モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 皇龍編下 after1

1.怒りの矛先、行方は知れず

 

 

☆ ☆ ☆

 
第一印象は、暗めで地味。気が弱くて大人しそうな女の子だなあといった感じだった。
 
同じクラスになったとはいえ、彼女に対して特別気に留めることはなく。
 
影の薄い彼女とはそう話す機会もないままに1年を終えてしまうのだろうとその時は思っていた。
 
 
高校に入学して間もなく、彼女が津月さんと一緒にいるところをよく見るようになる。
 
どうやら顔に似合わずしたたかな性格をしているようだ。
 
あの有名な、女子の憧れの的である三國翔吾さんの恋人に、ああも気軽に話しかける彼女――高瀬結衣というクラスメイト。
 
 
彼女は明らかに身の丈に合わない恋人を持った津月さんを取り巻く、教室のよそよそしい空気を分かっているのか、いないのか。
 
友達のマユは高瀬さんに対し「自分だけ津月さんにいい顔をしてポイント稼ごうとしているのってずるいよね」と憤っていたけれど。
 
いや、マユだけじゃないか。
 
わたしや、マユを中心に集まっている友達はみんな津月さんと行動を共にする高瀬さんが気にくわなかった。
 
昼休み、津月さんは三國さんの元へ行ってしまい、高瀬さんはひとりで昼食をとることとなる。
 
友達よりも恋人を優先する津月さんを表立って非難しながら、いつも心の中で津月さんに三國さんを紹介してもらえない高瀬さんを「ざまあみろ」と嘲笑っていた。これはきっと、みんなも同じ。
 
 
季節が春から夏へと変わっていく。
 
高瀬さんと津月さんの関係は、日を追うごとに仲が良くなっているようだった。
 
特に高瀬さんの変化は顕著なもので、彼女はほかのクラスメイトに対しては必要最低限の受け答えしかしないのに、津月さんとだけは会話のキャッチボールが成立しているようで。
 
津月さんも、わたしたちには顔色をうかがって遠慮したような話し方しかしないくせに、高瀬さんとだけは楽しそうに、気を遣うことなく接している。
 
彼女たちが仲良くなればなるほど、苛立ちが心の底からこみ上げた。
 
どうしてかなど知る由もない。当時の自分は、とにかく焦っていた。
 
 
そんな中、津月さんに変化があった。
 
なんでも三國さんと別れたらしい。
 
知らせをマユから聞いたとき、得体のしれない焦燥感は強い達成感へと変わり心に愉悦をもたらした。
 
思いつめた顔をしてひとり教室で弁当を食べる津月さんを見て、自業自得だと嘲笑った。友達――高瀬さんを大事にしなかったから、あんたはみじめに独りで昼食をとることになっているのだ、と。
 
 
だけど、そんな楽しい時間は長く続くことはなく。
 
ほんの数日のうちに、津月さんは三國さんと仲直りをしてしまい、ふたりは恋人同士の関係に戻ってしまう。あまりにもあっけない離別期間だった。
 
高瀬さんと津月さんの親密さも変わらずで、また苛立ちと焦りにさいなまれた日々を過ごさなければならないのかと、仲のいい友人たちと強く嘆いた。
 
彼女たちを見ていると、どうしてこんなにも感情を乱されるのか。探せど理由は見つからず、ただ津月さんたちを前にこみ上げてくる憎しみにも近い感情にさいなまれながら日々が過ぎていく。
 
救いだったのは、苦しみを抱いているのがわたしだけではなかったということ。
 
仲のいいグループの、特にマユの彼女たちに対する憎悪は相当なもので、口を開けばふたりの陰口しか出てこない。自分の悩みをマユが代わりに言葉にしてくれているようで、安心できた。
 
