モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 モノトーン編上3-3

3-3

 

 

背中にまわしたものと逆の自由な手で、凍牙がわたしの顔にかかった前髪をはらう。

小野寺雫に見せつけるようあえてリップ音を立てて、凍牙の唇がわたしの額に触れた。

抑えようがないぐらいに引きつるこの顔を隠すため、背中にあった手が頭にまわされて凍牙の胸元に押し付けられる。こいつ後で覚えてろ。

頭上から開き直った凍牙の声がした。

 

「で、他にご要望は?」

 

冷やかな挑発だ。

小野寺雫の唸るような声がわたしの耳にも届いた。

 

「唇かんで泣きながら駅方向に走っていった」

 

彼女の様子が見えないわたしの代わりに凍牙が中継する。

 

「信号曲がって姿を消した」

 

頭にあった凍牙の手が離れた。

 

「……暑い」

「ああ。夏にするもんじゃないな」

「季節関係なしでアウトだ! というか、これを普通にやらかすあんたに思考回路云々言われる筋合いは全くない!」

 

感情のままにまくし立てようが、凍牙は全く気にしない。

 

「セーフにしとけ。お前の黒歴史に比べたらこんなもんどうってこともないだろ」

「今ここでそれを持ち出してくるか!」

 

言い合いをしながらも足は動く。

注目されたことには変わりないので、とにかく商店街を抜けたかった。

 

「仲間の交際を不純異性交遊だとか言って全校集会でさらし者にしてきた、女教員の不倫を表沙汰にしたのはどこの誰だ。あの伝説に比べたらこんなもん語り継がれるまでもない」

「だから、状況も違えば比較する意味も全くないものだそれ! もひとつ言えば菜月と成見はちょっと手をつないでいただけで、不純なまねはしていない。全部あのおばさんの幸せをひがんだでっちあげだ」

「そんなこと分かってんだ。櫻庭さんの言っていたあの女の嫌がることを実行しただけだろ。いい加減に話を戻すぞ。あの女、結局のところこれで撃退できたと思うか?」

 

ひとりでほえるのが馬鹿らしく思えるぐらいに冷静にくるな。

落ち付くために肺いっぱいに空気を吸い込んで、細く長く吐き出した。

商店街が終わり、外灯の数が一気に減る。

辺りが薄暗い道になり、喧騒が消えた。

周囲に人がいないことを確認し、電柱の下で立ち止まる。

 

「――また来るよ。凍牙が何を好きで誰と付き合おうが、小野寺雫自身が見ている凍牙は彼女を好きなことに変わりはないから」

「……妄想してやがるのか」

「妄想というより、超絶なまでのポジティブシンキングのほうが近いかも」

 

人の気持ちを考えない人間に、嫌われたらどうしようなどという不安は付きまとわない。

自分の都合で相手の気持ちを考えてこうだと決定しているのだから、悲観的なことが好きじゃないとマイナス思考になんてなれはしない。

 

「今は雰囲気に酔ってかわいそうな自分を演じているけど、しばらくすれば思い直すだろうね。凍牙は自分を好きなのだから、さっきの行動は自分のためにしてくれたものだ――って」

「どっからそんな考えが湧いてきやがる」

「理由なんてどうにでもできる。そこそこ有名な凍牙の彼女になったら、街でいらない注目をあびる。それを避けるために偽の彼女を用意して自分を守ってくれている、とか」

 

凍牙は難しい顔をして黙り込む。

 

「もしくは自分にもっと嫉妬してほしくて、目のの前であんな場面を見せてきたんだって思われたかも」

 

状況なんてものは、自分のしたいようにいくらでも解釈できる。

以前の凍牙が言ったという「友好関係に口出しするな」の意味だってそうだ。

捻じ曲げてしまえば「交友関係を心配しなくても、あいつはただの友達だから」と。凍牙が放った言葉は自分に対する釈明だと彼女は受け取ったのだろう。

そうとらえた上での「安心した」だ。

こっちが伝えたい意思は、どう頑張っても彼女には伝わらない。

さらにもうひとつ分かったこと。

 

「小野寺雫が凍牙を好きなのは、小野寺雫自身の自己評価におけるレベルに見合った人間が凍牙だったからじゃないかな」

 

舞台のように決められた立ち位置。

さしずめわたしは妨害者かライバルみたいなポジションで当てはめていたんだろう。

毎日会いに来ては凍牙の話をして、どう動いてほしかったかまでは定かではないけど。

 

「以上がわたしの考え。結論を言えば彼女には何を訴えても無意味なだけ」

 

理屈でぶつかり合おうにも食い違いすぎて話にならないだろうし。

 

「穏便には済ませられないか」

「手がないわけじゃない。ただ、それで上手くいくかは不安なところがある」

 

