モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 モノトーン編下6-5

6-5

 

バイクで走り去る凍牙の後姿を見送って、いざ病院に入ろうと振り返る。そして、硬直。

正面にある自動ドアの向こう。透明なガラスを挟んで見える受付ロビーには、腕を組んでこちらを睨む菜月がいた。

一文字に結ばれた口と醸し出す雰囲気が、彼女は怒っているのだと知らしめる。

回れ右をして逃げたい衝動を抑え、急に重たくなった足をゆっくり動かし自動ドアをくぐる。受付を待つ人が外からは見えないように設置されたパーティションの前へ、恐々と様子をうかがいつつ歩み寄った。長身の菜月に怒った顔で見下ろされるのはなかなかの迫力だ。

 

「ひとまず屋上行くわよ」

「へ?」

「今、あんたが苦手な綾音の父親が来てるから、病室には行かないほうがいいの。だから屋上。嫌って言っても連れていくわよ」

 

言いながら菜月は逃がさないとばかりにわたしの左手首を掴む。エレベーターへと引きずられて屋上に連行されるまで、互いにひとことも話さなかった。

洗濯機が数台備えられた小部屋の横を通って行き着いた屋上には、規則正しく物干しざおが並んでいた。ちらほらとタオルや衣類が掛けられている。風になびいてコンクリートの地面に落ちている洗濯物もいくつかある。

わたしたちと入れ違いで、洗濯かごに干していた服を回収した女の人が出ていく。他に人はいないようだ。

 

「綾音は全身殴打されて、肋骨を2本骨折。肺や内臓に傷がなかったのが不幸中の幸いで、こぶしが直撃した右目は視力の完全な回復が見込まれないそうよ」

 

忌々しげに菜月は続ける。

 

「10人弱の男が寄ってたかって、その程度で済んだのはよかったことなんでしょうけどね。……あいつら、絶対に許せない」

 

握られた手を震わせる菜月の怒りはもっともだ。

集団の男がひとりの女を暴行し、その程度。全身に殴打された跡があるなら、すぐに春樹たちが駆けつけたわけでもあるまい。

大の男が本気を出せば、綾音の体なんて一発で取り返しのつかないことになってしまったはずなのに。

つまりやつらは、綾音をいたぶって遊んでいたってことだろう。

逃げる獲物を追い詰めて楽しみ、抵抗を力でねじ伏せる感覚に愉悦して。狩りのように、ゲーム感覚で。――本当に、虫唾が走る。

 

「処理は成見と洋人が行ってる。どう軽く見積もっても、この先幸せになることはないだろうね」

 

あいつらはやりすぎた。わたしたちの逆鱗に触れて、取り返しのつかない域に足を踏み入れたのだ。

成見がやつらにすることは、法律や倫理、慈悲に道徳心といったものからかけ離れた行為になると予想できる。

それでも、わたしたちは止めない。止められない。

善人が「お前たちは間違っている」と言うならば、「知っている」のひとことで一蹴する。やつらの末路を、決して成見と洋人だけに背負わせるつもりもない。

どんなにゆがんでねじ曲がっていても、これがわたしたちの総意だ。

涙を溜めて赤くなった菜月の瞳にも、ためらいは感じられない。

 

「……わたしは結衣みたいに、人に敏くないの」

 

乱暴に手で目元をぬぐった菜月が絞り出した声は、とても小さかった。

 

「あんたも綾音も、悩み事があったところで隠されてたら分からない。あんたたちに限界が来て、感情が爆発するまで、わたしはいつも蚊帳の外よ」

「……うん」

「いつもいっつも、あんたは全部ことが終わってから事後承諾みたいな報告しかしてこない。一緒に悩むのは駄目なの? いなくなる前にひとことくれるぐらい出来ないの!?」

「……うん。ごめん」

 

眉を吊り上げてぼろぼろと涙をこぼす菜月に言い訳も何も言えなくなる。

心配をかけて、不安にさせた。たくさん傷つけてしまって、見放されても仕方がないのに。

菜月は怒って感情をぶつけてくれる。わたしを見て、話してくれている。

そのことが今は――。

 

「すごく嬉しい」

「あんたちょっと黙んなさい!」

 

正直な気持ちを伝えたところ、更に怒られてしまった。

市街が一望できるよう設置されたベンチにわたしと菜月は並んで腰を下ろす。2人の間に距離はなく、互いの肩が触れ合っていた。

夕焼けに貯水タンクの影が足元まで長くのびる。時折吹きつける風が涼しい。蒸し暑い日中と打って変わって、過ごしやすい環境だった。

 

「菜月はさ、わたしと成見が2人でいて、不安になったことってあったりするの?」

 

中学の時、怖くて聞けなかったことだ。

 

菜月はじっと前を見つめたまま、わたしのほうへともたれかかってきた。

 

「あるわよ。そんなの、成見と関わり出してから何十回と悩んできたわ」

 

あっさりと告げられたのは、わたしの知らなかった菜月の一面だ。

 

