モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 皇龍編下4-2

4-2

 

 

 

――失敗した。

 

2限目開始5分もたたずに、後悔している自分がいる。

吉澤先生の授業なんてサボればよかった。

これは今のわたしの状態で受けていい授業じゃない。

クラス全体が集中して、吉澤先生に注目している。

他の授業のような私語もなければ、居眠りをする生徒もいない。

1か所に集まる意識。

これはもう、どうしようのなく反発したくなる。

従いたくない。壊したい。

そんなのどう考えても腹いせだし、ぴりぴりしていてみんなと馴染めないわたしが子どもなだけだし。

何より授業妨害なんてしたくない。

だけど教室の空気を支配しているのが吉澤先生というだけで、いらいらしてしまう。

目があったら喧嘩を売ってしまいかねない。

そうなればさっきなんかより遥かに壮絶な舌戦になるのは目に見えている。

それは嫌だ。出来ればこの先生に目をつけられたくない。

授業は全く耳に入らないので、少しでも気を紛らわそうと外の景色を見つめていたのに……。

 

「高瀬ぇ。遅刻したあげく俺の授業でよそ見とはいいご身分だなあ?」

 

なんで先生のほうから突っかかってくるのさ!

 

どうしようもなくいらいらする。ぴりぴりする。

自分で自分を止められない。

 

「よそ見なんてしてませんよ。先生の見間違いですって」

「ああ? 明らかに黒板から目を離していただろうが」

「先生のその注意を押し通すなら、人間、学生のうちは顎の下にも目が必要ですね。じゃないとノートが書けない」

「てめぇ、ノートなんざ取らずに外ばっか見てたじゃねえか」

「だからそれは先生の見間違いですよ。他に見ている人なんていないでしょう。この席ですし」

 

クラス全体が氷のように固まっている。

息をして動いているのはわたしと吉澤先生だけだ。

先生の舌打ちに、クラスメイトの半数が肩をビクつかせた。

 

「浜田てめえ、こいつの脇見ぐらい確認してんだろう」

「はっ、はい!!」

 

隣の席の浜田君。反射で返事しやがって。

 

「ということは浜田君も横にいるわたしを見ていて、前を見ずに脇見していたことになりますね」

「ええっ!? 俺、先生と黒板以外何も見てませんから!!」

「――だそうですよ?」

「………いい度胸だ」

 

吉澤先生は手持ちのノートにペンで何かを書き始めた。

そのすきに横にいる浜田君を盗み見すると、顔を青くして涙目になっていた。
巻き込んでごめん。

先生はノートの一部を手で破くと、わたしの席に来る。

 

「授業を止めたペナルティーだ。昼休みに図書室でそんだけの本を借りて俺に届けろ。名義は俺でいい」

「そんなの日直の仕事でしょう」

 

言いながらも先生が押し付けた紙を開く。

殴り書きの文字に目をやると――。

 

 

『中学時代のてめえの悪事を 

こいつらにあらいざらいぶちまける』

 

 

……なにこれ。

 

「1限目サボった課題もそのときに渡す。来なければ――、分かったな?」

 

鬼の形相で上から睨んでくる吉澤先生に、降参を示すため両手を上げた。

 

「……分かりましたよ」

 

後悔先に立たず。売ってはいけない人にけんかを売ってしまったようだ。

にしても嫌なカードを見せてきたな。

入学式のときに睨まれただけで終わっていたので、すっかり失念していたよ。

吉澤先生は何事もなかったように教壇に戻って、授業を再開した。

 

 

頭の中がぐちゃぐちゃだ。

気持ちのやり場がどこにも見当たらなくて、机に額をくっつけて目を閉じた。

いじけたようにとられたのか、吉澤先生はもう何もわたしに言ってはこなかった。

そのまま2限目が終わる。

頭を上げて前を見ると、吉澤先生が宿題のプリントを配布していた。

前の席から来た紙を受け取り、机に入れる。

先生が退出して、クラス内の気が抜けた。

みんなが疲れた顔を見せて、仲のいいグループになって話している姿もどこかぎこちない。

 

「……高瀬」

 

声をかけてきたのは、榎本君だった。

口をへの字に曲げながらも、心配そうな顔をしている。

 

「何か用事?」

「用事というか、お前、本当に――」

 

――大丈夫か? そう言いたいのは予想がついた。

でもね、あんたからそれを聞いたところで、わたしは何も変われないんだよ。

 

「大丈夫じゃなかったとして、榎本君に何かが出来るの?
興味本位の心配なんていらないよ。そんなことなら空気みたいに扱われるほうがよっぽどいい」

「っ! そんなつもりじゃっ」

「じゃあ何? 榎本君は一体わたしのために何をしてくれるの?
わたしがこうなった元凶を裁くとか。思いあがってんじゃないよ。一介の学生ってとこであんたもわたしも立場は同じで誰も――っ!?」

 

いきなり襲った後頭部の鈍痛に、口が止まって手で頭を押さえた。

痛い。ものすごく痛い。

 

「悪い。こいつ今ご機嫌斜めなんだ」

 

貫くような激痛に言葉をなくして耐えていると、上から声がした。

どこも悪いなんて感じていない口調。

しかも謝罪はわたしではなく榎本君にだ。

だけど、今の声でそいつが誰だかはすぐに分かった。

 

「……凍牙…………」

「野良猫に威嚇されたとでも思って許してやってくれ。飼い主不在で情緒不安定になってんだ」

「お、……おお」

 

唖然としていた榎本君が流れにまかせて頷いた。

 

「連れてって落ち付かせるから、これ置いといてくれ」

 

凍牙がわたしの机に放り投げたのは、厚さ5センチほどの国語辞典。

それで殴ったのか!?

