モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 間章「被り物を捨てる」9

被り物を捨てる 9

 

 

少し時間はさかのぼる。
 
  ☆  ☆  ☆
 
 
不安定な心が自身の行動を鈍くさせているのは分かっていたし、わたしの悩みは自分が一番よく理解していたけれど依然として解決の糸口は見つからないまま。
 
自分で決めたうえでの行動だったとはいえ結衣に対して秘密を抱えてしまった後ろめたさも相まって、ここ数日は放課後を迎えてもすぐに下校する気になれずのろのろと帰り支度をするのが日課となってしまっている。
 
翔吾に悩みを聞いてほしいと思う反面、この問題を打ち明けるのを迷う自分もいて。
 
忙しくて彼と一緒にいられない一週間は寂しくもあるけれど少しだけほっとできた。
 
その日も下校していくクラスメイトをぼんやりと見送ってから、ゆっくりとカバンにノートをしまった。
 
一通りホームルームの挨拶後すぐにカバンを持った生徒たちが教室からいなくなる。アルバイトがあるのか、結衣も足早に下校して行く。
 
少し時間が過ぎれば騒がしさがなくなり、わたしも帰ろうかと重い腰を上げようとしたちょうどその時、彼女がやってきた。
 
 
「高瀬結衣か、津月マヤって子、まだいるかしら」
 
 
教室に入るなり後ろ手でドアを閉めた彼女は室内に向かってそう問いかけた。
 
明らかに他校生だと分かる制服を身につけた女性に最初こそ戸惑いはしたけれど、わたしが警戒しながら名乗り出るとすぐにその人は自らを結衣の幼馴染だと自己紹介してくれる。
 
咲田菜月と。言われた名前には結衣の口から聞き覚えがあった。
 
 
「結衣は、もう帰ったのかしら」
 
「はい。ホームルームが終わってすぐに」
 
 
そう、と軽く頷いた咲田さんはスマホを取り出してどこかへ電話をかける。
 
 
「わたし。今、結衣の教室まで来たのだけど、本人には会えなかったわ。――ええ、そっちはどう?」
 
 
相手の話声は聞こえないけれど、会話を進めていくうちに咲田さんの表情が次第に不機嫌になっていく。
 
 
「あんた、もしかして結衣に見つかって逃げられたんじゃないでしょうね」
 
 
……それは、一体どういう意味なのかしら。
 
 
「まあいいわ。もし見つけたら捕獲しておいて」
 
 
逃げるとか捕獲って……おおよそ友人関係にある人を相手に日常で使用しない気がする単語が続発しておののいていると、そんなわたしに気付いた菜月さんが電話を切って苦笑した。
 
 
「あの子、自分が怒られると分かるとすぐに逃げようとするのよ。どうせ捕まるって分かってるくせに、毎回往生際が悪くて手を焼かされるわ」
 
 
面倒だと言いたげな口調なのに菜月さんはどこか楽しそう。さながら、狩りを楽しむ猟師を彷彿してしまう。
 
これは笑っていいところなのか。表情に困っていると菜月さんは改めてわたしと向き直った。長身のボーイッシュな彼女に見つめられ一瞬不覚にもどくんと胸が高鳴った。
 
 
「結衣のこと、春樹に伝えてくれてありがとう。ごめんなさいね。あいつ、無愛想な俺様で怖かったでしょ」
「え……、いえ!」
 
 
彼――武藤春樹さんの名前を口に出されて、彼と電話で話した時の記憶とあの時の緊張が蘇る。
 
咲田さんが偽物とかではなく、本当に結衣の友人なのだと確信できた安心感と、結衣に秘密で彼に連絡を取ってしまった罪悪感が心の中で同時に押し寄せ上手く口が回らない。
 
 
「それはそうと、わたし今、正面の門からまっすぐ昇降口に行って、校舎に入ったらすぐそこに見つけた階段を上ってここまで来たのだけど……、道中で結衣を見かけなかったのよ。最短ルートで来れたと思ったのだけど、もしかしてあの子、いつも別のところ通って帰ってるのかしら?」
 
「それはない、と思います。中央の階段を使うのが一番早いですし」
 
 
結衣を発見できなかったとなると昇降口で見逃したのではと思い至る。3学年全クラスの靴箱が置かれた死角も多い場所だから、入れ違いになってしまったのかもしれない。
 
咲田さんがスマホの画面をチェックして難し顔をする。
 
 
「あの……、咲田さんはその服装で、ここまで来たのですよね?」
 
 
とても気になったので思い切って聞いてみた。下校時間に最も人通りが多くなる校舎中央の階段を、彼女は人の波に逆らってこの教室に来たというのかしら。
 
咲田さんが当然とばかりに大きく頷く。
 
 
「こういうのは堂々としていたら案外怪しまれないものよ」
 
 
わたしの心配やまだ教室に残っている生徒の怪訝そうな視線も、咲田さんは全く気にした様子はない。ひょっとして、こういうことに慣れているの?
 
