モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 モノトーン編下5-8

5-8

 

感情的になって逆上してくるものがいないことに、安堵と同時に若干のつまらなさを覚える。柳さんが行った祭りという名の教育的指導は効果が絶大だったらしい。

下手に手を出してこないのには感心する。だけど柳さんや吉澤先生といった、皇龍創設者たちに対する崇拝にも近い憧れは、はっきり言って気味が悪いよ。

アークの静まり返った店内に、木が軋む音がやけに目立った。

それが足音だと認識するのと同時に、脳天に強烈な衝撃を受ける。

 

「いっ……」

「話が長い」

 

頭を抱えて前かがみになる。上からした声はよく聞き慣れたものだった。

いつの間にか到着していた凍牙を思い切り睨みつける。わたしの頭を殴った凶器はどう考えてもあいつが片手に持つヘルメットだ。

 

「毎回毎回人の頭をばこばこと、普通に声をかけることはできないのか!?」

「多少脳細胞が死滅したほうが正常になるだろ、お前の場合」

「黙れこれ以上成績が落ちたらお前どう責任取るつもりだ」

「ああ、そっちは確かに深刻だな。悪い悪い」

 

こいつ。とりあえず言っておけばいいとばかりに適当に抜かしやがって。

 

「ぶはっ」

 

どうやらここまで静観してくれていた櫻庭先輩が限界を迎えたらしい。声がしたほうを見上げると、吹き抜けの手すりを叩いてげらげらと笑っていた。

そんな櫻庭先輩の近くにいた三國翔吾は、凍牙を見るなり奥に引っ込んだ。

 

「とにかく行くぞ、時間が惜しい」

「お願いします」

 

皇龍の、特に千里先輩が言い返してくるところを徹底的にねじ伏せたかったけど、時間的にもうそんな余裕はない。

 

「ねーえ、水口君。君が皇龍に入らなかったのって、結衣ちゃんの言ってたことも多少の理由になるのかなー?」

 

櫻庭先輩は確信を持って聞いているようだ。凍牙に言わせたいのだろう。

 

「そうですね」

 

受けて立った凍牙は容赦なく言い放つ。

 

「井の中の蛙と一緒になるのはごめんですから」

 

波打つようにざわつく空間。プライドをずたずたにされ、怒りをにじませた男たちが凍牙とわたしを射抜く。

 

「ひゃははははははは!」

 

だがそれも櫻庭先輩の大爆笑が木造の建物内にこだまするまでだ。殺気立った空気は、呆気なく霧散した。

 

「もーほんと、結衣ちゃんも水口君もサイコー!」

 

腹を抱えながら床をばんばんと叩く櫻庭先輩の周囲には奇妙な空間ができている。あなた、皇龍の仲間にも引かれてるよ。

気を取り直して立ち上がった櫻庭先輩は、嬉しそうに笑いながらまっすぐにわたしと凍牙を見下ろす。

 

「いつかはやらなきゃって思ってたこと、代わりにしてくれてありがとう」

 

おかげで手間が省けたとでも言いたげだな。

 

「心配しなくても、俺らがいなくなるまでにそこら辺も踏まえた特権階級の楽しみ方を叩き込むぐらいはしておくよ。街に守られているのは、別に悪いことじゃないからねー」

 

動揺する店内でも、2階にいる何人かは迷いのない顔つきでわたしたちを見据えている。櫻庭先輩と付き合いの長い人たちなのだろう。

 

「行くぞ」

 

凍牙に促され店を出ようとすると、扉の横で壁にもたれかかっている日暮先輩と目があった。

 

「礼を言う」

「……どういたしまして」

 

日暮先輩にとってもこの結果は望んだものだったということか。だったらもっと早く皇龍全体の意識改革を徹底しておいてほしかったよ。

先に外へ出た凍牙が店の前に止めてあるメタリックブルーのバイクにまたがる。

 

「言い忘れるところでしたが、攫われた人たち回収するなら早いほうがいいですよ。モノトーンは多分その人たちを助けることはあっても、その後は駅かどこかに放置すると見込まれますから」

 

皇龍に連絡して被害者を送り届ける親切心は、、あいつらにない。これは断言できる。

微かに眉を寄せた日暮先輩を置いて、わたしも凍牙のバイクに近付く。

 

「結衣!!」

 

大きく開かれた扉から、マヤが出て来た。後ろには三國翔吾が連れ添っている。

 

「これ、使って」

 

そう言ってマヤはわたしにダークブラウンのヘルメットをさし出した。

 

「借りとけ。警察に追いかけられる心配が格段に減る」

 

凍牙は自分の持っていたヘルメットをかぶってバイクのエンジンをかける。

三國翔吾は受け取ってさっさと行けと無言で訴えていた。マヤに声をかけてくれたのはこの人だ。

 

「ありがとう」

 

渡されたヘルメットを装着し、凍牙の後ろに飛び乗る。

 

「これってどこ掴めばいいの?」

「どうせ片手しか握れないなら俺の腰に腕まわしとけ。加速した時に振り落とされるぞ」

 

言われたとおりにすると、大きなエンジン音とともにバイクは走り出す。体が置いて行かれそうな感覚に、慌てて凍牙を掴む腕に力を込めた。

信号が多い商店街の大通りを避けて、細道を何度も曲がる。やがて4車線の国道に出ると、バイクは一気に速度を上げた。

エンジンの音。近くを走る車の音。風の音。

爆音が押し寄せてとてもじゃないけど凍牙と話はできそうにない。

 

――答えを見つけたんだ。

 

その一言を凍牙に伝えてなかったことに、今になって気が付いた。

 

  ☆  ☆  ☆

 

体のあちこちが痛い。

足が、お腹が、腕が熱を持っている。

なのに背筋は凍えるように寒い。

頭はガンガンと響き続けて、絶えず感じる心臓の音がわたしはまだ生きていると証明していた。

髪を鷲掴みにされ、上を向かされる。

変ね。笑い声は聞こえるのに、目の前にあるはずの男の顔がよく見えない。

体に抵抗する力なんてものは残っていない。

でもね、力が入らなくても、最後の砦は取ってあるの。

破かれたブラウスの隙間から、男の手が胸に触れた。

頭の中はもうまともに動かないけど。あらかじめ、そうなったときのために何度も脳内で繰り返した言葉を口にする。

 

「あらまあ。ぼこぼこにした女を犯すなんて、あなたたち随分と欲求不満なのね。おかわいそうに」

 

鳥肌が立つ中必死に笑みを作れば、馬鹿にされた男は舌打ちしてわたしを地面に叩き付けた。

最後まで諦めるものですか。口はまだ動く。

こんなやつらに、体を好きにさせてたまるものか。

視界はかすんでいるけど、耳はまだ生きている。

砂利道を走る複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。

音が大きくなるのと反比例して、体の力が抜けていった。

あと数秒、もう少し――。

 

「ぐうっ」

 

腹を踏みつけられ、呻きが洩れた。

だけど口はどうしようもなく緩んでいくのを自覚する。

 

「綾音!!」

 

久しぶりに機械を通さずに聞いた、愛しい人の声。

もう大丈夫。賭けに勝った。

わたしは平気。こんなのなんともないの。

だからどうか、怒らないで。無茶をしないでと。

たくさんたくさん伝えたいのに、口が動いてくれない。

おかしいわ。ほっとして耳まで遠くなってしまったのかしら。

わたしを呼ぶ声が、段々と小さくなっていく。

ごめんなさい。お願い、無理はしないでって……。

わたしは口に出して、ちゃんと言えたのかしら――?

  ☆  ☆  ☆

 

続く


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