 

「行くぞ」

「ちょっ、何勝手に」

 

一方的すぎて従う気になれないのに、凍牙はわたしの手首を掴んで無理やり立たせた。

そのまま廊下を引きずって行く。

 

「お前、ほんとに待て! これから授業!!」

「黙れ騒ぐな喚くな静かにしろ。そんなに注目を浴びたいか」

「この手を放せば済むことだろ!」

 

どんどん前に進まれるせいで、下りの階段はこけそうになった。

1階まで下りて、向かった先は教職員用の昇降口。

そこから外に出て、さらに歩く。

 

「って、靴は!?」

「はいてるだろ」

「これは上靴だ!」

「気になるなら避難訓練とでも思っとけ」

 

こんな連行型の避難訓練があるものか。

着いた先はもはや定番となっている第二体育館の非常階段。

校舎を迂回しなかった分早く来れた。

次からはこの行き方を使おうとか、そんなこと考えている場合じゃない。

手を振り払ったら、簡単に凍牙はわたしを自由にした。

一体なんだというのだ。

怒っているようには見えない。

感情の読めない目をして、彼はわたしの前に立っていた。

凍牙がスマートフォンをわたしに見せる。

 

「武藤を呼ぶぞ」

「どうして? いらない」

 

喉の奥から出た声は、自分でも驚くぐらい低いものとなった。

いらない。関係もない。

どんな理由で春樹を呼ぶ必要がある。

 

「今のお前がそれを言うか。自分の感情持て余して見境なく人に当たり散らしてんだろ。トラウマ抱える被害者が出る前に飼い主に押し付けるのは当然のことだ」

 

何が当然だ。

泣くな。名前を口にされて振り返っても、もう過去の話だ。

 

「けんかして一方的に行方くらまして、辛くなったから助けてください? そんな虫のいい話がどこにある。

関係ないってあいつに言われる以前に、わたしのことを思い出させる必要がない。

あいつらはわたしが嫌いで、それでいいし、そのままがいい。

わたしが一方的にみんなのことをまだ好きでいて、幸せになって欲しいって思い続けていられるだけで十分なんだよ!!」

「だったら自分の限界ぐらい自覚しろ!!」

 

怒鳴られて、襟元を掴まれる。

知らない。こんな凍牙は初めてだ。

 

「自分が傷ついていることを認めろ。強がったところで取り繕えないほど苦しいんだろ。今のお前は弱いんだ。中学の時みたいに、支えになるやつらがいないんじゃ当然だろが!」

 

凍牙から目が離せない。放させて、くれない。

突き付けられた現実は、分かり切っていながらずっと見て見ぬふりをしていたものだ。

仲間は、いない。

わたしが、自分で遠ざかったから。

よりかかれる存在は、どこにもない。

思い知らされた、これが現実だ。

凍牙が襟元から手を放す。

後ろによろめいて、階段に足が当たって座り込んだ。

 

「……ふ、……くっ」

 

嗚咽を噛み殺そうとして、歯が音を立てた。

涙がしずくとなってスカートにしみをつくる。

わたしがいたら仲間の内に亀裂ができる。

だから、離れた。

幸せを掴んでもらいたくて、安心してほしかったから。

だけど――。

みんながいなくて、わたしは寂しい。

馬鹿なことをしても、止めてくれる人がいない。

一緒に馬鹿をして、笑いあえない。

みんなと離れて、約6カ月。

たった半年なのに、こんなに苦しい。

――結衣は、仕方がないわね。

 

そう言って、わたしがすねるたびに抱きしめてくれたあの子も。

彼女がわたしの頭をなでてくれた手が、今はとても恋しい。

凍牙はわたしの前、階段終わりのコンクリートに胡坐をかいて、背を向けた状態で座っていた。

 

「櫻庭さんから、昨日起こったことは聞いた」

「あのチャラチビ」

 

口止めが必要なのは野田先輩だけじゃなかったようだ。

 

「話を聞いて、朝のお前の態度に納得した。
お前をさらった連中を、殺したくなった。――それぐらいには、心配した」

 

前を向いている凍牙の顔は見えない。

抑揚のない声も、いつも聞いているのと同じ。

それなのに、凍牙の声は頭に響いて、心に染みわたっていく。

 

「心配してくるやつは頼ればいいんだ。別にあいつらの代わりなんざ思っちゃいねえ。ただ俺はな、お前とここにいるときの空気は、壊したくない」

――それは、わたしも同じ。

 

何を話すわけでもない。ここに二人でいるだけ。

仲間といるときの騒がしさも、何かを達成する目的もないけど――。

――凍牙といるのは、楽しい。

涙は止まって、わたしはぼんやりした頭で凍牙の後姿を眺めている。

いつの間にか3限目が始まり、校舎から喧騒が消えていた。

 

「手」

 

ひとこと言って、凍牙がわたしに手の平を見せた。

顔は変わらず、前を向いたままだ。

 

「怖いか?」

 

それは、朝にわたしが手を叩いたから?

罪悪感にみまわれながらも、ゆっくりと凍牙の手にわたしの手を合わせた。

自分の心臓の鼓動は感じる。

だけど、最近では常にあった背筋に電気が流れるような感覚はしない。

合わさった手の平が、凍牙の体温をわたしに伝える。

あの男に触られたときと、全く違う。

――ああ、これが人のぬくもりだ。

 

「……怖くない」

 

考えるより先に口が動いた。

両手で凍牙の角ばった大きな手を握りしめる。

 

「怖くないよ」

 

落ち付いたはずなのに、涙腺が緩む。

凍牙の手を強く握って額に押し付け、再びわたしは泣いた。

久しぶりの人の体温が、わたしが孤独じゃないと教えてくれる。

ちゃんと話が出来るようになるまで、凍牙はその手を好きにさせてくれた。

 

 

 

続く


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