モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 モノトーン編下4-1

4-1

 

昨年の12月20日。

 

あと2日学校に来れば冬休みとなるその日の放課後。

クラスに配布するアンケート用紙をコピーして、わたしは職員室から教室に戻ろうと廊下を歩いていた。

アンケートの内容は、卒業文集に掲載するためのものだ。

クラス単位で作る卒業文集のまとめ役に、担任はわたしと春樹を指名した。

9月末まで生徒会で動いていたから、ということも関係した人選だったのだろう。

わたしが職員室までコピー機を使いに行っている間、春樹は教室で文集の挿絵を頼む生徒を選び、今後の予定を立てていた。

人数分のアンケートを揃え、3階にある教室を目指す。そんな時、途中で職員用の昇降口から何気なく外を見ると、遠くに綾音の後姿を見つけた。

校舎から離れ、グラウンドに向かって歩く綾音を不思議に思った。

授業が終わってからかなりの時間がたっているし、部活も引退したほとんどの3年はとっくに下校している。

綾音も例外じゃないはずだ。

文集委員で遅くなる春樹を待つとも聞いていない。

綾音がこの時間に、学校で何をしているのか。

胸の奥がもやもやする嫌な感じと少しの興味で、わたしは綾音の後を追いかけた。職員用玄関のロッカーの上に置いてある誰かの外用のサンダルに履き替えて、グラウンドを目指す。

風が強く土埃の立つグラウンドでは、運動部の生徒が各部に与えられたそれぞれの場所で練習メニューをこなしていた。

綾音は見当たらない。完全に見失ってしまったようだ。

グラウンド周辺で短時間に人の姿が見えなくなる場所を考える。部活棟の裏側、グラウンドの隅にあるプールの陰。

思いついた場所に綾音がいなかったら、見間違いだとして教室へ戻ろうと決めた。

結論から言うと、綾音はいた。

そして、そこにいたのは綾音だけじゃなかった。

プールの壁と、グラウンドを囲むフェンスの間で、綾音が4人の女子と向き合っている場面に出くわしたのだ。

壁側に女子たちが並び、綾音はフェンスに背を向けている。人気のない場所で、どう見ても友好的なやり取りをしている空気ではなかった。

 

「何してるの?」

 

わたしの声に、全員が驚いてこちらを見た。

近付いて行くにつれ、4人の女子は気まずそうに顔を背ける。

 

「別に。ちょっと話してただけだし」

「そ、そうよ。もう終わったから、わたしたち行くね」

「じゃ、鈴宮さん。そういうことだから」

 

女子たちは口々に言って、逃げるように去っていった。

2人きりになって、わたしと綾音の間に沈黙の時間が流れる。

何と切り出していいか迷いつつ女子たちのいた場所を伺うと、ストタップが落ちているのを発見した。

見覚えがある。春樹が綾音にプレゼントした、ピンクの造花のストラップだ。

拾い上げると、造花と根付の接合部分がちぎれている。

 

「……ありがとう」

 

無言で手渡すと綾音は両手で大切そうに握りしめ、肩にかけていたカバンの中にしまった。

 

「今の、何?」

 

女子が去ったほうを見ながら言うと、綾音が首をかしげる仕草をした。

 

「ちょっと意見が衝突しちゃっただけ。何かがあったわけじゃないのよ」

「ストラップを引きちぎられたのは、あいつらがした何かではないの?」

「大丈夫よ。わたしには問題ないわ」

 

無理に笑顔を作っていることはすぐに分かった。

わたしに知られたことが予想外だったのも、綾音がとっさに強がる原因なのかもしれないけれど。

さっきの現場は、何もなかったとして見過ごしていいものではなかった。

 

「本当に?」

 

追及すると、綾音は黙り込む。

 

「春樹に相談したほうがいいんじゃないの」

「話すまでもないことよ。こんなもの世間話の話題にすらのぼらないわ」

「そうは見えなかったけど」

 

ひた隠しにされて、わたしもむきになってしまったところがある。

綾音が踏み込まれることを良しとしない場所にまで、わたしは安易な気持ちで入ろうとしてしまったのだ。

きっと、苦々しくも笑っていた綾音の中で何かがはち切れたのは、その時だ。

 

「春樹の恋人に、わたしはふさわしくない。身近なところに春樹に見合う子がいるのに何を粋がっているんだって、そう言ってきたの。彼女たちは」

「……は?」

 

寝耳に水な話だった。

部外者がなぜ綾音にそんなことを言う必要がある。

 

「昔から、いろんなところで出てきていたことよ。だからほっておいて大丈夫。……わたしも、ずっと思ってきたことだから」

「何を」

 

そんなことを誰が言っても、綾音が春樹の恋人である事実は変わらないはずだ。

相応しいかなんて、春樹と綾音さえよければ周りの反応なんて気にする必要はないだろうに。

不思議そうなわたしに、綾音は自嘲的な笑みを浮かべた。

やっぱり分からないのだと、その顔はわたしに言っているも同然だった。

 

「結衣は人の感情に敏いけど、自分に向けられるものに関しては例外でものすごく疎い。ううん。疎いんじゃなくて、わざと目を閉ざして見ようとしない。違うかしら?」

 

綾音の言葉に否定はできなかった。

だって、周囲のわたしに対する評価なんて、気にしていてはきりがない。

腫れものに触るように接してくる父と母。

わたしを見下して嘲笑う妹。

――高瀬さんちの子はみんないい子なのに、結衣ちゃんだけは……と、暇さえあれば井戸端会議を繰り広げる、近所の人たち。

扱いに困って話すだけで緊張を見せる学校の先生。

「自分と違う者」を遠巻きにして、隙を見せれば排他的な流れを作ってくる同級生たち。

畏怖や侮蔑の感情を際限なく享受できるほ余裕なんて、わたしにこれっぽっちもありはしない。

「だから、気付かないし、気付けない。わたしはずっと、春樹の隣に立つ結衣に嫉妬していたわ。結衣のことは大好きなのに、ずっとずっと、怖かったの」

 

綾音の悲痛な面持ちで打ち明ける。

 

「生徒会にいた時でも、春樹が結衣に仕事を任せるたびにわたしは無力さを痛感していたわ」

「それは春樹が綾音を大切にしているからだろう」

 

傍から見ていても一目瞭然なほど春樹は綾音を溺愛している。

学校で問題があればすぐに家が動く綾音に、教員との危険な駆け引き混じりの交渉なんてさせたくないのはわたしも同じだった。

そういったことの適任者がわたしだという自覚もある。

 

「そうだったとしても!!」

 

寒空の下、綾音の叫びはもはや悲鳴に近かった。

 

「誰かを愛したことのない結衣が、もしも春樹を好きになったら。それを考えると、わたしはずっと、毎日気が気じゃなかった」

「そんなこと……」

「恋を自覚したこともないのに、あり得ないなんて言わないで」

 

興奮した綾音の目から、涙がこぼれる。

嗚咽交じりになりながらも、綾音は立ち尽くすわたしに訴えた。

 

「わたし……、結衣が春樹のことを好きになったら、春樹の恋人でいられる自信なんてどこにもないの」

 

その自信は、必要なものなのか。

足元がぐらつく。

わたしが春樹を恋愛対象として見るなんて、この先起こり得ることなのか――?

 

 

続く


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