モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 龍華編上2-1

2-1

 

  ☆  ☆  ☆

 

通っていた中学の非常階段には屋根がなかった。

校舎内の階段から遠い廊下の端、それぞれ4か所に設置されてたのだが、雨ざらしなうえ廊下から丸見えになるためこの場所でさぼろうとする生徒はそういない。

 

そこを見つけたのは偶然だった。

特別教室が密集する西側の非常階段は、下りきったところが背の高い雑草に覆われて外からはとても上れそうにない。

その日、授業間の10分休憩中に登校した俺は教室へ行く気になれず、2階にある調理室の前を通って廊下の奥から非常階段に出た。

階段は上階が屋根の役割を果たし、最上階でなければ日差しはしのげる。

特別教室の廊下は人通りも少なく、タイミングが悪くなければ誰かに見られることもない。

場所によっては中腰より下の高さは校舎からも死角になる。

授業が面倒な時はここでさぼるかと考えつつ階段を上へと進む。

そして俺はそいつと遭遇した。

3階と4階の間にある踊り場で、上階に向かう一段目に膝を抱えて座る黒猫と目が合い一瞬だが体が硬直する。

気配はおろか物音ひとつしないこの場に、人がいるとは思っていなかった。

ここで気まずい空気にならなかったのは、相手がこいつだからだろう。

先に目をそらしたのは黒猫だった。

俺への興味は失せたとばかりに膝に顔をうずめ小さくなる。

10分休憩の終了を知らせるチャイムが鳴った。

 

「そっち側、いないほうがいいよ」

 

仕方なくこの場から立ち去ろうとした俺に黒猫は言った。

 

「そこ、グラウンドから丸見え」

 

指摘されて初めて気付いた。

背を向けていた下り階段の向こうには大きな木などひとつもなく、グラウンドが一望できる。

体操服を着た生徒が鉄棒前に集合し、ジャージ姿の体育教師が校舎の陰から登場するのが見えた。

忠告に従い黒猫のいる校舎側――上り階段でグラウンドから見えない場所まで移動する。

特別教室前の廊下に人は見当たらない。

しかしいつ校舎内から人に見られたもおかしくないので、ひとまず手すりのついた壁にもたれてしゃがみ込んだ。

互いに何かの作業をするわけでもなく、目の前の黒猫は起きているのか眠っているのかも分からないまま時間は過ぎてゆく。

不思議と居心地の悪さは感じない。ひとりでさぼっている時と同じで若干の気だるさと解放感があるだけだった。

授業終了のチャイムが鳴って、黒猫は立ち上がる。

 

「月曜と火曜。あと木曜の午後は避けた方がいいよ」

 

スカートの埃をはたきながら俺に告げた。

 

「音楽室と理科室の利用が集中してるから見つかりやすい」

 

言い終わると黒猫は階段を上り、校舎の4階廊下へと去っていった。

今の言葉はこの先もこの場所を利用してもいいという遠回しの許諾なのか。

もしくは使っていいから教師には見つからないようにしろということか。

にしても学校全体の特別教室を使用する頻度をどうしてあいつが把握している。

わざわざ調べたのか、もしくは移動教室の流れがつかめるぐらいさぼりを繰り返しているのか。

黒猫の顔と名前は前から知っている。あいつは俺と同じ1年だ。

つまり中学に入学してから2カ月ほどしかたっていない。

人のことを指摘できるほど品行方正でない自覚はあるが、授業はどうしたとやつに本気で問いたくなった。

 

 

それから何度か、黒猫とはさぼりの現場で出くわした。

特に話をすることもなく、同じ場所にいながらもそれぞれが個々の時間を過ごす。

1週間に2、3度顔を合わす時もあれば、1ヶ月間姿を見ないこともある。

いてもいなくても変わらない。ただそこにいたところで意識して気まずくもならない。黒猫はそんなやつだった。

 

 

そしてその年の11月。

 

「理科はさぼんなっつったろうが!」

 

授業中、怒号とともに突然現れた武藤は容赦なく黒猫をしばいた。

首根っこと腕をとらえ無理やり立たされた黒猫は、不服そうな顔こそしたが拒絶は見せない。

 

「お邪魔しました」

 

同行していた鈴宮が俺に頭を下げる。

襟首をつかむ武藤と腕に絡みつく鈴宮に左右を固められ、黒猫は連行された。

武藤にその場所を発見されて以来、黒猫はさぼり場を頻繁に変更するようになる。

顔を合わす機会が減ったかというとそうでもない。

寒さが厳しくなれば校舎内の使用されていない特別教室で黒猫と鉢合わせすることもあった。

互いに顔見知りであっても関係性は何もなく、廊下ですれ違ったところで見向きもしない。

あいつがどう思っていたかは不明だが、俺にとって黒猫は全く害のない自然な空気のような認識だった。

 