正面きって立ち向かったところで意味がないなら、別の方向から変化を促すのがいいのだろうが。

いつものわたしのやり方に反しているようで気は進まないが、四の五の言っていられないのも事実だ。

 

「彼女自身を自分の力で変えることができないなら、周りの環境を変えてやればいい」

「どうする気だ」

「彼女の自己評価を上げさせる。凍牙よりも自分にふさわしい男がいると思える方向に持っていく」

 

しばらく考えた凍牙は、自分なりの結論を出した。

 

「皇龍に喧嘩売って、俺の評価を下げるか」

「わたしもそれちょっと思ったけど、現段階ではやめておきたい。いろいろややこしくなるし。最終手段に取っておこうよ」

 

危ない橋を渡らなくても、やれることは他にもある。

 

「小野寺雫は惚れた男に貢ぐ女だ。みたいな噂を街で流して、彼女に言い寄る男を増やす」

 

もともとナンパされて乗り気だったというのなら、見知らぬ男にしり込みもしないだろう。

自分はもてる。

進んでアピールしなくても、男のほうから寄ってくる。

そう彼女が自身を評価してくれるなら、自ら凍牙に突き進んでいくこともなくなる。

 

「自分になびかない男は馬鹿だ。くらいまで思い込んでくれるといいんだけど」

 

じっと見つめてくる凍牙の顔には表情がない。当然か。

 

「人として褒められたことを提案してない自覚ならあるよ。わたしはこういうのしか思いつかないから、もっと綺麗に片づけたいのなら他をあたって」

「綺麗事で片付いてんならとっくに終わってんだろ。……そうじゃねえ」

「そう。あとは顔を見せてくる小野寺雫が声をかけてくるようなら、なだめてすかして褒めたたえて、自信を提供してやるくらいか」

 

あなただったら凍牙よりもっといい人がたくさんいる、と。

褒め言葉を重ねておだててつつ、意識を変えていく。

他人の流れに合わせるなんてやり方は初めてだけど。気付かれないうちに価値観を変動させるのは骨が折れそうだ。

 

「……いい。結衣は動くな」

 

次に彼女に会ったときの計画を組み立てていたら、横から口を出された。

 

「噂は流す。俺の情報を売った連中にそれで落とし前を付けさせて、いったん様子を見る」

「どうして? わたしも動けるよ」

 

凍牙が目を伏せる。結ばれた唇が微かに開き、小さく呟かれた声に聞き耳を立てたが、受け取った言葉はとてもすぐに理解できるものではなかった。

 

「……武藤が結衣をあの手のやつに差し向けなかった理由がなんとなく分かった」

 

どうしてそこで春樹が出てくる。

 

「わたしには全く分からない」

「今はそれでいい。仲直りしてから武藤に直接聞け。結衣があの女と向き合わなくとも、周りの連中が動くだけで事態が収拾すればそれにこしたことはないだろ。あの女が会いに来ても、絶対喋るな。無視を徹底しろ」

 

言いくるめるような話し方。凍牙が焦っているように見えるのはわたしの勘違いか。

凍牙の言い分に納得はいかないし、反論は山のようにある。

なのにあまりにも真剣に伝えてくるものだから、何も言えない。

 

「人に合わせて流れる必要なんてない。こんなことで、自分を変えるな」

 

頭の上に置かれた手が髪を梳いて離れていく。

凍牙の提案に嫌だというのはとても簡単だった。

確実性を上げるためにはわたしも動くべきだ。ここまで巻き込んでおいて中途半端な場面でわたしを用済みとするのはどういうことか。

自分の提案が最終的にどのような結果をもたらすのかも気になる。どうせなら最後まで突き合わせてほしい。

言いたいことは山のようにある。

だけど―ー。

 

――誰だって相性の良し悪しはあるんだ。俺の見立て、あの教師とてめえは水と油以上に相性が合わない。いいか、絶対何が何でもひとりで向き合おうとするんじゃねえぞ。

 

目の前の凍牙と、かつて春樹に言われた言葉が脳裏をかすめる。

凍牙も春樹も、何をもってそれを言うのか分からない。

だけどわたしを慮っていることだけは、凍牙の顔を見るだけで痛いほどに伝わってくる。

 

「……頼む」

 

懇願するような小さな呟きにわたしは自分の好奇心を捨て、小さく凍牙に頷いた。

 

 

小野寺雫はそれから、しばらくは頻繁に姿を見せていたが、次第に来訪の頻度が下がっていった。

8月の中旬を過ぎたころ、彼女と大学生くらいの青年が街を歩いているところを目撃される。

 

だけどその知らせを凍牙から受けたときには、わたしはもう彼女に注意を向ける余裕すらなくなっていた。

 

 

モノトーン編上 完

モノトーン編中に続く


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