モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 間章「被り物を捨てる」11

被り物を捨てる 11

 

 

よく晴れた土曜日。時刻は14時になろうとしていた。

 

「うちのクラスで最近、登校してないのがひとりいますよね」

 

場所は柳さんの切り盛りする喫茶店。カウンター席で、わたしのふたつ椅子を空けた先には吉澤先生が座っている。

 

「彼女についてですが、学校に来なくなった原因の一端は、わたしにあります」

 

アルバイトの昼休みを利用して柳さんに吉澤先生を呼び出してもらったのだが。カウンターテーブルにある、まかないとして出されたスープパスタが非常に目の毒だ。お腹は空いている。熱々の湯気が消える前に、さっさと話を終えて食事にありつきたい。

吉澤先生はビールを片手にこちらを睨んでくる。わたしたちの様子を、柳さんは厨房で面白そうに静観していた。

 

「それで、お前は何をやらかした」

「わたしが彼女に何かしたわけじゃありませんよ。単に向こうがわたしにちょっかいをかけてきて、勝手に自滅しただけです。まあ、あちらさんの言い分に耳を傾ければ、また違った見解が出てくるかもしれませんが」

 

彼女もまた、自分は被害者なのだと今も思っていることだろう。

加害者と被害者。一連の出来事について責任の所在をはっきりさせる必要があるなら受けて立とう。あくまでも、白黒つけないといけない事態に発展した場合に限るけど。

 

「具体的にお前は何をされて、そいつはどうなったんだ」

「今はまだ、わたしの口からそれを言うつもりはありません。知りたければ彼女に直接聞いてみてはどうでしょう」

 

彼女がわたしを加害者として糾弾しようものなら話は別だが。この場合、過去の追及は物事の解決を遠ざけるだけだ。わたしは一刻も早く平穏な学校生活を取り戻したいし、そのためだけに動く。

だから、わたしが先生に伝えるのは、これからのことだ。

 

「もしも、先生が学校に来ていない彼女に会う機会があるなら、わたしの思いを伝えてもらえませんか」

「……一応、聞いておいてやる」

 

そんなに警戒しなくても。死ぬまで恨んでやるとか、夜道は後ろに気を付けてとか、脅しをかける内容じゃないって。

 

「これ以上あなたが何もしないなら、わたしはあなたにされたことをこの先、蒸し返したりはしない。提案だけど、関係を友達以下のただのクラスメイトに戻して、お互い平和に過ごさないか、というのがひとつ」

 

そして、ここからが本題。

 

「わたしはもう、忠告もしない。あなたが誰かにどんな命令されようが、これからはわたしの自由にさせてもらう。以上です。気が向いたら、よろしくお願いいたします」

 

ごちそうを前にして「待て」の状態にも我慢の限界が来たので、手を合わせて「いただきます」と言い、フォークにパスタを絡ませ口に運んだ。

アサリの風味に唐辛子がぴりっときいたあっさりスープがたまらない。

 

「そいつはお前のその言葉で復活できそうなやつなのか?」

 

柳さんが落花生の入った小皿を吉澤先生の前に置く。

出されたつまみの殻をむきながら、先生は難しい顔で「どうだかな」とこぼした。

 

「高瀬、お前はそいつが学校に来ないとなにかしら都合が悪いのか?」

 

柳さんの問いかけには考える前に否定できた。

 

「まさか。彼女がどうしようが、わたしの知ったことじゃありません。ただこの先、彼女に不登校の原因を押し付けられたら面倒なので、先手を取って逃げ道を塞ぎにかかっているだけです」

 

学校に来られない原因はわたしにある。わたしがいるから学校に来にくいなどと言わせるつもりはない。そのための譲歩と、無害の主張だ。

 

「まあ彼女の場合、問題はわたしを含めたクラスのコミュニティだけじゃないようですし。そっちの人間関係までさすがに考慮するつもりはありません」

「どこの集まりだ?」

「部活動です。何でも怖い先輩に逆らえないとか」

 

隣から大きな舌打ちが聞こえてくる。いろいろ察してくれて助かります。

情報漏えいはこれぐらいにして、本格的に昼食のパスタを胃袋に納めていく。昼休憩の終了時間は正確に決まってないけれど、できるだけ早く静さんの店に戻らないと。

彼女について、わたしがしてやれることはひとつもない。

わたしもやりたいようにやるのだから、あちらも好きにすればいい。

 

「さすがに、クラス内で生徒を1年間に2人も転校させるのは担任としてまずいのかと思って気を使ってみた次第ですので、後は先生のお好きにどうぞ」

 

