に全ての期待を背負わせる両親。

俺を下に置くことで優越感に浸り、それを原動力に親の期待に応えようとする崇司。

全てを見ているだけで何も言わず、家族に流され続ける俺自身。

周囲からは知れずとも、滑稽なまでに歪んだ家庭。

どんなに嫌気がさして数日家を空けようと、結局俺はここに戻ってきてしまう。

逃げようと思えばできるはずだ。もう俺もガキじゃない。

そうしないのは、歪んだ泥沼のような空間がすでに俺にとっての日常と化してしまっているからか。

おかしいとは思えても、家族の有り様をもはや苦痛と感じなくなった俺は、やつらと同様十分に歪んでいる。

 

 

 

耳につく単調な電子音が断続的に響く。

浅く眠っては1時間ほどで覚醒し、再び眠るという状態を繰り返していたところだった。

最初はセットしてある時間を知らせるアラームが鳴ったのかと思ったが、音色が違った。

働かない頭がこれはスマホの着信だと判断し、俺が問題の電子機器を手に取るまでそれなりの時間を要するも、いっこうに音は鳴り止まない。

同じような経験を昨日したのを思い出し、まさかとスマホの画面をのぞく。

画面には武藤の名前。授業中の次は早朝か。

毎回時間に気を使わないのは軽い嫌がらせか。

ついでに確認した現在の時刻は午前5時を過ぎたところだった。

 

「……なんだ」

「やっと起きたか。てめえのせいでこっちはへそ曲げたうえに不貞腐れた猫と一晩中喧嘩だ」

 

俺が知るか。

 

「有意義なディスカッションができただろ」

「ぬかせ9割が無言の睨み合いで時間は過ぎてんだ」

 

それこそ知るか。まさかこれを言うためにわざわざかけてきたんじゃないだろうな。

 

「今結衣が電車でそっちに帰っている」

「それがどうした」

「お前、ちょっと迎えに行って結衣と話し付けてこい」

 

この電話は嫌がらせで確定か。今何時だと思ってんだこいつは。

 

「なぜ俺がお前の指図を受ける必要がある」

「時間的にちょうどいいだろ。駅周辺にいるのは早朝出勤のサラリーマンぐらいだ。同年代のやつに目撃される心配は少ない。結衣がやっとこそこそ隠れるのを止める決意をしたんだ。前向きになった今ならお前の意見も聞きいれるだろうよ」

 

武藤が一呼吸置く。少しの間だったが、姿も見えない声だけでやり取りをしている相手の空気が変わるのを察した。

 

「迷惑なら迷惑だと結衣に面と向かって言ってやれ。そうすればあいつはお前を気にすることはあっても、もうお前のために動くことは二度となくなるだろう」

 

分かった。そうしよう、と。ここはひとこと肯定すればいいはずだ。

以上俺の周りにいるやつらが結衣に手を出さないためにも、ここで終わりにするのが最良だろう。

武藤が用意した舞台というのは気にくわないが、それを言い訳に提案を拒否するのもおかしい。

了承の言葉を武藤に伝え、駅であいつを待つだけだ。難しいことは何もない。

俺の返事を待つ武藤に、何でもいいから返さなければ――。

分かってはいるのに、俺は頭に出てきた語を口へと運べない。

ベッドに腰掛けた状態で足に力が入らず、立ち上がって部屋を出ることすらできなかった。

 

くそがっ!

 

吐き出しかけた悪態を寸前で飲みこむ。

こんなもの聞かれたらそれこそ武藤の思うつぼだ。

 

「……結衣は弱いか?」

 

答えを返せないでいた俺に、沈黙を破り武藤が静かに言った。

 

「喧嘩は出来ない。腕力も体力もない。勉強だって人並みにしか出来ないやつだ。そんな結衣を、お前は弱と思うか。お前にとってあいつは自分を脅かす何者にも太刀打ちできない、弱い女なのかって聞いてんだ」

 

まくし立てような口ぶりはまるで怒っているように聞こえる。

 

「……いや」

 

否定して、気付く。

怒っているように、ではない。武藤は正真正銘、怒りをぶつけてきているのか。

自分の仲間を下手に見る俺に対して。

 

「自己満足に結衣を遠ざけて安心してんじゃねえぞ。お前が距離を置けばその分、知らない場所であいつはお前のために危険を顧みず動くんだ。何もできずにただお前のことを心配して、後々になって避けられていた理由を知って感動して感謝するような女だと思ってたら大間違いだぞ」

「……ああ」

 

知りたければ行動する。大事な者のためになるなら行動する。守るために、動き続ける。

お前はそういうやつだよな。

気のない俺のあいづちに、いきり立っていた武藤がため息をついた。

なあ、と力のなく武藤が呼びかけてくる。

 

「守りたいなら、一緒に背負わせてやれよ。お前がどれだけのものを抱えているかは俺も詳しく知らねえ。だがな、それがどんなことだったとしても、遠ざかればあいつを守れると考えているならそれはお前のただのエゴだ」

 

不意に隣の部屋で寝ている崇司の存在が気になった。

 

――凍牙君より崇司君のほうが優しいよね。

――崇司君は将来が楽しみね。それに比べて弟君は……。

――最初は凍牙君がかっこいいと思ってたけど、崇司君はかっこいいうえに喋ってて楽しいし。

 

違う。

武藤の怒りはもっともだ。

かつて俺と崇司を比較した連中と、あのマイペースで規格外な黒猫を一緒にするのは無礼すぎる。

 

「俺が言いたいことはそれだけだ。分かったらとっとと結衣と話を付けに行ってこい。こっちは早く通話を切って綾音を迎えに行きたいんだ」

 

電話をかけてきたのはそっちだろう。言いたいことを一方的に喋りまくっていたのもお前だ。

 

「俺は、あいつの傍にいてもいいのか?」

「んなもん結衣とてめえで決めろ。くだらないことを俺に聞いて来るんじゃねえ」

「飼い主の承諾は不要でいいんだな」

「お前はぱっと出の良く分からない野郎ってわけじゃねえだろ。何より結衣が懐くやつを俺らが認めないわけにはいかない」

 

理解に苦しむ。こいつはどこをどう見て結衣が俺に懐いていると判断したんだ。

 

「今武藤がこうして俺に連絡を入れたことを結衣に話せば、再度徹夜の話し合いか」

「お前が上手いこと結衣を言いくるめれば丸く治まる話だ。つうかもしもそうなったなら今度はお前も問答無用で巻き込むぞ」

 

焦り気味の武藤に、微かだが気が晴れる。言っていることがたとえ正しくても、やつの思い通りになるのはどうもプライドが許さない。

 

「感謝する」

「あ? ――」

 

告げたのは本心だ。

怪訝そうな声に続く言葉は聞かず、スマホを耳から話し電源ボタンを押した。

足は軽い。立ち上がって、クローゼットからコートを取り出す。

自室を出て足音を立てず廊下を通り、静まり返ったマンションを後にする。

 

 

 

これまで俺が諦めてきた、追いかけようとすらしなかったどんなものとも、お前は違う。

 

醜く見苦しく足掻いてでも、失いたくないんだ。

 

 

まだ間に合うというのなら、俺はお前と共に過ごす平穏を求める。

 

 

  ☆  ☆  ☆

 

続く


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