モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 皇龍編下 after2

 2.彼女の憂い

 

 

☆  ☆  ☆

 

夏の日差しが肌をさす。
 
期末考査が終わって初めての週末。梅雨の蒸し暑さが体にこたえる。
 
マユが学校を去り、くだんの出来事までは平日、休日に関係なく集って遊んでいた友人たちとも、最近は学校で一緒にいる程度の仲となった。
 
グループの親密すぎた空気が消えてひとりで休日を過ごすようになったら、なんだかそれまで過剰に緊張していた体の力が抜けたような気がする。
 
自分自身に余裕を持つためにも、友人であったとしても適度な距離感は大切なのだと改めて考えさせられた。
 
日曜日の夕方、ひとりで本屋に行った帰り。
 
駅前にある大きな緑地公園の遊歩道を歩いていると、道の端に備えられたベンチに座る人影を見つけた。
 
なんとなく見覚えのある姿にもしかしてと思い歩道に沿って近づけば、暗い影の輪郭は徐々にはっきりとした人物となって目に映った。
 
ベンチに腰掛け、脱力しながら遠くを見つめる横顔は――、間違いなくクラスメイトの高瀬さんだ。
 
彼女だと認識した途端、走馬燈のように過去の出来事が頭よをぎる。
 
打ちのめされそうな罪悪感がこみ上げて、気が付いたら衝動的に走り出していた。
 
「高瀬さん!」
 
駆け寄ったわたしの呼び声に、木陰のベンチに座る高瀬さんが視線を向けてくる。
 
歓迎は期待していない。嫌な顔をされるのだって覚悟の上だ。
 
「少しだけ、いいかな?」
 
ほんの十数メートル走っただけなのに息は乱れた。懇願の色が濃くなったわたしの声は緊張のあまり震えてしまった。
 
「なに?」
 
頭に血が回りすぎて泣きそうになっているわたしに対し、高瀬さんは表情一つ変えずに聞いてくる。
 
「ずっと、わたし、謝りたくて。どうして私、高瀬さんたちにあんなにひどいこと言ったのか、いまでも分からなくて……。
 
でも、わたしが人に言っちゃいけないことを言ってしまったのは事実で。本当に、ごめんなさい!!」
 
勢いに任せて、伝えたかったことをまくしたてた。
 
高瀬さんはきょとんとした目で微かに首をかしげる。無理もないか。いきなり現れた女にこんなこと言われたのだから。
 
「謝罪ならテスト期間中に聞いたはずだけど」
 
「あれは、吉澤先生が設けてくれた場所だったし、わたし、もう一度自分から高瀬さんたちに謝らなきゃって、ずっと思ってて……」
 
先生が作った舞台で、謝罪をしなければいけないという空気の中で言った「ごめんなさい」では、果たして彼女たちにどれだけの気持ちが伝えられたのだろうか。ずっと不安だった。
 
あの日以降の、すべてをなかったかのように振る舞うグループのみんなの態度にも焦りがあった。
 
ふうん、と高瀬さんはつまらなさそうに息を吐いた。相変わらず、彼女は怒りや憎しみをわたしにぶつけようとしない。
 
許してくれたのか、と期待するより先に彼女の挙動に不安を煽られる。
 
黒いまっすぐな瞳がわたしを射抜く。ただ彼女と目があったというだけなのに、心臓がうるさいぐらいに高鳴った。
 
「それで、満足できた?」
 
視線を合わせたまま問いかけられる。
 
「え、……え?」
 
 
聞かれた意味をうまく頭に落とし込めずうろたえるわたしを見て、呆れたように高瀬さんが再び口を開いた。
 
「謝ってそれで、森本さんはどうしたかったの?」
 
「どうって……、わたしは何も」
 
何かがしたかったわけじゃない。ただ、直接彼女に謝りたかっただけ。その先のことなんて考えていなかった。
 
「その、……ごめんなさい」
 
「うん」
 
彼女の頷きは承諾というよりも、「それで?」というように先を促すようなニュアンスがあった。
 
どうしよう。
 
勢いで来てしまったけど、謝った後のことなんて全く考えていなかった。
 
「もういいよ」とうい許しの言葉か、「ふざけるな」でもいいから、何かしらの反応が返ってこないとわたしもどうしていいのか分からない。
 
 
たじろぐわたしを前に、高瀬さんは先ほどよりも大きなため息をつく。
 
「これ、津月さんにもやったの?」
「えっ……、ううん。津月さんはまだ、ふたりきりになる機会がなかなかなくて」
 
そう、とそっけなく返した彼女は口を噤む。苦々しそうに眉間にしわを寄せて再び、ため息。
 
 
「別にね、わたしは森本さんに怒っていないし、これまで森本さんたちの言動が心に刺さったことは一度もないよ。
 
吉澤先生はこれはいじめだって断言したそうだけど、正直わたしにはいじめられたって自覚はない。
 
一件、頭の痛い事故は起こったけど、それ以外のことで勝手に被害者扱いされるのはわたしとしても気にくわないところがあるんだよね」
 
確かに、多少は面倒くさかったけどと、当時を思い出してか少しだるそうに彼女は続けた。
 
「……本、当に?」
 
思いもよらない告白だった。すがるように高瀬さんを見る。
 
わたしは独り相撲をしていただけで、高瀬さんをいじめてはいなかった?
 