 
「そんなことより、あの子本当にどこへ行ったのかしら。ツレが校門のところではっているから、まだ学校の敷地から出てはいないはずなのだけど……」
 
 
考え込む菜月さんの表情は硬い。
 
わたしも嫌な予感がした。
 
先生からの急な呼びだしを受けた。そんな理由ならいいけれど。
 
でも、結衣を取り巻く環境を考えて、もしものことが起こっていたら……。
 
 
「あ……、あのさ」
 
 
教室に残っていたクラスメイトが怖々と話しかけてくる。
 
わたしと咲田さんに凝視された彼女は身を小さくしながらも言葉をつづけた。
 
 
「その、さっき、当番のゴミ捨てに行った時なんだけど。高瀬さん、グラウンドのほうに歩いていったの、わたし見たよ」
 
 
咲田さんと目を見合わせる。お互いがあまりいい予想を立てていないことが、視線だけでなんとなく分かった。
 
 
「教えてくれてありがとう」
 
 
情報をくれたクラスメイトに咲田さんが笑いかける。途端に彼女は頬を赤くし、俯いてもじもじとしながら友人たちがいるほうへと戻っていった。
 
気持ちは分かるわ。同性であってもときめいてしまうぐらい、咲田さんはとてもかっこいい。
 
 
「ねえ、マヤ。あなたこのあと、時間ある?」
 
「はい」
 
 
思いすごしならそれで構わない。とにかく今は結衣の安全をこの目で確認したくて、これから少し探しに行こうと思っていた。
 
咲田さんも心配でしょうし、もし結衣が見つかったら連絡しようと。わたしが提案する前に、自身に満ちた笑みを浮かべて目の前の長身の女性は口を開く。
 
 
「だったら少しの間、そのスカートを借りてもいかしら。さすがに校内を駆け回るのにこの格好だと目立つでしょうし」
 
「……はい?」
 
 
突拍子もないお願いだった。ぽかんとしてしまったわたしを置いて、言葉は続く。
 
 
「ここの生徒に結衣のことを聞くのにも、他校の制服だと警戒されかねないのよ。ついでに、今日はここの部活見学もしたいと思っていたから、できれば協力してほしいの」
 
 
部活見学。そう言った咲田さんの瞳が怪しく光る。
 
たくらみを隠そうともしないその人の楽しげな口ぶりに、ああこの人は結衣の友達なのだと、改めて納得してしまった。
 
 
 
 
 
――入れ違いになりたくないし、マヤはここで待っていてちょうだい。
 
あんたはここの生徒でしょう。結衣がおかしなことに巻き込まれていたとしても、あんたまで余計なところで余計なものから恨みを買う必要はないの。
 
そういうのは、他校生のわたしに任せて大人しくしてなさい。
 
 
そう言った彼女がいなくなって随分と待った気がするけど、時計を確認したらまだほんの数分しか経過していなかった。
 
あれから教室に残っていたクラスメイト達に走り去っていった咲田さんについていろいろ質問を受けたけど、わたし自身、彼女については結衣の友達としか答えられなくて。
 
みんな、早々に興味を失くして帰宅していったのは助かった。
 
校舎の上階から幾重に合わさる金管楽器の音が響く。吹奏楽部の身体の芯を揺さぶる音に耳を澄ませて不安を紛らわせる。
 
なにもできない自分がもどかしい。最善の方法を考えてきたつもりなのに、いつも振り返っては後悔ばかりしてしまう。
 
咲田さんの、迷うことなく自分を貫ける姿勢は今のわたしにはとても眩しかった。
 
しばらくの時間が過ぎて髪の毛を少し乱した咲田さんが教室に戻ってきた。
 
暑そうに襟元を指でつまんでぱたぱたと服の中に空気を送りながら歩いていた彼女が、こちらを見とめて口元を緩ませる。
 
 
「ありがとう。おかげで助かったわ」
 
 
お礼を言われるようなことをわたしはなにもしていない。
 
感謝の言葉を素直に受け止められず、作った笑みがぎこちないものになってしまう。
 
教室の中で咲田さんは腰のファスナーを下げて、履いていたスカートを脱ぐ。
 
室内にはわたしたちしかいないし廊下からも物音は聞こえないけど、こんなところ万が一男の人に見られたら不味いのじゃないかしら。
 
インナースパッツを履いているとはいえ、彼女の細くて長い脚を前にわたしまで目のやり場に困ってしまった。
 
わたしが手渡したカートを足に通し、目撃者を出さずに本来の制服姿に戻った咲田さんにほっと息をつく。
着替えを見届けて、こちらも自身のスカートを履いた後で足から体操着のパンツを取り去って制服に戻った。
 
