モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 間章「被り物を捨てる」10

被り物を捨てる 10

 

「いってえ」

 

 

階段を下りながら洋人が肩を回す。

 

「技を決められたときに無理矢理抜け出すからだろ。相手が本気じゃなかったからよかったものを。へたすりゃ靭帯をやられてんぞ」

「あー、そんときゃそんときだ」

 

春樹は気のない返事をする洋人に呆れながら、自身も首をもんだり左右に傾けたりして筋を伸ばす。

人気の少ない放課後の校舎はどこか寂しい空気が漂っていて、疲労感にさらなる拍車をかける。緊張の解けた身体は強烈な疲れを訴えてきていた。

 

「あんたたちさあ。本当にどうしてここに来たの」

 

1階についたところで前を行く2人に問えば、春樹が足を止めてこちらに振り返る。

 

「お前がここで受けた仕打ちを俺たちに黙っていたからだろ」

「だから、わたしがいう必要はないと判断して伝えていなかったことを、どうしてそっちが把握しているのかを知りたいんだよ」

「世間の狭さとこっちの情報網をなめてんじゃねえぞ。お前がしゃべらなくてもここの様子なんざいくらでも知るすべはあるんだよ」

 

そういうものかと納得のできない言い方だ。具体的な情報の出御ころが全く示されていない。

だけどそこをわたしが追求するよりも春樹がきりこんでくるほうが早い。

 

「それで、お前はどうするんだ?」

「どうって」

 

なにを、とは聞かなくても分かる。わたしの今後の学校でのあり方について答えを求めているのだ。

先に行っていた洋人は昇降口の手前で足を止めた。携帯電話をいじっていても、こちらの会話に耳をそばだてているのは明白だった。

 

「今さら、現状維持なんて間抜けたことはいうんじゃねえぞ。てめえがなにもしようとしないなら、俺らが動く」

「あんた、日暮先輩の忠告聞いてたよね」

「聞いたとしても従うとは言ってねえ。俺たちがあいつらに気ってやる使う理由はねえ」

「理由はなくてもデメリットだらけだろ」

 

お互いに利益を生まない不毛な争いを好き好んで起こすとか、絶対にやめてほしい。

 

「障害物の排除にメリットもくそもあるか。やつらの壊滅がここに通う連中の見せしめになるなら、十分すぎるりえきがあるだろ」

「そういうことは潰した後の補償が確立してから言ってよね。あんたたちが皇龍の立場にとって代わるわけでもあるまいし。枷がなくなって混乱した治安最悪の学校に通わされるこっちの身にもなってよ」

「知らねえな。そんなもん自分でどうにかしろ」

 

こいつ、ひょっとしてわたしの敵じゃないよね。

昇降口にいた洋人が携帯電話をふたつに折りたたみ、こちらへと戻ってくる。

 

「お前、馬鹿じゃねえの」

 

春樹と違い、洋人の言葉はひねりのない正直一直線のものだ。裏を読む必要がない分、どストレートにけなされた時のダメージも大きい。

 

「馬鹿って、あんたには言われたくないよ」

「は? これまで自分を大事にしてこなかったやつが、これからの自分を心配てるなんてただの馬鹿でしかないだろ」

「なるべくしてなった結果を嘆いたところでどうしようもないけど、この先に起こることが悲惨でしかないと分かっていれば誰だって前もって回避しようとするよ」

 

洋人はなるほどと納得したように2、3度頷き、ならばと首をかしげる。

 

「つまり、起こってしまったもんについては、お前は文句を言わないんだな。おい春樹、ひとまずこいつは置いといて、先に皇龍に借りを返そうぜ」

「ああそれもありだな」

「お前たちはわたしを出汁にしてただ喧嘩をしたいだけか」

 

皇龍とモノトーンだと、組織の規模はかなりの差がある。真っ向勝負の肉弾戦じゃこちらに勝ち目がないのは誰が見ても明らかだ。

乱闘がしたいだけなら、こんなハイリスクのチームを選ばなくてもいいだろう。

 

「直球の喧嘩なんざ金輪際吹っかけねえよ。あいつらを崩すならそれなりのやり方でいく」

「おい、聞いてねえぞ」

 

どうやら既に春樹の中では対皇龍のシナリオができてしまっているようだ。洋人はとても不満気だが、気にくわないなら春樹を殴っておけばいいものを。そうすればよそ様に迷惑をかけないのに。

 

「もう皇龍は放っておこうよ。適度な距離を保って関わらないのがお互いにとって一番平和のはずだよ」

 

