モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 間章「被り物を捨てる」6

被り物を捨てる 6

 

マヤを巻き込むなと彼女に忠告した時。
 
三國先輩を焚きつけて、教室に乱入した彼が不審なメモについて警告した時。
 
俯き怯える彼女の姿を観察していて、正直に面倒臭い人だと思った。
 
筆記用具を紛失し、机に落書きされ、靴箱をゴミ箱代わりにされた。
 
そのひとつひとつの出来事が起こった直後に必ず、彼女は不安そうにちらちらとこちらの様子を窺っていて。
 
気付かないふりをし続けるのにも飽きて、わたしもあからさまな視線を彼女に向けているとすぐに目があった。視線の先の女子生徒は一瞬驚いた顔を見せたけど、すぐに申し訳なさそうにしゅんとして目をそらす。
 
牽制にもなりやしない。苦しんでいるのは自分も同じだと言いたげな表情に、こいつはまた必ずやらかすと確信した。
 
実際のところ、彼女の所属する部活の先輩が本当にくだらないことを後輩に強制しているのかどうか、わたしは知らない。
 
全てはマヤから又聞きした話ばかりだし、先輩とやらが命令を下している現場を直接見たわけじゃない。
 
もしかしたらわたしへの攻撃は部活という制限されたコミュニティ内で彼女が見栄を張るために、先輩を言い訳に使っているだけなのかもしれない。
 
はたまた彼女の訴えは本当であり、その部にとって学年によって生じる階級は絶対で部内では目上の者に逆らえない環境が出来上がっている可能性もあるけれど。
 
こちらからすればどんな理由であったとしても、だからなんだという話だ。
 
どんな背景があったとしても彼女がわたしに陰湿な攻撃を仕掛けている事実に変わりはない。
 
そして実行犯である彼女にとって、自身のしていることは「仕方がなかった」の言い訳ひとつで片付けてしまえる些細な行動に過ぎないもだったようだ。
 
本来ならばこちらを敵としてきた時点で忠告交じりの脅しを本人に直接言って害意を削げば済むのだけど。
 
今回の彼女に至っては、それすら躊躇われるほど打たれ弱い内面が見えてしまっていた。
 
案の定、彼女と一度面と向かって話をしただけで、この有様だ。
 
他人に対して自分と同じ精神力を求めるつもりはない。
 
だけど、わたしを悪者として嫌がらせをするならその悪者からの反撃もある程度覚悟しておけというのが本音である。
 
こちとら目立たない生徒でいるのを諦めた時点で、自身の特異性はそれなりに表に出してきたつもりだったけど、全てが無駄に終わったようだ。
 
きっと現在学校を休んでいる彼女は「わたしは悪くない」と思っていることだろう。
 
悪いのは自分に無茶な命令を下した先輩と、どうしようもない状況にいた自分をさらに追い詰めた、高瀬結衣というクラスメイト。
 
わたしも姿を見せなくなった彼女に対してはもはや勝手にしろとしか思っていない。
 
そういう意味では、自分が悪くないと感じているのはわたしも同じだ。
 
むしろ引っ込んでくれたおかげで、彼女の所属する部活の部員たちが出てきやすくなった。これは上々。
 
堂々と糾弾ができる理由ができて悪人らしくなってやったんだから、後輩を使ってないでいい加減大元が来いと念じていた今日、ようやく願いが通じたようだ。
 
 
放課後、昇降口で下靴に履き替えていると、運動着姿の女子の集団に名前を呼ばれた。
 
件の彼女のことで話があると言われ連れられるままにやってきたのは、運動場の隅に建つ用具倉庫の裏側だった。
 
プールと隣接しているこの倉庫の陰は校舎から完全な死角となり、なおかつ学校の敷地の外にある道路とは高低差と密集する垣根によって隔絶されている。
 
何かをするには絶好の場所だとぼんやり考えていると、いきなりひとりの女子に後ろから羽交い締めにされた。
 
この場にいたるまで、彼女たちの中で会話らしいものはなかった。女子の人数は10人と少し。
 
その中でも見るからに体格の良いやつが初動を起こしたのだから、これは前もって用意されていたシナリオなのかもしれない。
 
一応もがいてみたけれど、抜け出すのは早々に諦めた。力の差がありすぎる。
 
ならば逃げるよりも、今後のための素材集めに徹した方がよさそうだ。
 
集団をぐるりと見渡していく。人数は12人。後ろで拘束しているやつも含めて13人か。これぐらいなら十分に顔も覚えられる。
 
わたしにとってはただのクラスメイトで、ここにいる人たちにとっては部の仲間である彼女の名前を口に出し、目の前の女は仇だとわたしに言った。
 
そしてこちらが口出しする隙を与えず地を這っていた足元の緑のホースを手に取る。それを見計らい、倉庫の近くにいた女が水道の蛇口をひねった。
 
