モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 モノトーン編下6-7

6-7

 

わたしが言葉を返す前に、綾音のいる病室のドアが開く。

 

「ゆっくりお休みになられてますよ」

 

女性の医師が小声で春樹に伝えて、看護師を連れて去っていく。

立ち上がった春樹が指でわたしも腰を挙げるようジェスチャーする。綾音に会えということなのだろう。

緊張しながらも、春樹に続いて病室に入った。音をたてずにスライド式のドアをそっと閉める。

点滴の管が腕に刺さり、仰向けでベッドに横たわる小さな体。眼帯がしてある右目の下、頬の部分もガーゼで覆われた綾音の左目は、虚ろに開かれ天井を眺めていた。

 

「綾音」

 

顔の近くで春樹が呼んで、ようやく綾音はわたしたちに気付く。途方もなくさまよっていた綾音の左目がわたしに向けられる。

一瞬見開かれた瞳はすぐに細められた。唇がゆっくりと動く。

 

「気にする必要なんてないのよ。わたしが自分でしたことだから」

 

気丈に振る舞って綾音は笑う。青い痣になった口の端が痛そうだ。

 

「危ない目にあえば、少しは関心を寄せてもらえるかもしれないって、そう思ったの。怪我をすれば、結衣は心配してくれるんじゃないかって、頭の中で考えたわ。そんな打算があっての結果よ。だから、みんな何も気にしなくていいの」

 

力の入らない淡々とした口調で綾音は言い切る。

春樹は何も言わず半歩下がり、綾音に近い場所をわたしに譲った。手の届くところにあった椅子を手繰り寄せ、綾音のすぐそばに腰を下ろす。

 

「そうやって自分を卑下にするの、綾音の悪い癖」

 

昨年の12月だってそうだ。

周りを正当化するために、綾音がへりくだる必要なんてどこにもないんだよ。少なくとも、わたしたちの前では正直にあり続ければいいんだ。

 

「綾音が自分のことをどう思っても、危ない目にあった事実は変わらないよ。怪我をしたのも、痛くて怖かったのも」

 

わたしたちがすごく心配したことだって、綾音がどんなに強がっても、何も変わらない。

綾音の顔から無理やり作った笑みが消える。何かを言おうとした口はすぐに閉ざされ、再び開かれたものの声にならなかった。

彼女の言葉を待たず、わたしは思いを告げた。

 

「無事でよかった」

 

また話ができる。生きているなら、次がある。

言えることなんて、これひとつで十分だ。

 

「――……結衣……」

 

伸ばされた手の上にわたしの右手を重ねる。手の平は熱く、綾音の手首に出来た擦り傷には薬が塗られて肌が赤茶色になっていた。

 

「大好きなの。……あなたと一緒にいたいの……」

 

嗚咽を混じらせ綾音は何度もごめんなさいと繰り返す。

 

「謝るのは後にしようよ。今は休んで、今度ゆっくり話そうよ。また、主張が食い違うかもしれないけれど」

 

ぎゅっと、綾音が手に入れる力が強くなった。

 

「そうなったとしても、どこにも行かないしちゃんと向き合うって約束する。一方的に押し付けたり、卑屈になるのじゃなくて、ちゃんと納得するまで話をしよう。勝手にいなくなったこと、わたしも反省してる。諦めないで、次は言葉を尽くして考えようよ」

「…………うん」

 

涙で顔をくしゃくしゃにして、綾音が頷く。感情が高ぶってなかなか落ち着けないようだ。

春樹から渡されたガーゼのハンカチで綾音の目元を軽く拭う。素手で触れた額は熱をもっていて、無理をした体が休息を必要としているのは明白だった。

 

「少し休もうか。苦しい時にいろいろ言ってごめんね」

「……うー……」

 

幼子が駄々をこねるようにいやいやと首を振って、綾音はわたしの手を放そうとしない。掴まれた右手の捻挫に響くため、力で引きはがすのは無理そうだ。

 

「心配しなくてもまた来るよ。今日も面会時間ぎりぎりまでここにいるから」

 

言いつつ春樹をうかがうと、無言で腕時計を見せてきた。現在時刻は19時40分。面会時間は20時までだったはず。病院を出るまであと20分しかないじゃないか。

 

