モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 モノトーン編上1-1

1-1

 

 

6月29日の木曜日で解雇となったファーストフードのアルバイト。

それからテスト中も含めた必死の求職活動の末、新しいバイト先に決まったのは「カプリス」という喫茶店だった。

店はわたしの現在住んでいる街の商店街の一角にあった。

 

ここのオーナー兼店長の美咲 静(ミサキ シズカ)さんは、華奢でおっとりした柔らかい空気の人だ。

ウェーブのかかった長い黒髪を後ろでひとつにまとめていて、店では常に白のカッターシャツに黒のパンツを着用している。

 

カプリスで働くきっかけとなったのは、中学2年の時の担任で、現在はとある喫茶店を経営している柳さんである。

皇龍とのあらぬうわさが街中に流され、そのおかげでなかなか次のバイト先が決まらず頭を抱えていたわたしに、柳さんが彼女を紹介してくれたのだ。

 

わたしが仕事を探していると聞き付けたこの男は、ある日吉澤先生を使ってわたしを呼び出した。

柳さんは当初わたしに自分の店で働けと言ってきたのだが、これに関してはとにかく断固拒否の意思表示を貫き通した。

この人の下で働くとなると、時給以上の仕事をさせられるのが目に見えている。

そんなわたしに柳さんは苦笑しながら一枚のカードを渡してくれた。

「話は通しておくから行って来い」という言葉を添えて。

名刺サイズのカードには、「カプリス」という名前と住所に電話番号、そして店の場所を示す簡単な地図が印刷されていた。

 

言われたままに足を運びわたしが店のドアを開けて、静さんが出てきた時点で即採用となったのにはさすがに驚かされた。

……もっと驚いたのは、静さんの戸籍上の名前は「柳 静」だという事実を知ったときだったが。

 

なにを隠そう彼女の正体は、柳さんの奥さんだった。

 

 

カプリスは5階建てオフォスビルの1階部分にあった。

通りからは植え木でほとんど中が見えない構造は、柳さんの喫茶店と通じるところがある。

店の内装は木の床に白い壁、カウンターに対面ソファーの置かれたテーブルが4つだけのシンプルなものだ。

利用者はオフィスビルで働く人がほとんどだという。

営業時間は午前8時から夕方の17時まで。ディナーはしていない。

わたしの仕事は学校に行く前の、朝6時30分からの開店準備の手伝いと、閉店後の掃除と次の日に向けた仕込みが主となる。

あと、たまにではあるが人手が足りないときのオフィスビルの清掃要員にも駆り出されたりする。

この土地とビルは静さん名義にはなっているが実際は柳さんの所有物らしく、そこら辺は上手く使われてしまってる感が否めない。

好条件で雇ってもらっている分、それぐらいは許容範囲なので今のところはなにも言わないが。

なにせファーストフードでバイトをしていた時よりも労働時間が減っているのに、給料はあの時より格段に上がっているのだから文句はそんなにない。

掃除は好きだし。

 

店は今まで静さんひとりで回していたらしい。

昼時にどうしても人手がいるときは、今年の4月からは柳さんに手伝ってもらっているのだとか。

あの人のやってる店はその間どうするのかなんて、これは聞いちゃいけない気がした。

 

「結衣ちゃんが来てくれてほんとに助かるわ。虎晴くんもたまにはいいことをしてくれるわね」

 

目尻に皺をよせながらそう言って静さんは顔をほころばせた。

うまく表現できないが、彼女の言葉はどこまでも澄んでいる……とでも言えばいいのか。

嘘がなくて、出会ってからまだそう日もたっていないのに、人見知りの気があるわたしが店にすんなりなじめてしまっている。

静さんの紡ぐ綺麗だけど重い言葉からは、彼女が簡単な人生を歩んできてはいないとなんとなくだが察することができた。

まだ16歳になったばかりの若輩者の生意気な推測なんて、本人に言うつもりはないけれど。

 

新しいバイト先が決まったことを友人のマヤに報告したら、自分のことのように喜んでくれた。

カプリスはマヤの家からも遠くないらしく、夏休みにはお客として来ると言っていた。

 