出口を人の手で圧迫され勢いをつけた水が顔にぶつけられる。反射的に目をつむり顔を横に背けると周囲からどっと笑い声が聞こえてきた。
 
ああ、これは聞く耳持たずの話し合いができなり連中だ。ならば方針を転換しないと。
 
ホースの水は顔だけにとどまらず、白いシャツやスカートを水浸しにしていく。
 
わたしの後ろで拘束している人にもかかっているはずだけど、ホースを持つ女はそれを気にする様子はない。主将かどうかは別にして、部の空気を支配しているのはこの女だ。
 
女がホースを操って一直線にした水をスカートの上、ちょうど股間の位置に来るようにあてられる。
 
 
「いやーん」
 
「おねしょだー」
 
 
はやし立てる声に周りもつられて爆笑する。現段階では女の行動を心配する者は見当たらない。
 
これは冷静になって思い返した時に不安が押し寄せるパターンのテンションの上がり方だ。
 
 
「なんとか言えよおら」
 
「うちらの大事な仲間傷つけといて、まさかこの程度で済むとは思ってないよね」
 
 
言われた言葉は可能な限り、誰がなにを言ったかも含めて頭にたたきこむ。さて、これからどうしていこうか。
 
 
「なんか言えっつってんだろ!」
 
 
再び流水が頭にかけられる。口を狙ってきている時点であんたの言葉と行動が矛盾しているのだけど、これはきっと指摘してもどうしようもないことだ。
 
 
「くだらない」
 
 
見計らって呟けば強烈な勢いになった流水を顔面にぶつけられ、水が鼻から気管に入ってせきこむ。
 
カシャッ、と。短い機械音に顔を上げる。集団のひとりがこちらにスマートフォンを向けていた。
 
写真か動画かは判断できないけどそのデータはわたしにとってかなり魅力的なものだ。映す媒体は持ってないけど、ものすごくほしい。
 
スマートフォンを持っている人、名前はなんていうのだろう。後で調べてみよう。
 
集団の罵詈雑言に耳を傾けながら今後について考える。
 
ひとまずこれだけやらかしてくれたのだから、大事にして彼女たちは部活ごと表に引きずり出しても構わないだろう。
 
手間がかかって面倒なことこの上ないけれど、この際教職員も含めた学校全体を巻き込んでしまって一戦交えてもいいかもしれない。無論、皇龍だって例外じゃない。
 
そういえば、クラスの誰かがもうすぐ部活の秋季大会だと言ってたっけ。
 
すぐに問題沙汰に取り上げ和解を促すであろう大人たちの前でごねにごねて、彼女たちの大会に影響が出るまで事態を長引かせるか。
 
それともあえて大会直前に問題を明るみにするか――。
 
どっちの方が、こいつらにとってダメージが大きい?
 
やると決まればできるだけ派手に、学校中の誰もが知り得るまで事を大きくしよう。
 
見せしめになってもらわないと割に合わないじゃないか。
 
かけられる水は冷たいけれど残暑の厳しい9月の気候ではさほど苦にならない。
 
真冬に水を吹っかけられたあの時のほうが、よっぽど寒くて痛くて、凍えて苦しかった。
 
おそらくグラウンドから他の運動部の声が聞こえてくるころにはこいつらの気もすむだろう。
 
この水攻めもそう長く続かないはずだ。
 
だけどその前にもしもこの場を第3者に見られたらどうしようか。
 
証人が得られるのはありがたいけど噂は人の口から口へと広がるうちに思わぬ方向へと行きかねないから、証言してもらうにしてもいっそうの注意が必要になる。
 
 
「反省した? まあ、わたしたちに土下座したら許してあげなくもないよ」
 
 
あ、わたしこれ知ってる。今のセリフはインターネットの世界において鎮火が大変な山火事を引き起こす案件だって、前に有希が教えてくれたやつだ。
 
しかしながらここはリアルな世界なわけで、だからどうってこともないけど。
 
 
「反省はしないし、許してほしいとも思っていない」
 
「は? きっしょ。なにこいつ」
 
 
いきり立つ女子たちを観察しながらどうしたものかと思案に暮れる。
 
時間が経過するにつれ、集団の中に変化が出始めた。
 
引くに引けなくなったホースを手にする女と、そいつの空気に流されたままの中心人物たち。
 
その周りでは次第に飽きてきたのか時間を気にする者や、笑い顔が消えて表情に不安を浮かべながらこちらを睨んでいる者がいる。
 
こいつらは一枚岩というわけじゃない。ほころびがあるなら、結束も簡単に崩せるだろう。
 
いろいろと考えていると視界の隅が揺れた。
 
 
「あんたたち、なにしてんの!」
 
 
そんな言葉とともに倉庫裏に息を切らせた制服姿の女子生徒が走る勢いのまま乱入してくる。……って、あれ?
 