この街の守りを存在理由にしている皇龍は、離れた場所に住む春樹たちが彼らの領土に立ち入らない限り牙をむいてこないのだから。

そこまで考えて、改めて思い出す。こいつらが皇龍に喧嘩を売りに行ったそもそもの理由はなんだ? わたしだ。

 

「平和でいたいならお前が努力しやがれ」

 

追い打ちをかけられて、分の悪さを悟る。

不機嫌な感情を隠そうともせず、苛立ちをにじませた声音で春樹は続けた。

 

「お前が受ける理不尽な仕打ちは、俺らが動く理由に十分なり得るんだといい加減に自覚しろ。ただでさえ、毎日顔が見れなくなったお前を心配している綾音に追い打ちかけて悲しませてんじゃねえぞこら」

 

言うだけ言って、春樹はわたしに背を向け歩き出す。

 

「菜月もぶち切れだったぞ」

「……知ってるよ」

 

肩を落としながら、洋人とすぐそこに見えている昇降口へと歩く。

あの時の菜月の怒り方からして、おそらく説教はまだ終わらないだろう。

柳さんと関わったことで受けた僻みが、まさかこんな大事に発展するとは。面倒を回避してきたはずなのに、どうしてこんなに頭の痛い結果になってしまったのか。

昇降口の小さな段差を、春樹と洋人はこともなげに下りてそのまま出口へと向かう。今さらだけど、こいつら土足で校内を徘徊してやがった。

隅に置いておいた水に濡れたローファーは履いた感触が最悪だったけど、文句は言っていられない。

春樹の後に続く形で、わたしたちは校門にたどり着く。その間、誰ひとり口を開くことはなかった。

どんなことをされて、なに言われたら人の心は傷つくのか。心の忍耐力や弱点なんて、個人差のあるもので明確な定期はない。

わたしは自身の陰口をささやかれたところで不安にはならないし、他人に嫌われたとしても心は揺れない。むしろ人に気を使おうとしない自分が、他人に好きになってもらえないと嘆くのはおこがましすぎる。

人から向けられる悪意や敵愾心についても、「何を」されたかではなく「誰に」されたかのほうがわたしにとっては重要で、見ず知らずの他人に攻撃されたとしても、たいして心は揺さぶられない。

でも、わたしは大丈夫でも、わたしの大切な人たちも同様とはいかないようで。

この程度のこと。いらない心配をかける必要もないと判断して、みんなに報告しなかった。その結果がこのざまだ。結局は余計な騒ぎまで起こさせて、春樹たちを傷つけてしまっている。

何もかも上手くいかない。深いため息を何度こぼしてしまう。

学校の敷地外では、門扉の壁にもたれた菜月と成見が待っていた。

 

「あんた、まだ着替えてなかったの?」

「こいつらのせいでそんな暇がなかったんだよ」

 

菜月に言葉を返しながら成見の持っていたわたしのカバンをひったくる。

教室のロッカーに予備の体操服があったはずだが、鍵がカバンの中だったので開けれらなかったのだ。

さっさと着替えてカプリスに行かないと。バイトは遅刻になってしまう。もう静さんには正直に事情を話して謝ろう。

でも、その前に。

 

「ねえ、ひとつ聞いていい?」

 

後々、こいつらの学校侵入が問題になった時のため、わたしの打てる手は考えておかないと。

これは春樹に確認するのが手っ取り早いか。

 

「あんた自分の高校での、教職員からの信頼ってどれぐらいあるの?」

 

春樹がわたしの質問の意図を理解するのは早かった。

 

「マックスを100とするなら、俺が85。ちなみに有希は既に95くらいはいってる。何の問題もねえよ」

 

あくどい笑みを浮かべる男に、羨ましさ半分、安心半分の複雑な気分にかられる。

 

「シナリオの準備は」

「ぬかりねえよ。他校に通うダチがいじめを受けているのに、そいつの学校は見て見ぬふりで対策を取ろうともしない。だから見かねた俺たちが突っ込んだ。まあ、完全な嘘ではねえだろ」

「……了解」

 

今回の件が表沙汰の問題となったり、皇龍が何らかの交渉のネタに使ってきた場合を考慮して、春樹たちの高校の教職員がこちら側についてくれるのは大変心強い。

他校に許可なく侵入したという問題行動も、友人を助けるという目的で目くらましをしたら美談にできる。

後は無関係な世間がどちらの味方に付くか、というところだけど。皇龍という独自の文化を擁しているこの高校は、いっそう不利な立場に追いやられる確率が高い。

皇龍はこの街にとっては絶対的な存在だ。しかしながら、外を巻き込んだ世間一般の感覚を採用させれば異質で排除されるべきものに簡単に変化させられる。

春樹たちがこの高校で引き起こした騒動は、周囲に知られれば知られるほど、こちら側が有利に立ちまわれる。

そして何より円滑に事を運ぶためには、春樹たちの高校での大人たちからの信頼が重要になってくるわけだけど、わたしの心配はどうやら杞憂のようだ。

それにしても。

 

