モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 龍華編上5-1

5-1

 

 

月曜日の放課後、カプリスへ向かうため学校の敷地を出かかった時だった。

校門前にある歩道と車道の間の柵に、私服姿の男性がもたれかかっているのが目に付いた。

普段なら気にも留めずすどうりするようなことに意識してしまったのは、その人に見覚えがあったからだろう。

どこで会ったかと記憶を掘り返してもピンと来るものはなかったので、見なかったことにして通り過ぎようとしたところ彼のほうからこちらに声をかけてきた。

 

「こんにちは。覚えてるかな、俺のこと。一度会っただけだから忘れちゃったか」

 

柔和な笑い方と気さくな話し方。

間近で観察した顔立ちに、ようやくわたしの頭が記憶の中からひとりの該当者を見つけ出す。

 

「……凍牙のお兄さん」

「嬉しいな。覚えていてくれたんだ」

 

そこから先は芋づる式で記憶が手繰り寄せられた。

顔のつくりはどことなく凍牙に似ているのに、纏う雰囲気は異なる性質を持つ人だ。

前に名乗っていた名前は……確か、崇司さん。だったはずだ。

 

「凍牙が下校しているか学校に残っているのか、わたしには分かりませんよ」

「いや、弟に用事があるなら携帯で直接言うよ。実は少し前から、君と連絡を取りたかったんだよ。弟のことで話があるんだ」

 

肩に力が入ったのは、寒さのせいじゃないはずだ。

期待と不安が入り混じって緊張しているのをはっきりと自覚する。

優しく見えるように笑う崇司さんの表情を観察しながら、思考を組み立てる。

 

「これからバイトがあるんです。歩きながらでもいいですか?」

「構わないよ」

 

自然と人の目が集まってしまう校門前から移動する。

春樹の言っていたジグソーパズルの最後のピースは、もしかしたらこの人かもしれない。

 

 

「身内の恥をさらすのは心苦しいんだけど、弟と関わりを持つのはあまり勧められないことだよ」

 

商店街に差し掛かるところ、信号を曲がって大通りから外れる。

前後に歩く人がいなくなると、崇司さんは喋り出した。

 

「あいつの品行方正は褒められたものじゃないからね。君みたいに真面目そうな子があいつといるのは、身内としてとても心配で見ていられなかったんだ」

「そうですか」

 

それを言ってしまったら、わたしの日ごろの行いも褒められたものじゃないよ。

 

「実は俺、今年の大学入試に落ちて浪人中なんだ。その原因も、ほとんどが弟にあると言っても間違いじゃない」

「……へえ」

 

口元がつり上がって笑みを押さえきれない。

この人の登場で一気に視界が開けた。

彼にも彼なりの訴えがあるようだけど、もとより家族間の込み入った事情を会って間もないわたしに打ち明けるような人は信用できない。

 

「センター試験当日に喧嘩して、凍牙に腕の骨でも折られましたか?」

「え? そういうわけじゃないんだけど……」

 

だったら大したことじゃない。

失敗という結果の原因は、突き詰めるほど無限に挙げられる。それらを引きずり出して並べたところでただの言い訳にしかならないと、涼君が昔言っていた。

品行方正の良くない凍牙の行動が気になって、勉強が手に付かなかった。

凍牙の素行の悪さを心配するあまり、勉強に集中できなかった。

もしも崇司さんの考える試験に落ちた原因がそんなものだったら、くだらな過ぎて話にならない。

凍牙に味方するようなの意見になってしまうのは、悪意を持って身内を妨害する凍牙というのがわたしには想像できないからだろう。

 

「俺の家族、本当なら去年のこの時期に引っ越しを終えている予定だったんだ。俺の通っていた高校はここからでも通学圏内だったしね。それが結局、凍牙の中学卒業を待つことになって……、おかげで組み立てていた計画も俺の調子も全てが狂ってしまったよ」

 

答えは想像以上に斜め上だった。いや、それはどちらかといえば親の都合だろ。凍牙を責めるのは見当違いだ。

 

「それで、水口家の内情をわたしなどに伝えて、あなたは一体何を期待されているんですか?」

 