わたしたちは、高瀬さんと津月さんを完全に否定するマユの言葉に賛同し続けた。
 
ある日のこと。
マユたちと廊下でしゃべっていると、教室から出てきた高瀬さんがわたしたちの前を通り過ぎた。
 
ここぞとばかりに聞こえる声で彼女の不満を話し合うわたしたちに、彼女は相変わらず見向きもせず階段のほうへと離れていく。
 
「はっ、強がって平気なふりして馬鹿みたい。あいつ、どうせあたしたちのいないところでこっちの悪口を津月と言い合ってるんだよ。絶対そうだよね?」
 
マユの言葉に、みんながそうだそうだと頷いた。
根暗で無愛想で。能面みたいな顔をしたコミュ障女。
 
口々に彼女について話しながらふと思い出したのは、入学式があった日に教室で自己紹介をした高瀬さんの姿だ。
 
どうしてわたしはあの時の彼女を気の弱い大人しそうな子だと評価してしまったのだろう。
 
確かに声は荒げないし、静かなやつではあるけれど。彼女は人並み以上に気が強くて、とてもしたたかだ。
 
こっちの敵意にだって暖簾に腕押し、糠に釘。全く気にしたそぶりを見せないし。
 
ひょっとして、彼女は苛立つわたしたちを観察して楽しんでいるのではないか? だとしたらものすごく腹が立つ。いったい何様のつもりだ。
 
想像を膨らませて憤ってはみたものの、すぐにそれはないかと考えを改めた。
 
結局のところ、高瀬さんはわたしたちのことなんて全く眼中にないだけなのだろう。入学したころから、今も。
 
マユをはじめ、わたしたちのだれも、彼女に関心を示されてはいないのだ。
 
――こっちがこんなにも、腹を立ててあからさまな怒りをぶつけているのに――?
 
 
その事実に思い至ったわたしは、急激な寒気に見舞われた。
 
 
「どうしたのー?」
 
「……ううん。何でもないよ」
 
 
グループの中でも特に仲の良い友人が首をかしげて聞いてきたのを何とかごまかし、心を落ち着かせるよう努めた。
 
目の前で繰り広げられている高瀬さんの陰口は聞こえていたけれど、頭の中にまで入ってこない。
 
気付いてしまった。
 
高瀬さんは高校に入学したころから、わたしたちへの接し方や態度が全く変わっていないという事実に。
 
怒りや嘲笑、時には哀れみも。わたしたちはこれまでにたくさんの感情を彼女にぶつけてきた。
 
そんな中で、彼女からわたしたちに向けて何かしらの反応が返ってきたことは、これまでに一度でもあっただろうか――?
 
話しかければ、言葉は返ってくる。だけどそれは端的なもので、好きや嫌い、喜怒哀楽といった心を乗せた受け答えには程遠い。
 
足元が揺らいだ。
 
苛立ちの対象でしかなかった高瀬さんという存在が、人とは違う異質なものに思えてしまった。
 
「どーしたの? さっきからぼうっとしてるよ」
 
友達が心配そうに聞いてくる。
 
とっさに動揺を隠して、笑みを顔に張り付けながら首を横に振る。
 
不思議そうに、みんながわたしに注目する。グループのみんなとわたしだけ歩調がずれてしまったことに、冷や汗がこみ上げた。
 
「それにしても、高瀬さんって不気味だよね。これだけ嫌われてるってのに、本人は態度とか全く改めようとしないし。なんか、からくり人形でも見ている気分になっちゃうよ」
 
必死に空気を呼んで明るく言い放った言葉の裏には、誰かがわたしの気付いた異常を察してくれないかという嘆願が込められていた。
 
みんなは一瞬きょとんとした後、はじけるように笑いだす。
 
「確かに! 全く表情とかも変わらないし。ひょっとしたら能面張り付けて歩いてるのかもね」
 
「からくり人形って、うける。ほんと、今時AIだって愛想がある時代だもんねー」
 
「人の皮張り付けて動いているけど、あれの中身無機物説が出てきたよコレ」
 
盛り上がっていく話題から、ひとりだけ取り残される。今までに感じたことのない焦りがにじみ出るのを抑えられなかった
 
違うよ。わたしが言いたいのは、そういうことじゃない。
 
高瀬さんが無機質なからくり人形だというのなら、そんなものに怒りを感じて不満をぶつけているわたしたちは、一体なんなのだろう。
 
不意に動かないマネキンを囲んで悪口を言い合い、楽しんでいるわたしたちのイメージが頭に浮かんだ。それが今、廊下で話しているわたしたちにぴたりと重なり、高瀬さんをけなして笑うこの様子がひどく滑稽なものに思えてきた
 