 

この繋がりに変化が起きたのは、2年に進級し黒猫と同じクラスになった時。

俺と黒猫がまともに言葉を交わすようになるのは、それからのことだった。

 

  ☆  ☆  ☆

 

 

10月に入って日中の日差しが少しずつ穏やかになりだした。

朝と夕方はブレザーがないと寒く感じるまで気温が下がり、日が暮れる時間も少しずつ早くなっている。

2学期から、カプリスの定休日である毎週水曜日には、地元へ仲間に会いに行く習慣が出来た。

現在のわたしはモノトーンのメンバーと皇龍に認識されている。

住んでいるところが拠点と遠く離れ頻繁には会えないが、モノトーンを名乗ることについては春樹の了承を得た。

そうでもしないと皇龍がうるさい。

望む望まないに関わらず、街に影響力を持った人間が無所属でふらふらしているのは皇龍にとって見過ごせない脅威なのだとか。

そんな人間が下剋上を狙うチームにでも入ってしまえば、切り札として使われ面倒事が増える。

不審なチームに名を置かれては困るという理由から来る皇龍への勧誘は、わたしがモノトーンに入ったのを学校中が周知した時点でぴたりとなくなった。

モノトーンに籍を置くうちはこれ以上皇龍側もうるさく言ってこないだろう。

早々に解決したい目先の問題は、柳さんがらみで声を掛けてくる人たちをどうするかという一点に絞られた。

 

10月の第2日曜日。

諸悪の根源たる柳さんは昼のピークが過ぎたころ、ひょっこりカプリスに顔を出した。

 

「いよう高瀬、青春してるか?」

 

毎度のごとくテンションを高くして柳さんはカウンターに座る。

無言でお冷を前に置いたわたしをにやにやと見てきた。

 

「機嫌悪そうだな」

「どこも悪くないですよ」

 

わたしはただ柳さんの登場に警戒しているだけだ。

 

「素直じゃねえな」

 

上機嫌にお冷を飲み干した柳さんは自分で2杯目をグラスに注ぐ。

厨房に入ったわたしは溜まった食器を洗うことにした。

柳さんのほかにフロアに客はいない。イコールこの人がわたしをからかってくるのに、絶好の環境が出来上がってしまっているわけだ。

ものすごくこの場から逃げたい。バックルームに事務仕事しに行っちゃ駄目かなあ。

 

「正直に言ったらどうだ。水口に構ってもらえなくていじけてるんだろ」

 

急にどうした。

蛇口をひねって流れていた水を止める。

 

「いじけてません。大体何ですか急に」

 

確かに凍牙とはしばらく顔を合わせていない。

凍牙もいろいろ忙しいのかと考えていたが、柳さんがそれを口にするなら話が変わってきてしまう。

 

「あなたが凍牙の名前を出すということは、あいつの周りで何かが起こっているとみていいんですね」

「どうしてそう思う? つうか最近の水口ってどうよ?」

 

プレートを洗う手を止めて柳さんを見る。

片肘をついて顔を向ける柳さんは口の端を釣り上げた。

試されているのだろう。

 

「あなたがわけもなくここで凍牙の名前を出してくるはずがないでしょう」

「ぶっぶー、マイナス10点」

 

いちいち癇に障る言い方してきやがるな。

 

「俺を通しての推理じゃなくて、自分のカードを見せてこいよ。提示した分だけご褒美に面白いことを教えてやる」

「最近の出来事なんて些細なことしかありませんよ」

「些細なことでもお前の目で見たものはお前しか知らないだろ」

 

そう言われれも、わたしが持っている情報なんて本当にとるに足らないものばかりだ。

 

「凍牙との形だけの交際は、2学期が始まってすぐに終了しました」

 

まずこれがひとつ。

 

「9月の終わりごろ、凍牙と女の人が夜の商店街を歩いているのを目撃しました」

 

2つ目。

 

「その週明けに凍牙と会って、商店街で見かけたことを話しました。それっきり、凍牙とは顔を合わせてません」

 

3つ目。これで終わりだ。

2週間。昼休みの第2体育館で凍牙と会わなくなってそれだけの時間が過ぎた。

少し前までは毎日のように会って話をしていただけに違和感が拭えないのも正直なところだ。

しかしだからといってこれは心配することなのかと考えても、少し違う気がしてしまう。

凍牙には凍牙の生活があるし、わたしが用事や行動を逐一把握しているわけがない。

そんな監視体制、わたしだったら全力で拒否する。

静さんが柳さんにホットコーヒーを差し出す。

カップに鼻を近付け香りを楽しみながら、柳さんは懐かしむように目を細めた。

 

