モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 モノトーン編下6-1

6-1

 

日奈守市と書かれた標識を通り過ぎ、バイクは海を目指す。何年も住んでいた街であったが、港の旧倉庫街へ来るのは今日が初めてだ。

市街地からも遠く離れたその場所で、凍牙はバイクを止めた。

大きく口を開けた倉庫の前。バイクから降りて一番最初に見つけたのは、春樹の後姿だった。

エンジンの音は耳に入っているはず。なのにあいつは見向きもせずに遠ざかっていく。

背中から怒りがにじみ出ている春樹に、綾音のことが気になった。

脱いだヘルメットは手をさしだされるまま凍牙に預ける。

灯りがついた目の前の倉庫から人が走ってきた。懐かしい顔はわたしを見て息をのむ。

 

「お前……、なんで」

 

言葉が続かない洋人に、春樹の背中を見ながら告げる。

 

「バケツに水、用意しといて」

「……は?」

「電気が通っているぐらいなら水道もあるだろ。なければそこの海の水でも雨水でも雑巾の絞り水でもいいから、とにかくバケツに水一杯!」

「お、おおう」

 

迫力に押された洋人が走る。

周りに知った顔じゃないのが何人もいたけれど、注目されるだけで誰も何も言ってこなかった。

照明が照らす倉庫の中でもうひとり、久しぶりの人を見つけた。電話を耳に当てながらこちらを凝視している有希に駆け寄る。

 

「……なんで」

 

有希は電話を切って、わたしと向き合った。

倉庫の外にいる凍牙を発見し、ある程度の事情は察したようだ。

 

「成見の仕業か」

 

ため息とともに、有希の肩から軽く力が抜ける。心のうちにあるのは安堵か諦めか。この状況ではじっくり問い詰めている時間もなさそうだ。

 

「綾音は?」

 

呆れた様子を隠しもしない有希に畳みかけて聞いた。

 

「リンチを受けて、病院に運ばれた。菜月が連れ添っている。無事とは言いえない状態だ」

 

悔しそうに話す彼は、奥にある倉庫の壁に目を向ける。

 

「加害者は全員捕らえて2つ先の倉庫に入れてある。たった今春樹が向かったところだ」

「うん。後ろ姿は見たよ」

 

口をつぐんだ有希が言いたいことはなんとなく分かる。

 

「……綾音は何度も、ごめんなさいとうわごとのように呟いていたそうだ」

「うん」

「結衣が行き辛いなら俺たちが行く。暴走した馬鹿を止めるとなると骨が折れるだろうが」

 

これは比喩でも何でもないのだろう。キレた春樹を力ずくで止めるのは相当の覚悟がいる。下手をすれば双方病院送りは免れない。

 

「いいよ、気を使わなくても。わたしが行く」

 

そのためにここまで来たのだから。

こんな形で再会したくなかったけど、贅沢を言っている場合じゃない。迷わずに言い切ると、有希は少しだけ深刻そうな表情を緩めた。

 

「……そうか」

 

そう漏らしながら、どこかほっとしたように笑う。

 

「おら、これでいいんだろうが」

 

言いつけ通り、洋人は灰色のバケツに水をたんまりとくんできた。

わたしの足もとに置かれたそれを、無言で傾けて中身を減らす。

 

「てめえ何もったいねえことしやがる!」

「こんなに大量の水重くて持てるか」

 

洋人がぎゃいぎゃい騒ぐのを無視して、中の水が3分の2程度になったバケツを持って倉庫を出た。

爆音に目を向けると、無数のバイクが近付いてきた。大群の後ろにはワゴン車もある。

皇龍か。随分早い到着なことだ。

音につられて洋人と有希も倉庫から出てくる。

わたしたちを追い抜き、取り囲むような形で何台ものバイクは停止した。

皇龍とモノトーンとのやり取りは有希がこなすだろうし、わたしはバイクの間を通って目的地を目指す。

 

「結衣ちゃん」

「邪魔です」

 

ヘルメットを取った野田先輩に言い捨てて、2つ先の倉庫へと歩く。集団から離れた場所で、凍牙が待ち構えていた。

 

「有言実行か」

「出来ないことをわたしは言わない」

 

面白そうに、凍牙はくつくつと笑った。

 

「後世に残る笑い話になりそうだ」

 

そう言い残した凍牙は倉庫の隅に移動する。後ろの大量の足音に、皇龍の面子を避けるためだと知れた。

有希の示した倉庫内は薄暗く、開けられた入り口から射し込む光でかろうじて視界が保てているようなところだった。

最奥の光があたらないところに春樹はいた。背中をこちらに向けて、胸倉をつかんだ男の腹に膝を入れる。

蛙が潰れるような声を出して崩れる男をなおも立たせ、顔に一発殴り付けた。

恐怖に震える男はひとりじゃなかった。10人ほどの男が地べたにはいつくばり、恐々と春樹を見上げている。

春樹のすぐ横には成見が控えていた。いつになく真剣な面持ちで、成見はじっと春樹を見据える。限界を見極めているんだろう。

倉庫の中央付近には、また別の男たちが立ち尽くしていた。

不安を隠せない者。腕を組んで静観している者など、表情は様々だ。よく見れば明らかに成人してそうな人まで見て取れる。

春樹へと足を進めるわたしに成見が気付く。真顔が一転し、あくどい笑みを浮かべて来た。

顎で春樹を示し、早くやれと目で訴えられる。

分かってるよ。これはわたしの役目だ。

音を立てずに春樹へと歩を進める。

 

「おい」

 

あと3歩ほどで手が届くというところで春樹に声をかける。

そして振り向く瞬間を見計らい、バケツの水を容赦なく怒りで我を忘れた大馬鹿者の顔にぶちまけた。

 

続く


BACK  TOP  NEXT

Loadingこのページに「しおり」をはさむ