同情や共感を得られなかったのが予想外なようで、崇司さんは目を見開いてわたしを見下ろした。

 

「君は俺の話を聞いてどう思ったんだい?」

「ひとまずもしも次のセンター試験に落ちたとしても、今日ここでわたしに会いに来た分勉強の時間が削られてしまったのだと。そんな言い訳にだけはわたしを使わないでいただきたいかなあ、と」

 

勝手に会いに来たのはそっちなんだから。わたしは頼んでいない。

少しつついたぐらいでは、優男の仮面ははがれないみたいだ。

軽く息を吐いた崇司さんが困ったように苦笑する。

 

「ずいぶんと凍牙に毒されているね。それだけ肩入れするってことは、あいつに恩でもあるのかな」

 

そんな発言をしたつもりはないが、崇司さんにとっては自分を否定する全ては凍牙の味方だと捉えられるのだろう。

 

「そうですね、恩はあります。わたしがどうしようもなく苦しくて、周り全部を拒絶した時に怒って止めてくれたのは凍牙ですから」

「典型的な洗脳だね。心が弱っている時ほど、人はつけ込まれやすい。君が苦しんでいる時に手を差し伸べるのは、俺にだってできる」

「そういうことは過去に戻れる技術が生み出されてから言ってください」

 

十字路を曲がればカプリスだったが、ここはあえてまっすぐ進む。

こんな男にバイト先を知られてたまるか。

仮面の張り付いた崇司さんの顔を見上げる。

 

「たとえ困っている時にわたしを助けてくれる人が、世界中にたくさんいたとしてもです。あの時、わたしの手を取ってくれたのは凍牙でした。これは過去として変えられない事実ですよ」

 

そして今、この人がわたしに手を差し伸べたところで、わたしがその手を取ることはない。

 

「現在のわたしはとても充実していますし、見ず知らずの他人の助けを必要としてません」

 

ひび割れたところから破片がこぼれるように、崇司さんの仮面は崩れていく。少しやりすぎたか。

無表情にわたしを見下ろす顔のほうが凍牙に似ているなんて、不謹慎に考えている場合じゃないな。

 

「とはいっても、わたしと凍牙の関係はとっくに終わってしまいましたけど。ご忠告をいただく前にこっちを先に言うべきでしたね」

 

はっと息をのみ、崇司さんは瞬時に仮面をつけ直す。

 

「それってどういうこと?」

 

冷静にと努めているも驚きを隠せない様子で食いついて来た。

 

「この前振られたんですよ、わたし。だから凍牙に対する行為も単なる一方通行の片思いでしかありません。すでにあいつには新しい彼女さんがいますし、敵わない望みですよ」

「え、嘘? それ本当の話?」

「どうしてわたしがこんなことで嘘をつかないといけないんですか」

 

間を入れずに切り込むと、崇司さんは申し訳なさそうに謝った。

 

「その……、弟の新しい彼女って?」

 

釣れた。

 

「同じ高校の先輩ですよ。黒髪の真面目そうな人だと聞いています。なんでも意思が強いうえに一途で、一度決めたことは何が何でもやり遂げようと努力する人だとか」

「その人の名前とかは」

「知りません。というか悔しくて聞いてません」

「ああ……、なるほど。じゃあいつの言っていたことは……」

 

ぶつぶつと口の中で呟き続ける崇司さんは、もはやわたしの存在など眼中にない。

 

「もういいですか? バイト先はすぐそこなので」

「うん。いろいろとごめんね」

 

崇司さんは未練もなくわたしに背を向け来た道を引き返す。

次に接触すべきは西浜先輩、といったところか。

最後のピースが崇司さんで正しいのなら、わたしなりに凍牙の行動に答えが付けられる。

でもそれは願望の混ざった、わたしにとって都合のいい答案だ。

合っていてほしいと願っての崇司さんとのやり取りだったけど、もしも見当違いな方向に推測してしまっていたらどうしようという不安ももちろんある。

 

崇司さんの興味を西浜先輩に向けさせたのは、凍牙にとっていいことなのか――?

 

もしも間違っていたら土下座する勢いで謝って、軌道修正に全力を注ごうと決意した。

 

 

続く


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