モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 モノトーン編下6-2

6-2

 

騒然とする倉庫内、用のなくなったバケツはとっとと後ろに放り投げる。水を減らしたとはいえ重かった。

左手は痺れているし、ふっかけるときに支えた右手首は予想以上に痛い。

プラスチックのバケツがコンクリートを転がる。水浸しになった春樹は鬼の形相でわたしを睨んだ。

 

「目は覚めたか大ボケ」

 

返事はないが、冷静じゃない春樹にうろたえる必要もない。わたしの頭の中は不気味なほど冷めていた。

 

「少しは頭が冷えただろう」

 

挑発に挑発を重ねると、春樹は眉間のしわを深くする。

 

「このタイミングで出てきやがったやつが、何偉そうに抜かしてやがる」

「このタイミングでわたしが出て来ざるを得ない状況を作ったやつが、偉そうに抜かしてんじゃないよ」

 

言葉遊びのような切り返し。わたしと春樹は挑むような睨み合った。

攻略状態が続く中、わたしのほうが先に動く。春樹の後ろでうずくまっている男に目を移した。

 

「これ以上やったら死ぬよ、それ」

 

手足を虎ロープで縛られた連中は戦々恐々と春樹の様子をうかがっている。戦意はすでに喪失しているようで、無駄にあがこうとしている者はひとりもいなかった。

春樹が捕らえられた連中に目を向ける。それだけで何人かの肩がびくついた。

 

「こっちは殺そうとしてんだ。最後に死ぬのは当たり前だろ」

 

鼻を鳴らして言い切った馬鹿は殺意を隠そうともしない。バケツの水一杯程度じゃ頭は冷え切らなかったようだ。

 

「あんたこいつら殺して綾音になんて言うつもりなの? それともなんだ。人の生死を自由にできるほど、わたしの知らない間にあんたはいつの間にか偉くなったのか?」

「こいつらは綾音に手を出した!」

 

胸倉を掴まれて至近距離に来た精悍な顔。視線は外さない。怒りに任せて怒鳴られても、わたしとこいつの感情の温度差を感じるだけだ。

 

「知ってる。で、綾音をリンチしたやつらをあんたが自分の怒りを治めるために、息の根を止めると」

「綾音と同等の苦しみを味わわせてやろうとして何が悪い?」

「黙れ少しは考えてものを言え」

 

まるで自分は間違っていないという言い方が癇に障る。お前はこんなことも分からないような稚拙なやつじゃないだろう。

誰に何を背負わそうとしているのか、いい加減に気付け。

 

「ふざけるのも大概にしろ。人殺す理由なんかにわたしの大切な人使ってんじゃないよ」

 

睨みあいは続く。

 

「あんた、綾音にこんなクズの命を背負わすのか? お前が手を汚した時点で動機に綾音が出てくることは避けられないんだ。自分の感情に任せるがままこんな連中に構っているより、あんたにはすることがあるだろう」

 

春樹の髪から滴る雫が、わたしの顔に落ちる。

目の前にある瞳が揺れている。生憎この言い合いは負ける気がしない。

 

「お前、自分の周りにいるやつのことどれだけ信用してないの。成見たちが情けをかけてこのクズどもを逃がすとでも思ってんのか? 何でもかんでも自分でやらなきゃ気が済まないとか、いつからあんたはそんな自分勝手に独裁するようなやつに成り下がったんだ」

 

襟元を掴んでいる手が震えている。理性と感情がせめぎ合っているようだけど、考える暇なんて与えない。

一番の被害者はあんたじゃないんだ。

痛かったのも、苦しかったのも、怖かったのも。

心細くて寂しいのだって、あんたじゃない。

春樹の襟元を掴んで互いの額が当たりそうな距離まで顔を引き寄せる。腹が立っているのはこっちだって同じだ。

 

「どうしてお前は今、綾音の側にいないんだ」

 