 
「あの、結衣は?」
 
 
一通りの身だしなみを整えたところで気になっていたことを尋ねる。
 
咲田さんはスカートのポケットから取り出したハンドタオルで額の汗を拭いながら口を開いた。
 
 
「ひと悶着あったけど、まあ問題ないわ」
 
 
何事もなかったわけじゃない。その事実に背筋がざわつく。
 
 
「あの、結衣は?」
 
 
目の前にいる長身の女性は前髪をかき上げ、じっとこちらを見下ろす。わたしにどこまで話していいか品定めされているような、そんな視線に落ち着かない。
 
 
「集団に囲まれて、逃げられないように拘束されたところにホースで水をふっかけられてたわ」
 
 
抑揚なく言われた内容が具体的にどんなものを表しているのか。現実味がなさすぎて、理解が追いつかない。
 
だけどひとつひとつ言われた事象をイメージして頭の中でつなげていくうちに、頭から血の気が引いて行くのを自覚した。
 
 
「改めて言葉にしたら、結構しゃれにならないことが起こってたのよね。まあ、それについてはもう大丈夫よ。結衣は今別件でそれどころじゃなくなってしまったでしょうし。本人は相変わらず、自分のされたことには関心がないみたいだから」
 
 
呆れと達観が混ざった咲田さんの声を聞きいているうちに、静かに高ぶっていく感情をなんとか抑えつける。
 
結衣に起こったことに対する憤りや悔しさ、やるせない気持ちを彼女に悟られたくなかった。
 
当事者でもない、助けにも行けないわたしが人よりも感情を荒げていいはずがない。
 
喉の奥につかえた何かをぐっとこらえ歯を食いしばっていると、咲田さんが腰を曲げてかがむようにしてわたしの顔を覗きこんだ。
 
 
「我慢しなくて怒っていいのよ。結衣が平気そうにしているからって、あなたまで平気でいる必要はないわ。こういう時は、見ているこっちが鬱陶しくて気になって仕方がないから、早くなんとかしろって結衣の背中を蹴りあげてやればいいの」
 
「え……、でも、それは」
 
「変なところで鈍感だから、結衣はそれぐらいしないと気がつかないのよ。我慢して、マヤが苦しむほうが、あの子にとって一番辛いでしょうし。嫌なことは、遠慮なんて見せてないで正直に言ってやんなさい」
 
 
姿勢を正し、咲田さんは表情を和らげる。
 
 
「今度、一緒に遊びに行かない? 仲間内に綾音っていって、今日は所用で来れなかったんだけど、マヤと仲良くしたがってるのがひとりいるの。結衣も引っ張ってきて、女だけで楽しみましょうよ」
 
 
急な誘いだった。どう返事をしていいのか困るわたしに咲田さんは破顔する。
 
 
「返事は落ち着いてからでいいわ。だけどこのことは結衣に内緒よ。今回、散々心配をかけさせられた分、驚かしてやらないと気が済まないの」
 
 
人差し指を唇の前に持って行き、いたずらっ子のように肩をすくめて笑う彼女に戸惑いながらも頷き返す。
 
楽しみにしているわと。軽く言って、咲田さんはわたしに背を向け教室のドアへと歩き出す。
 
 
「じゃあ、わたしは行くけど、マヤはできれば時間をおいて教室を出たほうがいいわ。ここに戻ってくる途中、下の階がうるさかったから、下手にわたしといられるところを他人に見られるのは後々のことを考えても得策じゃないでしょうし。また会いましょうね」
 
 
それだけ言うと呆然とたたずむしかできないわたしを置いて、彼女は颯爽と去っていってしまった。
 
わたしもあんな人になりたいと、強い憧れを抱く。芯の通った、とても格好いい人だった。
 
誰もいなくなった教室で、外の景色を見ながら時間をかけて、高ぶった自分の感情をひとつひとつ整理していく。
 
――我慢しないで、正直に……。
 
頭の中では、咲田さんにに言われた言葉が何度も繰り返されていた。
 
 
 ☆  ☆  ☆
 
 
続く

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