下心のある、わたしのための気遣いにだけどね。

 

「頑張れヨッシー。腕の見せ所だな」

「……てめえら」

 

恨みのこもった先生の声は無視して、パスタに舌鼓を打つ。

もうすぐ完食するというところで、柳さんがカウンターの端に茶色い紙袋を置いた。それなりの重さがあるのか、中の塊がごろっと動く音は低くて鈍い。

 

「戻るとき、それも持って行ってくれ。静さんに渡してくれたら分かるようにしておく」

「分かりました」

 

少し腰を上げて袋の中を見れば、渋い黄緑色の梨がいくつか見えた。秋の果物だ。

 

「あと、こっちはマヤちゃんのな。静さんの店に来た時でも渡してやってくれ」

 

今度は先ほどよりも小さな紙袋を柳さんはカウンターに置いた。

 

「どうしてマヤが指名されるんですか?」

 

当然のように言ってきたが、これはちょっとおかしくないか。

 

「そりゃあお前、いつもうちの高瀬が世話になってるからだろ」

「うちのって、いつわたしが柳家の一員になったんですか」

「毎回苦労かけている分、保護者の俺があの子にご褒美を上げても問題ないはずだよなあ」

「ちょっと待て、誰が誰の保護者だと言うのですかあなたは」

 

これは聞き捨てならない。

 

「なーに。ただの功労賞だ。自分の分がないからってそんなにいじけんなよ。お前は店で梨タルトの味見ができるからな」

「静さんの作るタルトはすごく楽しみです。でも今はお願いですからわたしの話を聞いてください」

 

なぜだ。さっきまでいじられているのは吉澤先生だったのに、どうしてわたしまで柳さんにからかわれているんだ。

 

「おい高瀬」

 

ビールを飲み干した先生が話に割り込む。なし崩しに柳さんのおもちゃになるのを免れて、少しだけほっとした。

 

「お前、今回の件でまだ俺に言ってないことがあるんじゃないか」

 

そりゃあありますよ。むしろ伝えた情報は全体の僅かな一部分にすぎない。

 

「先生に言っておくべきだと思ったところは、包み隠さず話しましたよ」

 

クラス内での出来事については、この先も先生に丸投げするつもりだ。担任が頼りがいのあるひとでよかった。

後に残った問題は、吉澤先生に頼らない。

こちらについてはまだ自分ですべきことがある。

 

 

  ☆  ☆  ☆

週明けの気だるい月曜日。

昼休みの終了5分前を知らせる放送を聞いて、クラスメイト達も各々に緩慢な動きで次の授業の準備に取り掛かる。友人同士で集まり、残りわずかな自由時間を楽しもうとする者もそれなりにいて、教室の中は騒がしい。

席についた俺はぼんやりと壁に設置された時計を眺めながらあくびをかみ殺す。次の授業は、果たして最後まで起きていられるだろうか。

 

「みいつけた」

 

睡魔と格闘中、ひとつの声が耳に届いた。かん高くない、耳通りの良い音質の女の声。感情のこもらない、無機質ともいえる単調な声音が記憶に引っかかり、押し寄せていた眠気が吹っ飛ぶ。

その声がした方へと顔を向ける。

いつの間に教室に入ってきたんだ。そもそも、なぜ君がここに。

気付いたら、俺と通路を挟んだ隣の席にいる女子の机の前には、高瀬結衣が立っていた。

 

「探しましたよ。顔を頼りにひとクラスずつしらみつぶしに2年の教室を当たっていくのも、案外楽ではありませんね」

 

結衣ちゃんの声がはっきりと俺にまで届くのは、わざと彼女が周囲に話を聞かせようとしているからか。

椅子に座りぽかんと結衣ちゃんを見上げていた隣の席のクラスメイトが、我に返ってこれ見よがしに舌打ちする。

 

「んだよ、1年が何の用だよ」

 

精一杯の悪態。

 

「邪魔なんだけど。さっさとどけよ! うぜーんだよお前!!」

 

クラスメイトの女子が口調を荒げるにつれ、教室中の視線がその場所に集中し出す。

わめき散らす女を見下ろす結衣ちゃんの薄く笑んだ横顔を見て、俺は彼女たちを直視するのをやめた。

あの子が何をしに来たのかは気になるけれど、これは絶対に関わってはいけない事案だ。

いくら目の前の相手が激怒しようが、結衣ちゃんはうろたえるそぶりを全く見せず、獲物を観察する。

 

