モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 モノトーン編下7-2

7-2

 

「……わたしが春樹に感じていた不安は、結衣が春樹の隣にいなくても消えることはなかったわ」

 

綾音の笑みが自嘲気味なものになった。

 

「馬鹿なことよ。結衣がいなくなって初めて気付くなんて。この不安な気持ちは誰だって少なからず持っているもの。消し去ろうとすること自体が不可能なんだと菜月に怒られて、そこでようやく悩んでいるのはわたしだけじゃないのだと知ったの」

 

照れてそっぽを向いた菜月の頭を成見が撫でた。

 

「わたしがわがままで自分勝手だったの。先のことなんて分からないのに、結衣と春樹の関係、それに自分のことも、あれからずっと考えていたわ。結衣が春樹を好きになる可能性は確かにゼロじゃないけど、わたしはそれでもいいの」

 

そこまで思いつめなくてもいいだろうに。もういいんだと綾音に言おうとしたものの、真剣な目につい口を閉ざしてしまった。

 

「いろんなことを想定して、たくさん考えたわ。それでわたし、他の女なら絶対に嫌だけど、結衣とだったら一緒に春樹を愛し合うのも有りなんじゃないかって思える自分にも気付いたの」

 

…………いやいや。

頬を赤くして上目遣いとか、綾音がするとすごく可愛いんだけどさすがにこれはいただけない。

 

「おい、お前の彼女、とんでもないこと言ってるぞ」

「さすが綾音。他に類を見ない包容力だ」

「惚気てないで止めやがれ! お前も当事者だろうが!」

 

ベッドを挟んで正面に座る春樹は腕を組んで満足そうに頷いている。その余裕が非常に癪だ。

 

「俺は単に綾音の懐の広さに感動しているだけだ。妻であってもたとえ愛人だろうが、そんな立場でてめえが俺の隣にいるなんざ……うげ、死んでもごめんだな」

「こっちだって土下座されても願い下げだ!」

「大丈夫よ結衣。春樹を説得する日が来たらわたしも協力するわ」

「しなくていい! お願いだからおかしな方向で話を収めようとしないで!」

 

なぜだ。どうしてこの場で焦っているのがわたしだけなんだ。

洋人と有希はまたやってるよって感じな目で見てくるし、成見は菜月の背中に顔をうずめて肩を震わせている。空気を読んで必死に笑いをこらえているのだろうが、これはいつ爆発してもおかしくない状態だ。

 

「――なっちゃん!」

「そんな呼び方しても駄目よ。今回ばかりは助けないから」

 

頼みの綱だった菜月も冷たい。この場に味方はいないらしい。

 

「綾音、そんなところで気を使わなくていいから。というよりもそんな想定はいらない。こんな人使いの荒い俺様と私生活 一緒にしたいなんて、わたしが一生望むことなんてない。生涯かけて誓えるよ」

「俺だってこんな自由奔放すぎる放し飼いでしか生きられない猫なんざ、家の中に置きたいとは思わないな。こういうやつは外で会うぐらいがちょうどいい」

「そう思ってるなら綾音を止めろ!!」

「ぐはっ!」

 

成見が噴き出したところで一時休戦。

ひいひいと笑い続ける成見は菜月に任せるとして、考えは同じなのになぜか喧嘩腰になってしまう春樹はどうしたものか。ふんぞり返っている様がとてつもなく気にくわない。

春樹を睨んでいると、綾音がわたしに向かって身を乗り出してきた。上体をこちらに預けるように、綾音と体が密着する。

抱きしめられたのは、いつぶりだっけか。

 

「不思議ね。あれだけ怖かった周囲の人たちのうわさや視線も、悪口も陰口も嫌みだって、今は全く気にならないの。そんなもの結衣がここにいないことに比べたら、意識するに値しないわ」

 

耳元でささやかれるのがくすぐったい。

綾音の肩にあごを乗せて背中をぽんぽんと軽く叩いたら、抱き付く腕に力が入った。

 

「ねえ、わたしもここが好きなの。結衣と春樹と、みんながいてくれる、この場所がいいの。わたしも強くなるから。結衣が、ここにいる誰もが心を砕かなくてもいいぐらいに、強くなってみせるから――」

 

一緒にいたい。離れたくない。そう望むのは簡単だった。

だけど個々の者が希望を押し通すだけでは、願いは同じであっても意見は衝突する。強く思い合えば思い合うほど、なおさらに。

人の気持ちに気付いて、思いやり、覚悟を決めて、大切なものだけを掴み取る。仲間と共にあるために重要なことを、改めて思う。

 

「いつまでそうやってんだ」

 

春樹が片手で軽々と綾音をベッドの中央に戻す。不機嫌そうな顔つきに先程の留飲が下がった。

 

「うらやましいだろ」

「お前本気で黙れ」

「ようやく一段落つきそうな時にそうやって食ってかかるな二人とも」

 

睨みあいは有希の仲裁で終了する。

くすくすと笑う綾音にも毒気を抜かれてしまった。

 

「にしても長い喧嘩だったな」

「言わずもがなに新記録更新ね」

 

しみじみと漏らした洋人に、菜月までもが遠い目をする。

 

「次があったら、ひょっとすると年単位の戦いになるかもね」

「あほか二度と塗り替えんじゃねえこんな記録」

 

面白そうに成見が言うも、洋人が釘をさしてきた。

この空気がわたしは好きだ。仲間と作る、この空間がいいんだ。

高校に入学した時には予想もしなかったけど。

みんなの声に実感する。

 

――戻れた、と。

 

「結衣」

 

綾音が自らの首にかけていたペンダントを外し、チェーンをわたしの頭に通した。

手に取ったペンダントトップは、シルバーのプレートだった。

描かれていたのは黒猫のシルエットと、『YUI』というわたしの名前。

 

「おかえりなさい」

 

優しく微笑む綾音に照れくさくなって下を向く。本当に、長い家出だった。

 

「……ただいま」

 

小さく呟いたつもりだったが、綾音にはばっちり聞こえていたようだ。

再びわたしに抱きついて来た綾音を見てしかめ面をした春樹を、成見がからかって遊んでいた。

 

 

続く


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