モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 モノトーン編下4-5

4-5

 

「ねえ、結衣。あんた最近家にいるの?」

 

2月の2週目の月曜日。廊下ですれ違った菜月に捕まった。

 

「塾の帰り、夜にあんたの家の前を通っても、自転車が見当たらない気がするんだけど」

「ああ、ちょっと今涼君とこに家出中だから」

 

なんでもないことように話したつもりが、菜月には呆れられてしまった。

 

「……ひょっとして、妹ちゃん?」

 

菜月はわたしの妹のことをよく知っている。

家が近所だから、小さいころはよく3人で遊んでいた仲だ。

大きくなるにつれ、妹は菜月のこともあまり良く思わなくなっていったようだが。

 

「ちょっと反抗期なんだよ。反撃してこないわたしは攻撃材料にちょうどいいみたいだけど、こっちはさすがに疲れたんだ」

 

春樹と綾音のこと。学校の状況。

菜月たちを騙し続けるのも、かなりの心労だった。

目の前の菜月に、綾音が重なる。

わたしと、菜月の彼氏である成見がつるむことは、これまでに何度もあった。

その度、菜月はどんな気持ちだったのだろう。

わたしは菜月にまで、不安な思いをさせてしまっていたのかもしれない。

 

「……ごめん」

 

今更謝っても遅いが、気付いたら言葉にしてしまっていた。

 

「何が?」

 

首をかしげる菜月はいきなりされた謝罪の理由に見当もつかないのだろう。

 

「ううん。なんでもない」

「おかしな子ね。それよりあんた、春樹と綾音には――」

「高瀬さーん。こんなとこで何やってるの。次移動教室なんだから、早く行かないと遅れちゃうよ!」

 

同じクラスの女子がわたしに腕をからめた。

そのまま力を入れて、階段へと引っ張ろうとする。

 

「ちょっと」

 

話しを中断されて、菜月から戸惑いの声が上がった。

 

「咲田さん、さっき市宇君が捜してたよ」

 

一連のやり取りを見ていた廊下を歩く名前も知らない女子が、こっそりと菜月に耳打ちする。見事な連係プレーだ。

 

「えっ」

 

はっとして、菜月は自分の教室に顔を向ける。

 

「行ってきなよ。わたしもこれから授業だから」

「あ、結衣!」

 

焦る菜月にひらひらと手を振った。

強引に腕を引く女子の力に逆らわず、そのまま階段を下りた。

 

「思いあがってんじゃないわよ。あんたなんか、咲田さんに助けを求める資格なんてないわ」

 

踊り場でわたしを突き放して、彼女は言った。

知ってるよ、とは心の中で思うだけにとどめた。

あんたたちにわたしを裁く資格があるのかなんてことも、もはや問うつもりもない。

自分で仕掛けておきながら、彼女たちが信じて正しいと疑わない「正義」がどうしようもなくおかしく思えた。

 

2月の4週目。

中学校最後のテスト、学年末考査が終わった。

テストがあった3限目の後、3年生は予定通り校内の奉仕活動に移る。

3年間お世話になった学校の割り当てられた場所を1時間掃除するのだが、わたしの担当は校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下となった。

午後からは全体職員会議のため生徒の居残りは許されず1、2年生たちはテスト終了後早々に下校して行く。

2列に置かれたすのこを柱に立てかけて、ほうきで埃を掃く。

同じ班の人たちは、ひとりも掃除に来なかった。

渡り廊下の掃除はわたしだけでも、1時間もかからずに終了した。

残りの時間は適当に過ごし、終了のチャイムが鳴ったら体育館へと掃除用具を片付けに行く。

ほうきとちりとりは体育館玄関の掃除ロッカーへ。

すのこを水ぶきした雑巾は、体育館内の倉庫に戻す。

真面目に掃除に参加したのが久しぶりだったので、多少の達成感はあった。

一緒に掃除するはずだった人たちは、チャイムとともに体育館裏から姿を現した。

倉庫の奥にある雑巾かけに雑巾を洗濯バサミで固定させるていると、後ろからどたどたという足音が聞こえて振り返ると、クラスメイトが3人駆けて来た。

また何かあるのかと傍観姿勢に入ったわたしの予想を超えたことを、彼らはやらかした。

スライド式の重い倉庫の扉を閉めたと思ったら、次いで歯切れのよい施錠音がする。

 

「……おいおい」

 

そこまでやるか。

扉に手をかけるが、当然ながらびくともしない。

 