 
用事が終わったのだろうか。
 
階段から現れた高瀬さんが先ほどと同様わたしたちの前を通って教室へと帰っていく。
 
待ってましたと言わんばかりに、彼女に聞こえる声でみんなは悪口や嫌味を口々に放つ。
 
高瀬さんは変わらない。
 
わたしたちに憤ることもなければ、苛立ちをあらわにすることもない。そもそも彼女は、こちらに一切の興味を示そうとしない。
 
そのときから、彼女に対するわたしの抱く感情は怒りや苛立ちから、畏怖と恐怖に変化した。
 
高瀬さんが津月さんと仲良くする姿にも、とりわけ不満を感じなくなった。わたしの心境の変化がどう作用してそうなったのかは、自分でも分からない。
 
だけどわたしは、今日もマユたちと一緒に高瀬さんたちの陰口を言い合っている。
 
みんなの考えを否定して、マユの怒りを買うのが怖い。
 
マユ意見をして、機嫌を損ねて仲間外れにされたらどうしよう。
 
高瀬さんのように、わたしの陰口を言われたらどうしよう。
 
みんなに気を使って、思ってもみないことを口にする日々が続く。
 
あんなに楽しかったグループのみんなと一緒にいる時間が、いつしか苦痛なものに変わっていた。
 
 
 
 
 
 
はじめはグループの中で、気に入らない子の不満を言い合うだけだった。
 
みんなに心の内を話せば、クラスにその子がいることに対し苛立ちを感じているのは自分だけじゃなかったのだと、安心できた。
 
陰鬱とした思いを抱くのひとがわたし以外にもいるのなら、この苛立ちは正しいもので、あってしかるべきだ。自信が持てた。
 
最初は態度で、次第にそれは言葉に変えて。クラスにあなたがいることに対し、不快に思う者は多数存在すると彼女に教えてやった。
 
 
彼女にわたしたちの話している言葉は聞こえているはずだ。だけど彼女は、まったく気にしたそぶりは見せず。
 
人に嫌われることを何とも思っていないのか。徹底してわたしの存在は彼女から無視され続けた。
 
彼女に向ける感情が、次第に苛立ちから焦りに変化する中、ある日ふと目が覚めたように思い至った。どうしてわたしはこんなにも彼女に執着しているのだろう、と。
 
グループのみんなは変わらず、彼女の悪口を言い合っている。
 
楽しそうに。それが正しいことなのだと、信じて疑問すら持とうとせず。
 
一度抱いた疑念は頭の中から消えてはくれず。そのころから彼女――高瀬さんに対する苛立ちよりも、人をけなして笑う友人たちへの不快さが日々高まっていった。
 
おかしいとは思ったけれど、それを言い出す勇気はない。
 
グループのみんなに嫌われるのが怖かった。
 
高瀬さんを庇う発言をしようものなら、きっとわたしはグループから追い出されてしまう。
 
罪悪感にさいなまれながらみんなと話を合わせて高瀬さんに悪口をぶつける毎日は、心境に変化があった後も続いていた。
 
 
「ねえ、高瀬の靴箱に忠告書いた手紙を入れてやらない?
 
あんなキモイのが水口君なんかと親しくしてるなんて、もはや公害以外のなんでもないよね?」
 
仲良しグループの中心的人物、マユとふたりでいたときに、そんなことを提案された。
 
気乗りはしなかったけれど断る方法も見つからず、わたしはマユに賛成の意を伝えた。
 
手紙を用意したのはマユで、人気のない時間を見計らいわたしが昇降口にある高瀬さんの靴箱に手紙を放り込んだ。
 
一連の流れが儀式のようだった。
 
お前も共犯なのだと、マユに突き付けられているような気がして。
 
逆らえば、わたしも高瀬さんや津月さんと同じ扱いを受けるのだと。マユはわたしにそう言いたいのじゃないか。
 
そのことがあってから、グループのみんなの機嫌を損ねないために、これまで以上に気を遣うようになった。
 
 
「ねえ、ちょっと購買でお茶買ってきてくれない?」
 
 
同じころから、みんながわたしに頼み事をすることが多くなったのは気のせいだと信じたい。
 
 
マユの高瀬さんと津月さんに対する憎悪は日を追うごとに増していく。
 
それはもはや執着と言っても過言ではない。
 
グループのみんなも言動についていけず、何かに気付いたように目を覚ますひとがひとりふたりと出始めて。
 
その友達がさりげなくマユに意見すれば、マユは過去にわたしたちの言った言葉を引き出してきて正しいのは自分なのだと証明する。
 
次第に、マユが話をするときは必ずと言っていいほど自分の意見に同意を求めるという癖が気になりだした。「そう思うよね?」と言われても、以前のようにすぐにはみんな頷けなくなっていった。
 