昼の休み時間に同じことを中学校から付き合いがある凍牙に伝える。

 

「……あの人結婚してたのか」

 

こいつはわたしのバイト事情なんかよりもそっちのほうに食いついてきた。気持ちは分かるけど。

反対の立場だったらわたしも絶対そうなっているはずだ。

 

「柳さんも静さんも詳しい年は聞いてないけど、静さんのほうが年上らしいよ」

「ますます意外だ」

「同感」

 

とは言ったものの、柳さんにどんな女性が似合うのかと聞かれてもわたしには具体的な答えは出せない。

なにをとっても常識の斜め上を行ってしまうあの人は、誠に勝手ながら生涯独身だとばかり予想していた。

柳さんと静さんは、籍を入れただけで結婚式は挙げていないとのこと。

そこら辺も含めてこの2人にはなにかしらの事情があるのかとも思うが、ここはわたしの立ち入っていい話ではない。

 

「夏休みはバイトに明け暮れるつもりか」

「うん。いろいろ覚えないといけないことはたくさんあるし、バイトをしていなかった日数分も取り戻さないといけないから」

「店の名前はカプリスだったか」

「そうだけど」

「夏休み中はそこに行けばお前と連絡が取れるんだな」

「……何かあるの?」

 

含みのある言い草に弁当に付けた箸を止めて凍牙を見た。

 

真夏になっても、第二体育館の非常階段は日陰で風も通る心地良い場所だ。

踊り場で壁にもたれかかって立て膝をついている凍牙は、すでに昼ご飯を食べ終えているようだった。

少しの沈黙の後、彼は口を開く。

 

「厄介事が起こりそうだ」

「……どんな?」

「簡潔に言ってしまえば、皇龍が武藤を注意人物とみなした」

 

今度はわたしが沈黙する番になった。

どこの武藤さんかなんて聞かなくても、ここで話になるのはあいつしかいない。

 

――武藤春樹。

 

わたしの中学時代の仲間のひとりで、最も信頼を置いていた男だ。

さすがは支配者気質な存在感の塊というべきか。

これだけ距離のあるところにもあいつの名声は届いてしまうらしい。

まさかまたおかしなことをやらかしているのではと、自然とやつを心配している自分がいて、気を紛らわすように首を振った。

あいつがどこで何をしようがもう、わたしには関係のない話だ。

 

「先に言っておく。俺と武藤が同じ中学だと皇龍は知っているが、結衣と武藤たちの関係は今のところ知られていない」

 

なるほど、厄介事は起こるだろうな。

高校に入学してから、中学時代をあまりつつかれたくなかったわたしは凍牙と同じ中学だったことを誰にも話していない。

 

「今更になってわたしと春樹たちがかつて親しかったと発覚すれば、意図的に隠していたと思われても仕方がない、か」

 

そして凍牙も、それを知っていながら皇龍に報告しなかった。

もとよりわたしが皇龍とここまで関わること自体が想定外だったのだ。

これまでの言動が総じて予期せぬ方向に物事が転びつつあるのはよく分かった。

言ってはなんだがわたしは高校に進学してから、そこまで大きな問題を起こしてはいないはずだ。

自分からやらかしたことといえば、元クラスメイトにけんかを吹っ掛けたのと、授業中に担任教師にこれまたけんかを吹っ掛けたぐらいだ。

それなのになぜ皇龍がチームに勧誘してくるまでにいたったのか、冷静に考えると過剰評価を受けてしまっている気がしないでもない。

どこをどう狂ったらこんなことになってしまったのか。

 

それに近い話を凍牙にしたら、「どの面下げてそれを抜かしてんだ」と呆れられた。

ちょっと不本意だ。

 

食べ終えた弁当をカバンにしまって立ち上がる。

 

「いざとなったら柳さんを前に出して、吉澤先生に証言してもらうのが一番じゃないかな」

「まあそれが得策なんだろうな」

 

子どものけんかに大人を使うのが反則なんて言わせない。

こうなってしまった根本の原因はわたしだけど、わたしと凍牙がこの高校に進学するよう画策したのは柳さんだ。

これぐらいの責任は取ってもらおう。

 

 

 

続く


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