いきなりの大声。突如現れた乱入者。事態について行けず、集団はぽかんと口を開いて固まってしまった。あっけにとられて動けないのはわたしも同じだ。
 
怒りの形相で額に汗をにじませた制服姿の女子はずかずかとこちらに近付き、わたしの前で立ち止まる。
 
 
「その手、放しなさいよ」
 
「は? ……え?」
 
「放せっつってんでしょうが!」
 
 
怒声と共に彼女の蹴りがわたしを拘束していた女子のすねを直撃する。
 
うめき声とも悲鳴ともとれる声が鼓膜を揺らしたかと思えば、すぐに身体は自由になったのだけど。後ろで片足を押さえてうずくまる女子をちらりと見て嫌な汗が流れた。
 
目の前にいる、うちの高校の制服を着こなした細身で背が高く短い髪の怒れる女の子は、半眼になってわたしを見下ろす。
 
怖い。ものすごく怖い。
 
 
「あ、ん、た、ねえ」
 
 
慎重さもありわたしの濡れた頭を抑え込むように乗せられた彼女の大きな手のひらが、容赦なく鷲掴みにしてくる。
 
 
「なにが高校は特に問題なく過ごしてる、よ! これのどこが問題のない状況なのか、わたしの目を見ていちから説明なさい!」
 
「痛い痛い痛い! なっちゃん痛い!」
 
 
頭蓋骨が軋む。頭上の手をぺしぺし叩いて訴えたら解放してくれたけど、彼女の怒りはおさまっていないらしい。いやそれよりも、この人こんなところでなにしてるの。
 
 
「……なっちゃん、なんでいるの?」
 
 
違う高校に通う友人に恐る恐る声をかければ、彼女――咲田菜月は額の汗を拭って深いため息を吐き出した。
 
 
「あんたが昔となにも変わらない馬鹿だからよ」
 
 
呆れかえっている菜月がわたしの顔に張り付いている髪の毛を指で横に流す。
 
 
「どうしてあんたはこれを苦しいと思えないのかしらねえ。心配するこっちの身にもなってみなさいよ」
 
「や、だから、知らなきゃ心配かけることもないし……」
 
「だーかーら、そういうところを直しなさいって、前に言ったばかりでしょうが!」
 
 
今度はげんこつで頭を挟んでぐりぐりーと。
 
 
「痛い痛い! ごめんなさい!」
 
 
いや、もうね。周りを取り囲んでる女たちの比じゃないよ。菜月のほうが断然怖い。
 
 
「んだよ。てめえら、調子乗ってんじゃねえぞ!」
 
 
ようやく我に返った女がどすの利いた声で怒鳴るけど、手に持ったホースは地面に向けられたままだった。おそらく急に出てきた得体のしれない菜月について、立ち位置を決めあぐねているのだろう。
 
 
「あら、わたしたちが楽しく和気あいあいと話しているだけで、そっちに何か害があるの? なにもないなら放っておけばいいのにどうしていちいち突っかかって来るのよ。あんまりむきになると程度が知れるわよ」
 
「自分たちが楽しんでいるところに乱入されて場の空気を壊されたら、誰だって不快になるよ。あとこれは楽しくないよ、なっちゃん」
 
「あんたは黙ってなさい」
 
 
また怒られた。ほんと、なっちゃんどうしてここにいるのさ。
 
堂々と、だけど冷やかにリーダー格の女を睨む菜月に対し、女子の集団がしてくる威嚇には迷いがにじんでいるのが良く分かる。後ろめたいことをしている現場を、よく分からない第3者に見られたのはダメージが大きいようだ。
 