「有希が95って。あいつ、人心掌握のレベル高すぎじゃない?」

 

猫かぶりの本性を知っているだけに、騙されている人たちがちょっと哀れになってくる。

 

「そのうちどっかで教祖様とか呼ばれるようになったとしても、俺は全く驚かねえよ」

 

なにそれ、本当にありそうで怖いんだけど。

 

「分かった。そっちは何の心配もなさそうだから、わたしはとりあえず着替えてバイトに行くよ。続きは次に会った時でいいだろう」

 

早々に切り上げようとしたら、ここぞとばかりに菜月に睨まれた。

 

「わたしの話はまだ終わってないわよ」

 

承知してます。お説教の続きは覚悟できてます。

しゃあねえな、と。春樹が面白そうに口を開く。

 

「そう言うなら、次に会った際のお前の話が経過報告になるか、それとも結果報告になるかで、皇龍に借りを返すかどうかも決めるとするか]

「お、まじか」

「嬉しそうにされたところで希望は通さない。争いなんて起こさせないからね」

 

声を弾ませた洋人に釘を刺せば、ここぞとばかりに成見が前に出る。

 

「じゃあ、次の水曜日までに、結衣は全てを解決させているってことでいいんだね」

「……誰もそうは言ってない」

「言ったでしょ。自分の言動には責任持ちなさいね」

「そうそう」

 

なっちゃんはいいとして、便乗して得意気に相槌を打つ成見にはものすごく腹が立つ。こいつ、いつか覚えてろ。

 

「帰るか」

 

拍子抜けするほどあっさりと、春樹たちは学校に背を向けて歩き出す。

 

「せっかく来たのなら、柳さんのとこにも寄っていけば?」

 

思いつきで行ってみれば、苦虫を噛み潰したような顔で洋人が振り返った。

 

「誰が行くか。あんなおっさん、顔も見たくねえ。行くならお前らだけで行けよ。俺は帰るからな」

 

柳さんが担任を持っていたころからのトラウマは、そう簡単には消えないようだ。

 

「今日は手土産を持参してこなかったからな。あの人のところはまた今度だ」

「同窓会とでも銘打ってある程度人をそろえないと、行く気になれないわ」

 

春樹と菜月も、口々に柳さんのところへの訪問拒否の理由を告げる。苦手意識を隠そうともしないみんなを、成見だけが楽しそうに観察していた。

そうだね。あんたは昔から、なぜか柳さんとは馬が合ったよね。

門扉を離れていくみんなを見送ろうとしたら、菜月に「今さらだけど、あんたは早く着替えに行きなさい」と言われてしまった。

湿気った状態のスカートは、夕方の風で冷たくなって足に触れる。シャツは生乾きのような感触だし、下着とインナーのキャミソールは依然として水気を含んだまま。

緊張が解けたからか、今になって寒気がしてきた。

とぼとぼと歩いて校舎に戻り、階段を上る。乾ききっていない跳ねた髪を気休めに手櫛で整えながら、人気のない廊下を進んで教室へとたどり着く。

開けっぱなしの入り口で、思わず立ち止まった。

整列された机に背を向け、窓から外を眺めているマヤの後ろ姿を見つけたからだ。

物思いにふけっているためか。はたまた校舎中に響いている吹奏楽部の演奏がこちらのもの音と気配をかき消しているのか。わたしに気付くそぶりがない。

 

「三國先輩待ち?」

 

声をかけると、大きくマヤの肩がびくりと跳ねた。小さい悲鳴と同時に振り返った彼女は、目を見開いて息をのむ。

まさかそんなに驚くとは思ってなかった。

ひとまずカバンから取り出した鍵で自分のロッカーを開けて、予備の体操服を引きずり出す。

 

「結衣、大丈夫だったの」

 

我に返ったマヤが慌てて駆け寄ってくる。

 

「大丈夫だよ。災難に合いはしたけど、そこまで気にするものでもなかった」

 

ロッカーの上にカバンを放り投げ、シャツを脱いで着替えに取り掛かる。心配してもらって悪いけど、わたしのことよりも、今にも泣きそうなマヤのほうが気になって仕方がない。

 