高瀬さんは、いじめられてはいなかった?
 
自責の念が心の中で薄まっていく。
 
しかし。
 
軽くなりかけた心を見透かしたように、ベンチに腰掛ける彼女は薄く笑う。
 
口の端が微かに上がっただけの薄っぺらい笑いかたに、続々と背筋がざわついた。
 
 
「たとえわたしがそうだったとしても、津月さんの思いもわたしと一緒だということはあり得ないよ」
 
静で抑揚のない声音だったけど、はっきりとわたしを責める意図は強烈なまでに伝わってきた。
 
「気を付けたほうがいいかもね。謝罪したいからと謝って、森本さんはそれで気が済むのかもしれないけど。
 
こっち側からしてみれば、もう終わった楽しくもない記憶をそっちの都合で一方的に蒸し返されただけに過ぎないから」
 
 
簡単に許してもらえないのは覚悟していた。だけど予想以上に、高瀬さんの言葉は残酷に心をえぐってくる。
 
「後々のために謝罪したという実績を作りたいとか、自責の念を払しょくして心を軽くしたいがためのごめんなさいとか。
 
返ってきた態度で相手が自分をどう思っているのか知りたい、とか。
 
そんな目的ならわたしはともかく、津月さんに謝るのは慎重になるべきだと思うよ」
 
「違う。わたしは、そういうつもりじゃ」
 
否定して壊れたように首を横に振る。
 
高瀬さんは笑みを消して、つまらなそうに首をかしげた。
 
「もう一度質問するけど、わたしに謝って、森本さんはどうしたかったの?
 
謝罪した後に、どんな未来を描いていたの?」
「……それは」
 
言葉に詰まったと同時に思い出す。
 
彼女はわたしたちに対して、全くの興味を示さないひとだった。
 
怒りや、悲しみや、苛立ちも。
 
悪口を浴びせたところで彼女が何も思わないというのなら、わたしが謝ったところで、彼女が何かを感じるはずがない。
わたしはいったい何を期待して、高瀬さんに話しかけたのだろう?
 
「ひとの作ったシナリオ通りに動くの、好きじゃないから」
 
ベンチから腰を上げた高瀬さんが、静かにわたしの横を通り過ぎる。
 
「ごめんね、楽にしてあげられなくて」
 
感情のない、皮肉ともとれる一言を最後に、小さな後姿は遊歩道を歩いて行ってしまった。
 
呆然と立ち尽くすわたしの影が、だんだんと長く伸びていく。
 
気が付けばあたりは薄暗く、遊歩道沿いに点々と立つ電灯に灯りが付き始めていた。
 
高瀬さんは、相変わらず人形のように感情が知れず、怖い部分があって。
 
まさかこんなに長く話ができるとは、今になって自分で自分に驚いた。
 
――ごめんね、楽にしてあげられなくて。
 
最後のあの言葉は、機械的な受け答えしかしないはずだった高瀬さんの気まぐれから来た一言に思え、初めて彼女の人間らしい一面に触れた気がした。
 
彼女と話した内容を思い返して、はたと立ち止まる。
 
違うか。
 
高瀬さんは津月さんが大事なんだと、ここにきてようやく思い至った。
 
今日の長い会話も、わたしのエゴで津月さんを傷つけないために牽制をかけてきたにすぎないのだ。
 
 
「いいなあ」
 
自然と、口から本音が漏れた。
 
誰に対しても無関心な高瀬さんだけど、津月さんに対してはこんなにも優しくなれるのか。
 
高瀬さんと津月さんは、今でもお昼は別々に食べていて、学校でも四六時中一緒にいるわけではないようだけど。
 
毎日のようにSNSでメッセージを送りあって、つながりを確認し合うわたしたちよりもはるかに希薄に見える関係だけど。
 
 
高瀬さんは本人の知らないところでも、こうして津月さんを気にかけていて――。
 
 
友達とはなんなのか、疑問を浮かべて毎日を送るわたしとは何もかもが違う。
 
 
彼女たちの仲が、とても羨ましかった。
 
 
 
 
 
続く

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