 
「ふざけてんじゃねえぞ」
 
 
だけどわたしの前にいる女だけは怒りに手を震わせていて、今にも手に持つホースを菜月に向けてきそうだ。さて、どうしたものか。
 
そうこうしていると、またもや倉庫の角から人が姿を現した。
 
 
「やっと見つけた。まったく、相変わらず菜月は足が速いね」
 
「……げえ」
 
 
登場した人物を目にして自然と顔が引きつっていくのを自覚する。
 
白シャツにこの学校の制服とは違う、モスグリーン色のパンツを着用しているその男。
 
さわやかに笑いながらも軽く息を切らせている辺りこいつもその服装で校内を走ってきたのかと推測できるが、それはさほど気にするまでもない些細なことだ。
 
 
「お前、なにしてんの?」
 
 
仲間内で笑顔と腹の黒さに定評があるこの男、市宇成見はわたしの問いにわざとらしく首をひねる。
 
 
「なにって、菜月のいるところに俺がいてもなにも不思議じゃないでしょ」
 
 
言いながら、成見もこちらへと歩み寄ってきた。集団が作る輪の中央に来た男はぐるりと周りを見渡してから、ゆっくりと女の手に持たれたホースを指差す。
 
 
「それ、彼女に向けたらお前の人生水没させるよ?」
 
 
脅された女がひぃっと短く悲鳴を上げてホースを地面に落とす。――彼女、と示された菜月が「この程度で」とつまらなそうに呟いたのは聞き逃さなかった。
 
 
「いや、別にこっちはいくらでも水浸しにしてくれて構わないんだけどね。ここまで濡れてると、なんかもう今更な気もするし」
 
 
女の次は指でわたしをさし示し、成見が続ける。
 
 
「夏休み、身内にバケツの水を吹っかけた因果が巡りに巡って自分に返ってきただけだろう。こんなもの、軽い軽い」
 
「……ねえ、ふたりとも。本当に、ここになにしに来たの?」
 
 
いい加減に話を進めよう。頑張って軌道修正しないければ。成見にこの場の支配権を譲ってしまったらわたしにまで被害が及びかねない。
 
 
「なにって」
 
 
菜月と成見が顔を見合わせる。
 
 
「俺たちは結衣がどんな高校に通っているのか知りたくて、みんなで観光しに来ただけだよ」
 
「おい待て成見。今、みんなって言ったな。他に、誰と誰と誰が来てるって?」
 
「そんなに多くないよ。あとは春樹と洋人のふたりだけだ」
 
 
うーわー。格闘大好きコンビだ―。
 
 
「で、姿が見えないふたりは今どこへ?」
 
「ん? あいつらなら、この高校一番の観光名所に腕試しに行って来るって」
 
「馬鹿じゃないの!?」
 
 
焦るわたしを涼しげに見下ろす成見が憎い。菜月にいたってはリーダー格の女にガンを飛ばして牽制しているようで、こちらの話に入ってこようとすらしない。
 
どうしよう。さっきまで緻密に組み立てていた今後の計画が粉々になっていく。
 
 
「ええっと。あいつら、わたしの高校生活を潰したいの? わざわざ学校に乗り込んでくるとか、嫌がらせとしか思えないんだけど。本気なの?」
 
「あはは、そうだね」
 
 
そうなのか。
 
 
「春樹たちを止めたいなら早く行けば? 俺らはあのふたりがどこで誰にちょっかいかけようが、痛くもかゆくもないわけだし。あっちは結衣の好きにしたらいいんじゃないかな」
 
「ちなみに、誰のところへ行くつもりだとか、そういうのは」
 
 
聞いていないのかと問う前に成見が口を挟む。
 
 
「そりゃあ、せっかくここまで来たからには一番上を探していくんじゃないかな」
 
「お前らほんとにふざけんな!」
 
 
これは女子集団に構っている場合ではない。カバンを成見へと放り投げて急いで校舎へと駆けもどる。
 
スカートが足に張り付いて非常に動きづらいけど、今はそれを気にしてもいられなかった。
 
 
 
 
  ★  ★  ★
 
 
 
「さて、と。邪魔はなくなったから、こちらも話を始めましょうか」
 
 
結衣が去ったのを見届けて菜月が口を開く。
 
 
「なんだよ。お前と話すことなんかないよ」
 
 
舌打ちして虚勢を張る女を前にしたところで菜月は全く動じない。
 
 
「こっちは大ありよ。仲間が目の前で水浸しにされるのを見せられてなんとも思わない、薄情な人間にはなりたくないの」
 
「それを言うなら高瀬だってうちらの仲間を追いこんで、登校できなくさせやがったんだ! 許せるわけないでしょ!」
 
「あっそ。どうでもいいわよそんなこと。どうせそいつが結衣にいらないちょっかいをかけて返り討ちにされただけでしょ。同情の余地もないわ」
 
 
きっぱりと言い切られ集団がざわめく。
 
 
「……だからって、言い返し方とか、もっと考えられたでしょう。なにも、心がずたずたになるまでひどいこと言わなくても」
 
「それを嘆くなら、言葉を使った攻撃に容赦ができないヤバイ女に手を出してしまったことも、同様に嘆くべきね。そもそも人をいじめておきながら、手を出した子に一体どんな優しさを期待したのよ。ばっかみたい」
 
