モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 モノトーン編下6-6

6-6

 

エレベーターが6階に到着し、菜月の腕を放す。

 

「じゃあ、また」

「ええ。近いうちにね」

 

こちらに手を振る菜月をドアが閉まるまで見送った後、壁に掛けられた案内板で病室の位置を確認した。

綾音のいる部屋は現在地から最も遠い、廊下の最奥にある角部屋だった。ドアの横に掲げられたプレートはあらかじめひとり分の名前しかはめ込めないようになっている。鈴宮綾音と表記されたその部屋は個室だった。

春樹は病室内でなく、廊下の突き当たりに設置された長椅子に腰かけていた。

 

「綾音は?」

「医師の往診中だ」

 

ドアの横の壁にもたれかかり、背中に体重を預けずるずると下にしゃがみ込む。そのままわたしも医者が出てくるのを待つ態勢に入った。

 

「……綾音が暴行されたという事実よりも、綾音の顔に傷ができたことを嘆かれた」

 

誰に、なんて聞かなくても分かる。そんな人は身近に綾音の父親ぐらいしかいない。

 

「自分の娘という商品価値が落ちるのは、あの男にとって許しがたいことなんだろうね」

「責任とって綾音は俺が貰うっつったら、まんざらでもないって顔してたけどな」

 

そりゃそうだろう。綾音が怪我を負ったおかげで武藤と鈴宮の繋がりがより確かなものになるのなら、それほど喜ばしいことはないはずだ。

昔から、綾音の父親がわたしは苦手だった。

春樹と仲良くしだしたころ、たまたま小学校に来ていた綾音の父親に下賤の子どもと蔑まれたのが始まりだ。どうやらわたしのような一般庶民が武藤のご子息と意気投合したことに納得できなかったらしい。

綾音とわたしが2人でいたところをあの男に目撃された時は強烈だった。あの男はわたしなんかと遊ぶんじゃないと人前で綾音を怒鳴り付け、平気で彼女に手を上げたのだ。

 

春樹が綾音の恋人になり、あの男を上手くあしらうようになってからはなくなったことだけど、かつての出来事は簡単に忘れられるものじゃない。

 

「耐えろよ」

 

嫌な記憶を思い出していたわたしに、春樹が低い声を喉から絞り出した。

 

「どうあがいても、ガキのうちからはむかって勝てる相手じゃない。俺も綾音も、武藤の名前ですらあいつにとっては上にのし上がるための便利な踏み台だ。今はそう思わせとけ」

 

まっすぐに突き刺すような視線に迷いはない。

自分の娘は武藤の後継者に上手く取り入った。あの男がそう考えていても、わたしたちに問題はない。綾音と一緒にいられるなら、建前なんてどうでもいいのだ。

 

「下手にたてついて警戒されるよりも、優越感に浸って油断させといたほうが後々が楽だろ。俺たちが社会に出て、それぞれが大人としての社会的な地位を確立するまでの我慢だ」

「分かってるよ」

 

やつの喉元に食らいつくのはそれからだ。子どものうちは内心を隠して踊らされているふりをしていればいい。

窓の外が薄暗くなり、制服を着た看護士がせわしなく廊下を行き来していたけど、奥まったこの場所にまで足を運ぶ者はいなかった。

 

「……好きかもしれないって、考えたんだ」

「何をだ?」

「春樹を」

 

打ち明けるのが気まずくて、膝に手を回して縮こまる。春樹からの返事には少し間があった。

 

「……嫌いなのか?」

「や、好きだけど。そうじゃなくて、恋愛感情として……」

 

うかがうように顔を上げると、眉間にしわを寄せた春樹と目が合ってしまった。なんというか、喜怒哀楽のどこにも当てはまらない複雑な表情だ。

 

「で、どうなんだ?」

 

下手に笑い飛ばしてこないところがずるい。

こいつはわたしがなんと言っても真剣に受け止めてくれるのだろう。

 

「もしも春樹と結婚して一緒に暮らすとなると、3日もたたずわたしの胃に穴があくことが予想された」

 

真面目になってくれたところ悪いが、とんだ杞憂だよ。

想像力を膨らませていた春樹が口に手を当て顔をそらす。

 

「その前に俺とお前で式を挙げると想定した時点で、一体何のコントだと俺は思ってしまったぞ」

「あー、言えてる」

 

成見と洋人が爆笑しそうだ。

 

「そういうもんじゃないだろ、俺たちは」

 

そうだね。この関係に、恋愛感情なんてどこにもありはしない。

 

「周りがどうとらえたところで、お前が悩んで他人の感情を背負う必要もないだろ。少なくともお前が俺の近くにいるのを嫌がる女と、俺が将来一緒になることはない。たとえ綾音であったとしてもだ」

 

おいそれはどうなんだ、と言おうとしたわたしを春樹は視線だけで黙らせた。

 

「綾音は、俺が不安にさせない。またあんなことになるなら、どれだけ時間がかかっても誠意を尽くして何度でも説得する。綾音が不安になるのはお前のせいじゃない。俺に対する信用が足りないだけだ。だからな――」

 

続けざまに言われた声には疲れが垣間見えた。何を思い返して呆れているのか。

 

「戻ってこいよ。お前がいないと周りの連中が自由になり過ぎて手に負えないんだ」

 

告げられたひとことひとことが重い。これが、春樹の答えだ。

 

「わたしも、春樹のそばにいたい。――だから責任がないなんて言わないで」

 

恋愛感情と友情の違いも考えようとせず、目をそらし続けていたわたしにだって落ち度はある。

 

「ちゃんとわたしから綾音に話すよ。聞いてくれるかは、分からないけど」

「心配ないだろ。綾音だってあのころと変わったんだ」

 

春樹はそう断言した。

 

 

続く


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