憤りをぶつけてやれば、春樹の顔は苦痛にゆがんだ。

わたしも春樹も言葉は出ず、瞬きをしたところで目を離すことなく時間だけが過ぎる。倉庫内にはそれなりに人はいるが、物音ひとつしなかった。

張り詰めた空気の中、最初に動いたのは春樹だった。

 

「……くっそ」

 

苛立ちを隠そうともせず、わたしの服から手を放す。

次いで、わたしも春樹を掴んでいた手を解いた。

 

「春樹」

 

見計らって有希が近付く。

 

「菜月から連絡があった。綾音の親父さんが病院に向かっているらしい。あの人は俺たちじゃ対応できない」

 

有希の報告に春樹は忌々しそうに舌打ちした。

権力志向の強い綾音の父親は、自分の娘ですら上にのし上がる道具にしか思っていない、そんな男だ。どんなに綾音と親しくしても、鈴宮の家よりも社会的に力の弱い家系の者の言葉には聞く耳を持とうとしない。

わたしたちの中では唯一、世界に通用する「武藤」の直系である春樹だけが話し相手になり得る。今後綾音がわたしたちと行動を共にできるかどうかは、春樹にかかっているといっても過言じゃない。

洋人が投げてよこした大判のタオルで春樹は自分の頭を乱暴に拭く。

 

「――成見、このクズども任せられるか」

 

冷静にればそうやって適任者に指名できるのに、なんで頭に血が上ると自滅する行動に突っ走ってしまうんだろうな。

 

「いいよ。ちゃんと春樹の意思は引き継ぐから」

 

ぎらつく瞳に成見は本性をさらけ出す。春樹は頷いて頼むとだけ小さく言った。

 

「どうなるかと思ったが、とんだダークホースがいたもんだな。絶妙なタイミングで見せ場を持っていききやがった」

 

話がまとまりかけていたわたしたちの元へ、無精ひげを生やした男が近付いてきた。一見するとただの浮浪者だが、長い前髪に見え隠れしている目は鋭い。雰囲気からして成人していると思われる。

 

「誰?」

「ストームの総長だった木谷さんだ。そこの連中を運ぶのに車を手配してもらったんだ」

「……ストーム?」

 

有希に説明してもらっても初っ端から聞き慣れない言葉が出て来た。あれか、察するところ地元にあるチームの偉い人か。

 

「ま、普通に生活している分では暴走族やチームなんざ馴染みはないよな」

 

言いながら木谷さんとやらがわたしに手をのばす。初対面の男に頭をなでられる趣味はないので、後ろに下がって避けた。

わたしの反応に木谷さんは面白そうに笑う。

 

「度胸もあって警戒心も強いときたか。こりゃ飼い慣らしたら役に立つぞ。なあ武藤、今回の報酬にこの猫貰っちゃ駄目か?」

 

人を猫呼ばわりするは取引の材料に引きだしてくるは、からかうのもいい大概にしろ。

 

「やりませんよ」

 

いろいろ言おうと開けた口から声が出る前に、春樹がきっぱりと告げた。

 

「こいつ、うちの大事な猫なんで」

 

お前までわたしを猫と言うか、なんて不満は全て「大事な」のひとことに流されてしまった。

呆けていると、春樹はばつが悪そうに顔を背ける。

 

「こりゃ残念」

 

大して期待はしていなかったのだろう。木谷さんは両手を挙げるポーズをとって、あっさりと倉庫の中央にいる集団の中に戻っていった。

倉庫の出口へと向かう春樹から目を離す。

成見に顔を向けると無言で親指を立てたこぶしを掲げてきた。

有希は薄く笑ってわたしに頷く。

打ち合わせもなく互いに距離を縮めた洋人とはハイタッチを交わした。

軽く手を合わせただけなのに、ぱんっという音は思いのほか大きく倉庫に響く。

よかった。間に合った。

細く長く息を吐き出して、ようやく肩の力を抜くことができた。

 

 

続く


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