モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 皇龍編下3-5

3-5

 

 

肩の力が抜けると同時に疲れがどっと押し寄せてきた。

とりあえず、散らかった荷物から体操着のジャージを探す。

 

「マヤ!!」

 

金髪の、わたしを犯そうとした男よりもはるかに綺麗な髪をした長身の男が、マヤへと駆け寄った。

動揺と心配を隠しきれないその瞳に、ああこの人が三國翔吾かと他人事のように思った。

 

「マヤ?」

 

マヤと目線を合わせるために、三國翔吾がかがむ。

口にあてていた両手をゆっくりと胸元に下ろしたマヤは、ぱくぱくと唇を動かすのに声が出ていない。

 

「マヤ、もういいよ」

 

ジャージを拾い上げて埃を払う。

 

「ありがとう。助かったよ」

 

もう喋って大丈夫という意味合いを込めて言うと、マヤの目からひっきりなしに涙がこぼれた。

 

「あ、あああああぁぁ――!!」

 

泣き声が建物内に響き渡る。

三國翔吾はマヤを強く抱きしめた。

ジャージをはおって、前のファスナーを閉める。

床に落ちている筆記具をペンケースに入れ直し、散らばった教科書やノート、弁当袋をカバンに押し込めた。

マヤは本当に、よく頑張ったと思う。

次に自分がどうなるのかを見せつけられながらも、わたしの言いつけを守り続けた。

泣かれたり、わたしを庇う言動をされては、男たちが自分たちの有利を思い直すきっかけになってしまっただろうから。

5人の男たちは日暮先輩の指示により建物の一か所に固められていた。

皇龍の人たちに囲まれて、全員顔が真っ青だ。

トートバックに体操服と私服を入れて立ち上がる。

立ちくらみで体がふらついた。

 

「結衣ちゃん」

 

心配そうな顔で、野田先輩が歩み寄る。

この人も来ていたのか。

 

「踏切の音、していましたけど」

「……え?」

「ここって駅から近いんですか?」

「まあ、500メートルほど行ったところにあるけど」

「そうですか」

 

手に持った荷物を肩にかけて出口に向かう。

 

「ちょっ、結衣ちゃん!」

 

慌てた野田先輩がわたしに手を伸ばした。

たったそれだけのことに背筋がぞっとして、頭の血が下がっていく。

とっさに距離を取って向き合った。

 

「なんでしょうか」

 

わたしの異常に気付いたのか、野田先輩は近付こうとしない。

 

「疲れてるんです。早く帰って休みたいんです。詳細の報告は後日にしてください」

「それはいいんだけど、送るよ? タクシー呼ぶし」

「いりません。密室に知らない人と二人きりなんて、今はなりたくないです」

「だったら、俺も一緒に乗って――」

「そんなの人口密度が上がるだけで、何の解決にもならないでしょう」

――駄目だ。

口は動くのに、頭は正常じゃない。

わたしの言った言葉に、周りの皇龍の人たちが殺気立つのが分かる。

気を使っているのにその態度はなんだ、とでも言いたいのだろう。

首の後ろに電気が流れる。いらいらして、頭が痛い。

 

「……すみません。気が立ってるんです。誰でも構わず、話す人全員に喧嘩を売ってしまいそうなんです。お願いします。まっすぐ家に向かいますから、ひとりで帰してください」

 

皇龍というチームが街でどんなに憧れの対象となっていても、わたしにとっては数度話しただけの顔見知り程度の人たちだ。

マヤのように全面的に信頼して身を寄せるなんて、とてもできそうにない。

心配してくれた野田先輩には悪いと思うが、総長である日暮先輩の許可を得て、わたしはひとりで駅に向かった。

太陽は傾いて、山に沈みかかっている。

スカートにジャージという奇妙な服装のうえに頬をはらしているわたしを、道行く人が注目しないはずがない。

駅が近付くにつれ、好奇の視線は増えていく。

私服に着替える気力もなく、駅の改札をくぐる。

男の目に突き付けたシャーペンはホームのゴミ箱に捨てた。

凶器となりえたものを今後気にせず使い続けるなんて、出来るとは思えない。

女性専用車に乗り込み、混み合う車内で嘲笑に耐える。

3駅過ぎて、最寄りの駅に着いた。

電車を降りて、駅を抜ける。

まっすぐマンションには帰らず、バイト先に向かった。

 

 

 

「もう明日から来なくていいから」

 

店の裏口にさしかかったところで、ゴミ出しをしていた店長とはち合わせた。

薄暗い路地で、わたしを一瞥した店長は淡々と言った。

覚悟もしていたし予想もできたいたけど、どうしようもないやるせなさが込み上げてくる。

言い訳をしても、わたしが無断で遅刻した事実は消えない。

時給と立地の良さから、求人を出せばすぐに応募者が殺到するのは知っている。

営業に支障をきたす人間を雇い続ける理由など、この店にはないのだ。

 

「……お世話になりました」

 