「は? きっしょ」

 

不気味そうに言い捨てた女子が席をたとうとした瞬間。机がそいつの胴にめがけて勢いよく動いた。

結衣ちゃんが机の脚をコの字型に固定している、床と並行になった足元の鉄棒を蹴ったせいだ。

女は椅子と机に挟まれて立ち上がれない。

 

「逃げるな」

 

鉄棒に足をかけたまま、結衣ちゃんは真顔で言い放つ。教室中が静まり返った。

くっそ怖えよ。年上には一応敬語を使うと宣言している子の、ため口で来られた際の破壊力は半端ない。

室内の空気の主導権は、見事な手際で持っていかれてしまった。生意気な後輩だと、彼女を排斥しようとするやつはひとりもいない。

あれだ。通りすがった道端で奇行に及ぶ人間を遠巻きに眺めているのに近い感覚だ。彼女が何をするのか気になるけれど、決して関わりたくはない。クラスメイトたちの心情は、そんなところだろう。

かくいう俺もみなと同じで、結衣ちゃんのやらかすことを止めるつもりはない。もう君は皇龍に関わらないなら好きにすればいいよ。

隣の女子が焦りながらちらちらと俺のほうに視線を送ってきたところで、気付かぬふりを貫く。こっちだってわが身が可愛い。どいつもこいつも、俺に助けを求めてくるな。

結衣ちゃんは手に持っていた紙きれをそっと机に置いた。

 

「これ、先週あなたがわたしを水浸しにしてくれたことによって発生した、クリーニング代の金額です」

 

教室いざわめきが起こる。

あー、うん。いろいろ掴めたわ。話は大原武さんに聞いていたが、命知らずの馬鹿はこいつだったのか。

 

「は? ……知らないよ、そんなの」

 

首を横に振る女子は、動揺を隠し切れていない。

 

「これをあなたがわたしに支払うということで、今回の件は手打ちにしませんか? お互い、これまでのことは水に流して、顔見知り以下の他人に戻る。というのはどうでしょう」

「だから、わたしは知らないって!」

 

かん高声が耳に刺さる。近くの席の者が顔をしかめるも、一番近くにいる彼女は眉ひとつ動かさない。

そして獲物が口を閉じた後、ゆっくりと口の端を吊り上げた。

 

「では、戦争継続ということで」

 

女の否定などなんのその。話がかみ合っていないことなど、おそらく結衣ちゃんは承知のうえだろう。

いつになく楽しそうにほほ笑む彼女の姿に寒気を感じたのは、おそらく俺だけではないはずだ。

 

「今までは黙って見逃していましたけど、これからはわたしも攻撃に転じます。どうぞ、あなたもこれまで通り、ご自慢の手駒でお好きに仕掛けてきてください。わたしも、自分の持てる全てを使って、あなたを排除しにかかります」

 

どちらもが加害者で、どちらもが被害者になる展開か。

結衣ちゃんが人差し指で女の額を指し示す。

 

「最後にどちらがこの学校に残っていられるか、今からとても楽しみです」

 

とびっきりの笑顔で、彼女は手を銃に見立てて獲物を撃つ。

 

「バン」

 

いたずらっ子のように舌を出しておどけたしぐさは可愛げがあるけど、言っていることは全く笑えない。

 

「……ふざけんなよ」

「全くふざけてはいませんよ。最初に喧嘩をふっかけてきたのはあなたです。わたしはそれを買ったまで。返品はしません。買い戻しの方法はひとつだけで、他の手段は一切認めませんのであしからず」

 

机の上に置かれた紙を示された女子が、見上げるように結衣ちゃんを睨む。

 

「ふざけんなっつってんだろ! もとはといえばあんたがわたしの後輩をいじめたからこんなことになってんだろうが!」

 

その絶叫に、結衣ちゃんは笑いの質を嘲りの入ったものに変えてきた。

 

「あーあ、認めちゃいましたね。最後までわたしなんて知らないとしらを切りとおしておけば、よく分からないもらい事故としてクラスの同情票を集められたのに」

 

結衣ちゃんは目の前の女と話しているが、言葉は俺たち教室にいる生徒に向けられている。口に出して、言い聞かせることにより、事実を周囲に認識させた。

これでもう、結衣ちゃんのひと違いだったという終わり方はできなくなったわけだ。

自身の武器を誰よりも理解している彼女に、口で立ち向かおうとする勇気は認める。しかし賢い選択ではない。

 