「どう考えても、わたしよりもあんたのほうが成見に近いって確信してるわ。なんで成見が結衣よりわたしに近付こうとしたのかとか、小学校のころは散々疑ったし、自分でいいのかって悩んだわよ。成見が結衣に思いを寄せる日が来るんじゃないかなんて、常に思ってたわ」

 

話を聞いていて、体の中心に重く冷たい何かがのしかかるような錯覚がした。胃が苦しい。

不安になって菜月の顔を見れば、彼女は目を細くして苦笑する。そして、ゆっくりと首を横に振るってから、話を続けた。

 

「でもね、成見が近くにいるのが当たり前になってるって思った時に、ふと考えてしまったの。そうやってわたしが成見を疑うのは、わたしを大切にしてくれている彼に対する最大の侮辱なんじゃないか――って」

 

そう思わない? と首を傾げられて、答えに迷う。

これは凄まじい惚気だ。成見に教えたら調子に乗りそうだな。

自嘲気味にはにかむ菜月の頬が若干赤い。

 

「ま、こうやって割り切れるようになったのは本当にごく最近なんだけど。結衣が気付いてなかったってのなら、自分自身に拍手を送っておくわ」

「……気付けなかった」

「いいのよ、それで。結衣とは一緒にいたい。成見とも離れたくない。不安に駆られず幸せになりたいって、ずっとずっと欲深く求め続けた結果だもの。全部の願いをかなえる方法は、成見を信じることのひとつで十分だったのよ。だったらとことん信じ続けるし、あんたにどうこうしろなんて望まないわよ。だから、もう勝手にいなくなるのは止めてちょうだい」

 

悩んでいたのは、綾音だけじゃなかった。

菜月だって心の中でずっと葛藤していたんだ。

 

「……ごめんなさい」

「謝罪は受け取っておくわ。次があったら成見と結託してどこにも行けないように縛り付けてやるから」

「ほんとに勘弁してください」

 

冗談に聞こえないのが怖い。

しばらくぶりの菜月が成見に影響されまくっているのは気のせいか。

 

「……高校はどうなの。寂しくない?」

 

しかし心配性なところはちっとも変わってないみたいだった。

 

「平気。凍牙がいてくれたし、友達もできたよ」

「そ、ならいいわ。少し悔しいけど」

 

そう言う割には、菜月の口調は嬉しそうにはずんでいた。

それからしばらく、菜月と2人でお互いの学校のことを喋り合った。

朱色の空が次第に藍色に変わるころ、菜月のショルダーバッグから断続的な機械音がした。携帯のバイブだ。

 

「春樹からよ。綾音の父親が病院を出るらしいわ」

 

その言葉に立ち上がり、フェンスへと近付く。正面玄関は屋上から見下ろすことができなかったが、しばらく前の道を観察していると黒塗りの縦に長い車が病院から出ていった。

 

「わたしも帰るわ。明日は早朝からバイトだし」

 

ベンチから立ち上がった菜月が吹っ切れたように言った。

 

「綾音の病室は615号室よ。顔ぐらいは見て帰りなさいね」

「……一緒に行かないの?」

「甘えてないで春樹とだけでも決着をつけてらっしゃい。また喧嘩になったらいくらでも愚痴は聞いてあげるわ」

 

すたすたと先に行ってしまうかと思われた菜月は、屋上を出る手前で振り返った。

 

「また決裂したからってひとりで逃げるんじゃないわよ。そうなったら本気で成見を差し向けるから」

「しばらく見ないうちに成見の使い方が上手くなったね」

「そこは使い方じゃなくて頼り方って言いなさい。人聞きが悪いわよ」

 

どっちにしろ菜月が言うと同じことだ。

菜月は誰に対しても昔からこんな感じで接してくる。

幼稚園からの付き合いだけど、当時からわたしがどんなに周囲から異質に見られようとも、菜月の態度はずっと変わらなかった。

お姉ちゃん気質で面倒見がよくて、いつもまっすぐな人。そんな菜月に、わたしは何度も救われてきた。

屋内に入ろうとする菜月に駆け足で追いついて腕をからめる。

 

「大好き」

「はいはいわたしもよ」

 

流すように返されたけど、掴んだ腕は好きにさせてくれた。

 

「帰りはひとりなの?」

 

病院から家まではかなりの距離がある。まだやつらの残党がいるかもしれないので聞いてみたが、菜月は大丈夫だと首を横に振る。

 

「お母さんが迎えに来てくれるわ。しばらくはひとりで行動しないように気をつけるわよ」

 

エレベーターに乗り込んで6階と1階のボタンを押す。

 

「今度、高校でできた友達に会わせなさいね。綾音も誘って女子だけで遊びに行きましょう」

「いいの? どんな人かも分からずにそんなこと言って」

「問題ないわ。その子のことは知らないけど、あんたの人を見る目は信じてるから」

 

照れることをさらっと言ったね。

どこに行くにしても買い物だけは止めておきたい。綾音とマヤを一緒にしたら絶対長くなる。

 

「機会があったら誘ってみるよ」

 

三國翔吾が許可してくれるかは分からないけどね。

 

 

続く


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