「綾音、熱が下がって体が良くなって退院した時には、結衣が好きなところに付き合ってくれるらしいぞ」

 

ちょっと春樹、いつ誰がそんなことを言った。

 

「……ほんと?」

 

春樹の言葉に綾音が目を輝かせる。

 

「ああ。だから今はゆっくり休んで早くよくなれ。お前がまた無茶して入院が長引けばこいつの気が変わりかねないからな」

「……いや」

「うん。わたしも嫌だな」

 

ここは春樹に乗っかっておく。

綾音はしぶりながらも手を布団の中に戻し、体の力を抜いた。もともと体力が限界だったのか、すぐにうとうとし始める。

 

「……クリスマス、今年は一緒に過ごしましょうね」

「ああ。去年何もできなかった分、盛大にするか」

 

春樹の提案に綾音は嬉しそうに微笑む。

 

「……卒業旅行も行ってないわ」

「そういや前にそんな話もしてたね」

「………誕生日も、結衣におめでとうって、言えなかったわ」

「今ちゃんと聞いたから。何なら綾音の誕生日に一緒に祝ってもらうとするよ」

「……ふふ、すごく楽しみ」

 

次第に声が小さくなり、眠りに付いた綾音を見届けてわたしと春樹は病室を後にした。

 

「家まで送ってやる」

「実家?」

「……現住所までだ」

「それは助かる」

 

そんな会話をしながら病院を出て駐輪場のバイクスペースまで足を進める。

 

「俺の運転になるがいいか? 嫌なら車寄こすぞ」

「別に嫌じゃないよ。何か問題あるの?」

「いや、お前妙なところで神経質だからな……」

 

バイクの運転が荒いとかならぜひとも安全を考慮してほしいところだが。免許を取っているなら乗せてもらって構わないだろう。

急に立ち止まった春樹がわたしを見下ろしてくる。

照明の逆光になって表情はうかがい知れないが、数秒もたたないうちに再び歩き出しす。

 

「そういやここまでは凍牙の後ろに乗ってきたんだな。ヘルメット持参している時点で問題はないか」

 

ひとりで自己完結してしまった春樹はそれ以上何も言ってこなかった。

春樹の腰につかまって、安全運転でマンションまで送ってもらったのだが、わたしの荷物は全て柳さんの店に置いてあることを思い出した。

それを春樹に伝えると、道案内はちゃんとしろとだけ言われて、雨知らずまで届けてくれた。

 

「いるもん持ってとっとと出てこい」

 

バイクのエンジンをかけたまま店の外で待っていた春樹の後ろに乗って、再びマンションへと向かう。

本日買った大きな荷物は後日回収するとした。

マンションの玄関口でバイクから降りる。

 

「ありがとう」

「次はいつ来るんだ? 迎えをよこすぞ」

「いいよ。そんなことしなくて。明後日、ちゃんと自分の足で綾音に会いに行くから」

 

そのころには綾音の体調も少しは良くなっているだろう。

 

「分かった。俺たちもお前を待っている。時間はいつになる?」

「面会時間内のいつか」

「アバウトすぎだ」

「朝方に出るから昼ごろに付く予定」

 

もの言いたげにしながらも春樹はそれ以上は突っ込んでこなかった。

 

「……夕方に来たら蹴り飛ばすからな」

 

そう言い残しバイクにエンジンかける。

わたしがマンション内へと入るのを見届けて、春樹は帰っていった。

 

部屋に帰ってシャワーを浴びる。

バイクに乗って普段使わない筋肉を酷使したためか、太ももの内側が筋肉痛だった。

浴室から出て、マヤと寝るために床に下ろしたままになっていた敷布団に寝そべり天井を眺めた。

まぶたが重い。いっそこのまま眠ってしまいたい。

いろんなことが起こった。いいことも嫌なことも、たくさんあった一日だった。

綾音はいつ退院できるのだろうか。

成見と洋人はもう家に帰っているのか。

解決していないことはたくさんあるけど、意識が限界だ。

今日はもう寝よう。

灯りを消すという作業も億劫になり、そのまま睡魔に身をゆだねた。

 

 

 

続く


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