「わたしは今、あなたに対して、あなたとわたしの関わりについて話しているんです。後輩とやらとわたしの問題は既に別の話として処理されてますので、それはあなたに関係ない。どんな理由があろうとあなたがホースを使って、拘束されたわたしを水浸しにした事実は変わりません。散々な目に合わせていただいたおかげで、決心がつきました。もう面倒だからって放置はしません。あなたはわたしの敵です」

 

断言しちゃったよ。ああ、この子は本気なんだなと謎の感動を覚えながら、クラスメイトに感心する。事なかれ主義で感情の沸点が呆れるほど高い子に、よくここまで言わせたものだ。

結衣ちゃんと向き合う女子は、クラスの中でも目立つ位置にいるやつだったと記憶している。

リーダーシップをとるのが常で、人の優位に立つことを当然としてきた者にとって、見下された状態で1年の女子に会話の主導権を握られる様はさぞかし屈辱だろう。

女は怒りと虚勢を顔に出そうとしているがそれ以上に羞恥と怯えが上回り、表情を形作ってしまっている。

5限目の始まりを告げるチャイムが鳴った。結衣ちゃんは全く気にせず、出ていこうとするそぶりを見せない。

 

「……わたしだけじゃない、でしょ。なんで、他にもいたのに、わたしのところに来るのよ」

 

事実否認の次は責任の分散を試みるか。この期に及んでその言い分は、自分の首を絞めかねないぞ。

 

「そうですね。そっちはあなたを潰した後に、ひとりずつ狩っていくとしましょう。ご提案いただきありがとうございます。今後の楽しみが増えました」

 

ひゅっと、女が息をのむ。結衣ちゃんの弾んだ口調は、加虐趣味を疑いかねないほど楽しそうに聞こえた。実際に、高瀬結衣に異常な行動におののくクラスメイトが大半を占める状態だ。

そんな中でも、近くにいる俺は結衣ちゃんの釣り上った唇の端が、時間を追うごとに微妙に下がってきているのを見逃さなかった。

笑顔の仮面を張り付けて頑張っているようだけど、実のところ君は全く楽しくなさそうだ。無表情がデフォルトの子が長時間微笑み続けるとか、そろそろ表情筋が疲れてきたころじゃないかな。

そうこうしているうちに、5限目の教科を受け持つ教師が来た。教室の異常な静けさにたじろぎながらも、壮年の男性教師は黒板の前に立つ。

 

「時間切れのようですね。では、お互い悔いの残らないよう、陰湿に頑張りましょう。そういや部活の大会が近いようですが、出られるといいですね」

 

結衣ちゃんが女の机を離れる。そのまま出ていくのかと思いきや、彼女の足は教室の奥へと向けられた。

窓に近い席に座る女子生徒に、結衣ちゃんはそっと耳打ちをする。女子生徒は俯いたまま、目を合わせようともしなかった。

教室の空気をすがすがしいまでにかき乱してくれた後輩の女の子は、最後に「お邪魔しました」と全体に告げて颯爽と立ち去っていく。

直後に開始された5限の授業が閉まらないものになったのは、いうまでもない。

 

「野田! あんた、なんでさっきあいつのこと追い出さなかったのよ!」

「いやいや、俺は無関係だろ」

 

5限が終了してすぐ隣の女子に詰め寄られたが、もうね、知らねえよとしか。

 

「無関係って、あんた皇龍でしょ!?」

「俺が皇龍だからどうした。むしろ、皇龍に籍を置いているから、高瀬結衣とは関わりたくないんだよ」

 

皇龍内では、高瀬結衣に手を出すな。へたに刺激するなと再三にわたって通達されてきた。夏休みの騒動もあり、結衣ちゃんに対しては一般の生徒よりも皇龍メンバーのほうが敏感だ。

 

「なにそれ。ひとりの1年に大げさすぎじゃないの」

 

馬鹿にしたような笑いが癇に障る。大げさなわけあるか。

 

「自分の目の前で、1年なんかに好き勝手されて、あんたはそれでいいの? 生意気なやつを調子に乗らせたままで、あんたは本当にいいのかよ!」

 

必死だな。ここで結衣ちゃんを悪者にして共感を得ておかなければ、今後のクラス内での立場が危うくなるのをこいつは自覚している。なりふり構っていられないのも分かる。

だからといって同意を求められても頷けるわけがない。

 