「水口はあれだな。どっちかというとヨッシー寄りのところがある」

 

それはちょっと賛同しかねる。

 

「……どの辺がですか?」

「んー、主に女難の相をしょいこんでる辺りとか」

「つまり凍牙と関わったわたしは、あいつにとっての厄災だと言いたいんですね?」

 

否定できないのが悲しい。

夏休みもなんだかんだで迷惑をかけたことには変わりないし。

 

「拗ねるなよ」

「拗ねてません」

 

苦笑する柳さんが手を軽く振る。

 

「いや、何もお前に限った話じゃないからな、これ。水口って、常に寄らば斬るって態度で生きてやがるから、まともに普通の優しいお人好しの女の子じゃ近付き難いって言いたかったんだ」

 

言い方を変えると、わたしはまともでない異常で非道な女だと。

 

「周囲と高い壁を作って生きるやつに寄り付くのなんざ、よっぽど自分に自信がある女か、水口の近くに利益を見出した女か。後はお前みたいな珍獣ぐらいだろ」

「不愉快です。そして珍獣なんてあなたにだけは言われたくありません」

「いやあヨッシーも結構それで苦労してきたからなあ。もっと心の扉をオープンにしろって何回言っても聞きやしねえの」

 

あんたはわたしの話を聞かないな。

 

「ま、面倒見のよさってところではヨッシーのほうが水口よりは上を行くか。水口は無駄に要領がいい分回避スキルがずば抜けてるし。厄介事はしょいこまずに流してしまうだろ、あいつの場合」

「一体何が言いたいのですか?」

 

タオルで手を拭いて柳さんと向かいあう。

遊ばれているのは自覚しているが、柳さんの狙いがどこにあるのか全くつかめない。

 

「まあそういらつくなよ」

「そう言うならいらつかない話し方をしてください」

「かはは、認めてやんの」

 

ああもう、腹が立つ。

 

「俺は水口のこと嫌いではないんだけどなあ。なんつうか、あの冷めた感じがいまひとつ面白みに欠けるんだよ。人生こんなもんだってすかした態度さえなければもっと楽しめるだろうに」

「あなたが楽しんでどうするんです」

「いやいや、水口自身がだ」

 

凍牙が物事に対して常に達観気味なのは分かるが、そこを冷めていると表現していいのかは首をひねってしまう。

冷静さを欠くことのないやつだけど、自分を悲観的に捉えた言動は今まで聞いたこともないし。少なくとも、わたしの知る限りでは。

柳さんが3本指を立てた手を向けてくる。

 

「お前が提示した情報は3つ。一番最初の減点ひとつで持ち点は20点な」

 

薬指が曲げられて、人差し指と中指が残った。

 

「ご褒美は2つだ。ヨッシーからの情報だから信憑性は大いにあるぞ。ひとつ、最近この街にリュウカという新しいチームだか組織だかができた。漢字で皇龍の龍に難しいほうの華と書いて龍華だ」

 

チームと組織。同じものな気もしないでもないが、ニュアンスの問題なのだろう。

柳さんが人差し指を突き立てる。

意地の悪い笑みだ。

 

「もうひとつ。その龍華ってチームには、水口凍牙が名を連ねている」

 

眼鏡の奥でぎらつく期待に満ちた柳さんの瞳。

わたしが食いつくことを見越した情報提供は気にくわないが、認めざるを得ない。

龍華というチームに興味がわいた。

 

「……どんなとこですか、龍華って」

 

ひょっとしてどこぞのリュウカさんが結成したチームなのか。

だからといってこの街で「龍」を入れるネーミングをしてくるなんて、皇龍を意識しているのは間違いないはずだ。

 

「残念だが点数切れだ。俺はこれ以上何も教えねえ」

「結構ですよ。後は自分で調べます」

「おー、そうしろそうしろ。くれぐれも俺に報告は忘れんなよ。教えてやったんだから」

 

思い通りになるのは非常に悔しいので、分かりましたの返事はしない。

そんなことよりも、凍牙がどこぞのチームに入ったということのほうが重大だ。

しかも新興の組織とは。皇龍はこれをどう見ているのか。

そして龍華と皇龍の関係はどういうものになってるのだろう。

 

「あいつ、何考えてるんでしょう」

 

よっぽど気の合う人が龍華にいるのだろうか。

前に見つけた凍牙と歩く女性の後ろ姿が頭から離れない。

 

「さあなあ。そこは水口のみぞ知るところだろ」

 

大人の余裕とでも言うべきか。

焦らずに構えていられる柳さんが今は少しだけうらやましかった。

 

 

続く


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