 
ゆっくりと、菜月が集団の中心となっている女に歩み寄る。
 
 
「あんたたち、部活全体で高瀬結衣のことを嫌っていたんですってね。結衣ひとりを悪者にして一件を終わらせようと頑張っているようだけど、残念だったわね。ここまでくれば当然、例の追い詰められた女が結衣にちょっかいをかけてきた背景に、あんたたち部員の意思が関わっているという見方は避けられないわよ」
 
 
やらかしてしまった罪の意識から逃れるのは許さないと、菜月はまっすぐに女を見下ろす。
 
動揺した女が唇を震わせる。
 
違う。悪いのは高瀬だ。そしてあいつを庇う、この女も!
 
理性が感情に追いやられ、怒りのままに片手が振りあげられる。先程までホースを握っていた女の右手だ。
 
しかしその手は人を攻撃する目的で振り下ろすこと叶わず、高く上がった状態で菜月の左手に手首をつかまれる。女が驚き手を引こうとするが、捕えられた右手はびくとも動かない。
 
 
「ふーん。あんたのルールじゃ、気にくわない人間は気分次第で痛めつけても構わないってわけね。その道理にのっとるなら、わたしがあんたをぼっこぼこにしても何の問題もないわね。安心したわ」
 
 
突如女がわめいて身をひねらせる。
 
痛い、止めてと叫んでも菜月は涼しい顔のままだ。異様な光景に周囲は困惑を隠しきれない。
 
女の手首をつかむ菜月は、別段爪を立てて肌に食い込ませているわけでもない。ただ本当に、手首を握っているだけ。
 
咲田菜月。元バレーボール部所属。部活を引退してからも日々筋トレとランニングを欠かさない彼女の握力が、左右共に50キログラムを超えていることをこの場で知っているのは成見だけだ。
 
 
「わたし今、ものすごく虫の居所が悪いの。だから、あなたの理屈はとても助かるわ。倫理や社会のルールに縛られることなくうっぷんが晴らせるのだもの」
 
「痛い! ほんとにやめて!」
 
「なに? 自分が人にするのはいいけど、される側になるのは駄目なの? どれはまた、どうしてかしら?」
 
「お願いやめて! 話を聞いてって!」
 
「嫌よ。話し合いなんて面倒なことしないで、嫌いな者同士ぶつかりあいましょうよ。最後に残るのは強い方。わたし、弱肉強食は嫌いじゃないわ」
 
 
そう言いながらも菜月は女の手を放す。掴まれて赤くなった手首をさすりながら、女は涙目でぴくりとも笑わない菜月の顔色をうかがう。
 
完全に戦意が削がれた集団に成見は小さく肩をすくめた。
 
菜月とて、だてにあの屁理屈女の幼馴染を長年務めてはいない。彼女が結衣を助けに行くことについて成見自身特に心配はしていなかったけれど、相手が予想以上に手ごたえがないのもつまらないと感じてしまうようで。
 
この程度のやつらに菜月の手を煩わせるなと。現在、成見の不満の矛先は先程この場を去った、彼にとっては最大の恋敵ともいえる屁理屈女こと結衣に向けられていた。
 
こんな小者、相手にするだけ時間の無駄だ。
 
成見が菜月の隣へと足を進める。
 
出しっぱなしとなったホースの水によりできた浅い水たまりに波紋が浮かぶ。
 
 
「憶えておけばいい。モノトーンは、仲間に手出しするやつには容赦しない」
 
 
成見と菜月。長身の男女が肩を並べるとなかなかの迫力だった。女はたじろぎ、首をすくめて身を縮ませる。
 
 
「……モノトーンって、なによ」
 
「俺が言わなくても、そのうち知ることになるだろうね」
 
 
現在進行形で自分たちの仲間がせっせと宣伝活動に勤しんでいるだろうから。
 
 
「行きましょう」
 
 
もうここのやつらには興味が失せたと、菜月が成見に声をかけその場を去っていく。
 
倉庫の角を曲がる。ふたりの姿が見えなくなっても、残された者たちはしばらくそこを動けなかった。
 
 
 
「じゃあわたし、マヤにスカートを返してくるわね」
 
 
校舎へと歩き出した菜月を見送り、成見は一足早く学校の敷地を後にした。
 
 
 
  ★  ★  ★
 
 
 
続く

BACK  TOP  NEXT

 
Loadingこのページに「しおり」をはさむ