「高瀬結衣が気にくわないなら、自分でどうにかしたらどうだ。お前の行動を止めはしないが、そこに俺を巻き込むな」

「つーか、単体でもアレだってのに、バックにモノトーンがいて、しかも柳虎晴さんの息がかかっているようなやつによく喧嘩ふっかけたな。お前、ある意味すげーよ」

 

会話に割り込んできたのは、俺と同じく皇龍に所属しているやつだ。そいつが女子に向ける視線には、明らかな蔑みがみられる。

 

「な、何よ、モノトーンって」

「関わるとろくなことにならない集団の名称だ。皇龍としても、基本この街とは全く関係のないところにいるやつらだから、進んで接触しようとは考えていない」

 

モノトーンと、女の唇が動く。興奮して赤くなっていた頬から血の気が引いていくあたり、どうやらモノトーンについて思い当たる節がありそうだ。

 

「……なんでよ、あんな地味で大人しそうな何でもないやつに、どうしてそんな連中が味方してるのよ」

 

いやいやいやいや。お前さっき、あの子の異質さを間近で体験したばかりだろうが。

目立つ用紙をしていなくても、普段は存在感自体がからっきしだったとしても、それは彼女の異常性を否定する理由にはならない。

 

「馬鹿が。柳虎晴さんが目にかけている女が、なんのとりえもない普通なやつのはずがないだろう」

 

女子を挟んだ向こう側の席で、翔吾がこちらに顔を向けずぼんやりと呟く。

自分の分の悪さを自覚した女子は、今になって弱々しくうろたえだす。

遅せえよ。とは俺をはじめ、少しでも高瀬結衣と関わりを持ったことのある誰もが思ったことだろう。

しかしこのままでは泥沼にはまって、再び俺のクラスが巻き添えを食らいそうなので、助言をひとつ。

 

「幸い、高瀬結衣は諍いの終わり方を示してくれているだろ。俺の経験上、あの子は自分の言ったことはきっちり守り通すはずだ」

 

だからとっとと要求を呑んで収束させてしまえ。そしてもう2度と俺とクラスを巻き込むなと暗に伝えてみる。

 

「……でも、相手1年だし、下のやつの思い通りになれっての?」

 

その無駄な1年推しはどうにかならないか。

 

「いがみ合いに学年は関係ないだろ。上下関係に固執した意味不明なプライドは早いうちに捨てておかないと、高瀬結衣相手だと悲惨な目にあうぞ」

 

忠告はしたからな。もう俺は知らん。

 

「ねえ、お金で全部解決するなら、払っちゃおうよ。なんならわたしがお金出すからさあ」

 

女のところにクラスメイトの女子がひとりやってきて、情けない声音でそう告げた。結衣ちゃんが教室を出る直前に耳打ちをしていたやつだ。

女子たちの共通点を考えて、いろいろと理解する。こいつら、確か同じ運動部に所属していたな。

 

「あいつ、わたしのところに来て言ったんだよ。『次はお前だ』って。なんなのこれ。なんでこんなことになってるのよ!」

 

そりゃあお前らが触れちゃいけないものに手を出してしまったからだろ。

植えつけられた恐怖がひとりでに成長し、周りを巻き込んでさらに増殖していく。まるで呪いだ。

ホラー映画の一場面が目の前で繰り広げられているみたいだ。あれはスクリーンの中だからこそ臨場感が出るのであって、現実に眼前で起こっても滑稽でしかない。

顔面蒼白で絶望するふたりを横目に、俺は6限目の授業の準備に取り掛かった。

  ☆  ☆  ☆

 

水曜日。連日学校を休んでいたクラスメイトが、久しぶりに教室に顔を見せた。きっと吉澤先生が頑張ったおかげだろう。

朝のホームルームが終わるや否や、彼女は怯えながらわたしの元へとやってきた。

 

「高瀬さん、あの……その、先輩が、渡してほしいって」

 

また先輩か。うんざりしつつ渡された銀行の封筒を開く。中には千円札が2枚と、五百円玉が一枚。要件を示す一筆はどこにも書かれていなかったが、何のお金かはすぐに見当がついた。

カバンから財布を取り出し現金をしまう。代わりに釣銭の16円とクリーニング店の領収書を封筒の中に入れた。

 

「これ、わたしからって言ってその先輩に渡しておいてくれないかな」

「うんっ、わかった」

 

彼女はほっとしたようにほおを緩め、渡された封筒を手に自分の席へと戻っていった。

春樹の示した水曜日の刻限に間に合ったことを、密かに安堵する。

これでしばらくは、静かで平和な学校生活が送れるはずだ。

 

 

間章 被り物を捨てるend.


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