みんなの心がマユから離れていく。その間も、マユの高瀬さんたちへの憎しみは消えず。
 
 
「高瀬と津月がさあ、男に襲われるようなことがあったらいい気味だと思わない?」
 
 
マユの言ったことは、冗談だと思った。
 
そんなこと起こるはずがないと高をくくっていたから、わたしたちはその話題については適当に相槌を打って話を合わせるにとどめた。
 
だけど、間もなくマユからわたしのスマホに送られてきた上機嫌なメッセージを見て、あの言葉が本気で放たれたものだと思い知る。
 
――やってやった。高瀬、津月、ざまあ――、と。
 
絵文字とイラストで装飾された得意げな一言に、血の気が引いた。
 
 
次の日、津月さんは学校に来なかった。
 
遅刻してきた高瀬さんの顔には痛々しいあざができていた。
 
マユの言ったことは、本当だった。現実味のないことが、彼女たちの身に実際に起こってしまったのだ。
 
もう、限界だった。
 
高瀬さんに怒りや苛立ちを感じる以上に、友達のはずのマユが怖くて仕方がなかった。
 
 
「どこ行くの?」
 
授業の合間の休憩時間。
 
教室を出ようとしたわたしにマユが声をかけてきて、緊張が走った。
 
「トイレだよ」
 
震えそうになる自分を叱咤して、笑顔で応えた。
 
「ふうん。一緒に行こうか?」
 
「ううん。手を洗ってくるだけだから、大丈夫だよー」
 
悟られるわけにはいかない。
 
平静を装って、息をするように嘘を並べていく。
 
 
「そっか。早く帰っておいでよ。もう授業始まっちゃうから」
「うん」
 
 
マユの視線を背中に感じながら、駆け足で階段横にあるトイレへと飛び込み、個室にこもった。
 
心臓がバクバクする。わたしが今からやろうとしていることは、友達への裏切りだ。
 
じっと息をひそめる。次の授業のチャイムが鳴ったと同時、意を決して鍵を開けて手洗い場を飛び出した。
 
鐘の音は続く。廊下に人はほとんどおらず、わたしたちのクラス、1年2組の教室まで障害物なく見通せた。
 
1年2組のドアの前では、マユがじっと立ち尽くてこちらをうかがっていた。
 
息が止まる。
 
わたしたちの距離は数十メートルほど。急いで走れば授業が始まる前に、余裕でわたしは教室へと戻れるだろう。
 
マユは笑っていなかった。試すように、無言でわたしを見つめるだけ。
 
目の奥が熱くなって、次から次へと感情がこみ上げる感情に歯を食いしばった。どうしてこんなに苦しいのか分からない。誰かわたしの心の中をわたし自身に教えてほしい。
 
チャイムが鳴りやむ。マユの視線を振り切って、わたしは教室に背を向けた。
 
全速力で階段を下る。
 
もう、後戻りはできない。
 
わたしは縋りつくように、職員室にいた担任の吉澤先生に助けを求めた。
 
 
 
その後。
 
「原田マユだけが悪者じゃねえ。お前らが津月たちにしてきたことは、ごまかしようのないいじめだ。自覚がないのなら、今ここで思い知れ」
 
わたしたちグループを会議室に呼び出した吉澤先生は、そう断言した。
 
事態はわたしの知らないところでも動いていたようで。一連の事件は学校でも大きな問題として取りざたされ、結果、マユは学校をやめた。
 
逃げたのだと。わたしたちを置いて、学校に来るのが気まずくなったからマユはひとりで楽な道を行ったのだと。吉澤先生に怒られながら、グループのみんなが思ったに違いない。
 
わたしも、マユがいなくなったことに安堵しながら、これからの学校生活に不安を感じているのを自覚していた。
 
表立ってみんながマユを非難しなかったのは、吉澤先生と、そして津月さんまでもがわたしたちに「マユだけを悪者にするのは間違いだ」とくぎを刺してきたからだ。
 
事件の後わたしたちは吉澤先生に場を設けてもらって、高瀬さんと津月さんに謝罪した。その時も、高瀬さんはわたしたちに最後まで無関心だった。
 
あれ以来、グループの中でマユのことを話題にするのはタブーとなった。
 
ぎこちなさを残しながらも、原田マユという友達など最初からいなかったかのようにみんながふるまう。
 
わたしたちの中心であった彼女が消えても、何の問題もなく日常は過ぎていく。友情とは何てあっけないものなのだろう。
 
 
このむなしい気持ちを誰かに打ち明けられるわけもなく。
 
表面上は変わらぬ日常を取り戻したけれど。
 
心の中にたまった言いようのないもやもやは、いつまでたっても消えてはくれなかった。
 
 
 
 
☆  ☆  ☆ 
 
 
 
続く

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