「というか、知ってたんだ」

「……さっき咲田さんが教室に来られて、話してくれたの。あの部の人たちに呼び出されて、それで……」

 

言いにくそうな様子からして、何があったかは筒抜けになってしまっているようだけど。……なっちゃん、マヤにまで会いに来たって、何気に一番ここの高校観光を満喫してないかい。

 

「あー、うん。そうかー」

 

これはどうしようか。菜月はごまかしとかはぐらかしとか、そういった曖昧な話し方をしないからなあ。

こんなことでマヤが心を痛める必要はない、と。直球で伝えたところで、きっと意味はない。そう言ったところで、はい分かりましたと彼女が割り切れないのは十分承知している。

だから知らないままでいるのが最善だと判断したのに。どうやら菜月はそれすらも許してくれないらしい。

 

「気にするな、とは言わないけど、心配はしないでほしいかな。この件に関しては本腰入れてどうにかしないといけなくなったから」

 

日暮先輩とか、春樹とか。各方面のかけてくる圧力が半端ない。

 

「それはそうと、マヤがあったのは菜月……、背の高い女の子だけ? 身体の大きい俺様、もしくはガラの悪いヤンキーみたいなのとは話したの?」

「え……、いいえ。わたしがお会いしたのは、咲田さんだけよ」

「そっか。じゃあよかった」

 

モノトーンとして校内に侵入して、さらには皇龍に喧嘩を売ったあのふたりがマヤに接触していたら、どうしてやろうかと思ったところだ。一応、あいつらもそこらへんのリスクは考えて行動してくれたらしい。

着替えを終えて、水気を含んだ制服を畳む。明日は土曜だし、スカートはバイトの帰りにクリーニング店へ持っていこう。なんかもう、いろいろと後始末が面倒になってきた。

 

「あ、あのね、結衣」

 

呼ばれて顔を上げて、固まった。

まるでとんでもない悪事を犯してしまったと言わんばかりに憔悴しきったマヤの必死に涙をこらえる瞳に、開きかけた口を閉じる。そんな顔されたら、軽い言葉で流して逃げられない。

 

「咲田さんが今日、学校に来たのは、わたしが武藤さんに、結衣の学校でのことを伝えたから……で」

 

ああ、うん。いまのでいろいろ納得したよ。

確かにマヤなら、三國翔吾を通してでも、春樹の連絡先を入手できる。にしてもあんなダークホース、よく頼ろうと思いついたね。

 

「……黙っていてごめんなさい」

「いいよ。別に特別困ることもないから。むしろ、マヤのほうが大丈夫だった? あいつ、愛想がないから慣れないうちは当たりがきつくてものすごく怖かったんじゃない?」

 

言うと、マヤの瞳からぼろぼろと涙がこぼれ出す。

 

「や、ちょ……」

 

さすがに焦った。まさか春樹のやつ、ひどいこと言ったんじゃないだろうな。

しゃくりあげるマヤを落ち着かせるすべを知らず、ただ立ちづくすしかできない。

 

「あのね、……わたしね、少しだけでもいいから、結衣がわたしを思ってくれる気持ちを、結衣自身にも、向けてほしいの」

 

わがままを言ってごめんなさい、と。頬を拭っても拭っても、あふれた感情にはは手が見えないらしく、俯いたマヤはきつく歯を食いしばる。

 

「ごめんなさい……。結衣が平気でも、わたしは、平気じゃないの」

 

うん。そうだ。マヤを泣かせたのは春樹じゃなくて、わたしだ。

 

「結衣が、ひどいことをされているの、見ていて苦しくて。でも、わたしじゃ何もできなくて。ごめんなさい。余計な真似して、ごめんなさい」

「……謝らなくていいよ。わたしも、ごめんね」

 

わたしの謝罪は、大きく首を横に振って否定された。これには参った。

危険から遠ざけて、マヤを守ったつもりになっていた。自分が誰よりも馬鹿だったと痛感する。

泣かせたいわけじゃない。こんなに悲しませてしまってはわたしのしてきたことの意味がなくなる。

そういや前に、マヤを泣かせたら殺すって三國先輩に言われてたっけ。ごめんなさい。今回は完全にわたしの落ち度だ。

どうでもいい人間の罵声や暴力よりも、身近な人の怒りや悲しみのほうがよっぽどきつい。

面倒事の放置が大事な人たちを苦しめる結果になるのなら、わたしの行動は正さなければならない。

マヤには笑っていてほしい。春樹たちも、不要なリスクを背負わせるべきではない。

みんなに憂いはいらない。もう、手間を惜しんではいられない。

今回の一件は、わたしが急いでけりを付けないと。

続く


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