「ばいばーい」

「即席の反省室だねー」

 

無情にも笑い声が遠ざかってゆく。

暗い体育館倉庫内で、なんとか脱出できないものかと辺りを見渡した。

扉の鍵は外側からしか解錠できない作りになっていて、壊して出ることはできそうにない。

反対側の壁にある小窓はわたしより遥かに高い位置に取り付けられていて、なおかつ格子がはまっていた。

学校周辺の地図を思い描く。

窓の向こうは田んぼだった気がする。冬場に人は通らない。

いろいろ考えたものの、帰りのホームルームを知らせるチャイムが鳴るころには、完全に諦めてしまっていた。

着ているウインドブレーカーのポケットに入っていた手袋を両手にはめる。

台車から器械体操用のマットを引きずりおろして、その上に三角座りで丸まった。

ここに閉じ込めた中の誰かが良心をみせて開けに来てくれないかという、淡い期待も少しはあった。

だけどそれも、日が落ちて視界が狭くんなっていくまでの望みだった。

涼君は今日の夜、残業で遅くなると言っていた。

帰宅してわたしがいなかったら、家に戻ったんだと思うだろう。そう判断してほしい。

防寒着を着こんでいても、体の芯が冷えてきて恐ろしく寒い。

靴下だけの足が痛かった。

夜の体育館は、真っ暗ではあったけど無音じゃなかった。

建物は不規則にみしみしと鳴り、外からは強風の音が絶えない。隙間風が入ってこないのは唯一の救いか。

何度も座る体制を変えてはいたが、お尻がだるくなったので最終はマットに寝転んだ。

それでも寒さは変わらない。苦肉の策で、分厚い体操用マットを掛布団と敷布団の代用にしてみる。

今が何時なのか分からない。

いつ朝が来るのかすら定かでないが、寒いことを除けば案外悪くない空間だった。

少なくとも、現状の学校生活よりはよっぽどいい。

わたしはいつまで、こんなことを続けるのか。考える時間はたくさんあった。

いつまで春樹と離れていれば、綾音の不安は解消される?

高校を卒業して、大学に行って、成人して……。

春樹と綾音が入籍すれば、わたしは綾音の脅威ではなくなるだろうか。

結婚して、子どもが生まれて2人の家庭が盤石になるころには、会いに行ってもいいかな。

会って春樹も綾音も大好きなんだと伝えても、2人は困らないだろうか。

古傷をえぐられて嫌な思いをさせてしまったようなら、ひとこと謝ってその場を去ろう。

そしてもう二度と、2人には会わない。

春樹と綾音とわたしのいさかいを見守り続けたみんなには、なんと言えばいいのだろうか。

こんな手段に出たわたしは、きっと失望されるのだろうな。

みんなのことを、信じられないわけじゃない。

頼りにならないわけじゃなかった。

ただわたしは、春樹と綾音の安息を守りたいんだ。

自分の行いを正当化するような言い訳に、ひとりで笑った。

恋愛というものがどういう気持ちなのかは知らない。

だけど綾音に言われて、自分なりに考えて、思い知る。

だけどわたしの一番は、あの時からずっと春樹だったんだ。

これだけはどうしても譲れない。

今のわたしがあるのは、春樹のおかげだから。わたしにとって、彼はそれだけ重要な存在なんだ。

うとうとと夢と現実の狭間をさまよっているうちに、倉庫内の視界が開けてきた。

小さな窓の向こうに、次第に群青色の空と雲が見えだす。

体の上にあった畳のように分厚いマットから抜け出して、空の色の変化を眺めてみる。

手が痛くて、歯がかみ合わないくらいに寒かったけど、澄んだ空はとてもきれいだった。

それからどれぐらいマットに横になっていたかは分からない。

不意に扉の向こうが騒がしくなったような気がした。

複数の足音、喋り声。

ぼんやりとそれらを聞いていると、扉の鍵が回された音が倉庫内に響いた。

開かれた扉の外からさす光が、眩しく感じられる。

 

「ひっ」

 

入口で誰かが息をのんだ。

道具しかないはずの倉庫の中に人がいたのだ。

そりゃあ驚くだろうねと、他人事のように思う。

ようやく外に出られる。

両親と涼君には、ちゃんと謝らないと。

猛烈な眠気に襲われたわたしは、そこで本能に抵抗するのを止めた。

 

次に目が覚めた時は、病院のベッドの上だった。

 

 

続く


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