頭を下げたわたしが言い終わる前に、店長は店の中へと入っていった。

重い足を動かしてマンションへ進む。

視界がぼやけて周囲の目はもはや気にならなかった。

いつ繁華街を抜けて学校を通り過ぎたのか、はっきりと覚えていない。

気がつけばマンションへと続く坂にいた。

夕焼け空が藍色に染まる時間。

最後まで坂を登り終えて見えた玄関前に人が立っているのを見て、心臓が跳ねた。

背格好からして男だと分かっただけで、背中から汗が噴き出す。

自分とは無関係なはずだと言い聞かせつつ、警戒しながらも男のいる玄関へと進む。

――そこにいたのが先回りした野田先輩だと分かったとき、思わず頭を抱えた。

いや、うん。

心配してくれているのは分かるんだけど。

過剰にわたしが反応してしまっているだけ、なのだけどさ。

緊張したところから気の抜けた落差に、足の力が抜けてしゃがみ込んだ。

 

「大丈夫?」

 

そんな弱々しい声を出されたら、責めることもできない。

 

「すみません。なんでもないです」

 

気を取り直して立ち上がる。

 

「遅かったみたいだけど」

「ゆっくり歩いていましたので。ご心配をおかけしました」

「いいよ。じゃ、総長には報告するから」

 

ひとりで帰ると駄々をこねたわたしが無事帰宅したかを確認するなんて、どんだけお人好しなんだ。

スマートフォンをいじる野田先輩を見て、思い出した。

 

「ごめんなさい。携帯電話、壊しました」

「ああ、気にしなくていいよ。結衣ちゃんが無事なら目的が達成できたようなものだし」

「弁償は?」

「古いやつだったし、買い替えが決まってたからしなくていいよ」

 

嘘か本当かの判断は付けられないが、そう言ってくれるなら助かる。

 

「――俺が嫌なら、水口を呼ぼうか?」

「いりません。必要ないですし、なに部外者巻き込もうとしてるんですか」

「でも」

「いいんです。もうここが家ですし、後はもう寝るだけです。今日のことあいつに伝えたら、本気で怒りますよ」

 

野田先輩と話した回数なんて、両手の指で数えきれるほどだけど、それだけでも十分に分かる。

この人は優しすぎる。

他人を放っておけない、人生の中で常に貧乏くじを引き続ける苦労人なのだろう。

 

「そこまでしていただかなくていいんです。そんなことより、今日の一件、皇龍ではどんな見方をしているんですか?」

 

頭を整理してからと思ったけど、目の前にこの人がいるなら今でもいい。

わたしも少しは落ち着いた。早いうちに知らせておこう。

 

「西の連中の計画的な行動、かな。繁華街で騒ぎを起こして、一時的にマヤちゃんの護りが手薄になったところを狙われたわけだし」

「……わたしの考えを、聞いてもらえますか」

 

これはそんな難しい話でも、計画性のあるものでもない。

 

「繁華街の騒ぎは、ただタイミングが重なっただけです。今回わたしとマヤが拉致されたことと、皇龍のチームは無関係です」

 

突き詰めた動機に皇龍が出てくる可能性はあっても、やつらの目的は皇龍というチームにはなかったはずだ。

 

「なに、どういうこと?」

「あの5人はマヤに恋人がいることを知らなかった。マヤは皇龍幹部の恋人としてではなく、津月マヤとして狙われたんです」

 

わたしが言ったことへの野田先輩の理解は早かった。

どこかに電話をかけて、わたしとマヤをさらった男たちが、なぜわたしたちを狙ったのかを厳重に問いただすよう命じた。

 

「結衣ちゃんとマヤちゃんって、学校以外で一緒にいたことってあったりするの?」

「いいえ。クラス内で行動を共にしているだけです」

「分かった」

 

野田先輩の目つきが変わる。

後は任せても問題ないはずだ。

わたしは、わたしのすべきことをやる。

 

「失礼します」

 

軽く頭を下げて、カードキーを取りだした。

玄関の自動ドアが開いて中に入る。

 

「おやすみ。ゆっくり休んでね」

「はい。おやすみなさい」

 

わたしがエレベーターに乗り込んで扉が閉まるまで、野田先輩は見届けてくれた。

自分の部屋に付いてドアを開けると、熱気がこもっていた。

電気をつけて、カーテンを閉める。

どんなに暑くても、窓を開ける気になれない。

換気扇を回して空気を循環させた。

脱衣所でジャージを脱いだ。

ボタンの取れたカッターシャツはゴミ箱に押し込む。

服を全部脱ぎ捨てて、シャワーを浴びた。

あの男に触れられた場所は真っ先に石鹸をつけたタオルでこすった。

皮膚が赤くなっても、止めることができなかった。

風呂場の鏡に映った、頬をはらした自分の顔に失笑する。

何度も体を洗って、脱衣所で部屋着に着替えた。

髪をドライヤーで乾かすことなく、広げたままの折りたたみベッドへと急ぐ。

 

――これ以上我慢が出来ない。

ベッドの上。

枕に顔を押し付けて、声を殺して泣いた。

辛かった。怖かった。嫌だった。

知らない男に体を好きに触られたことも。

平気な顔をして人を傷つけようとした自分自身も。

シャーペンを握りしめていた右手の感覚が消えない。

助かるためとはいえあんな状態でも笑っていられた自分が、今になって嫌になる。

マヤが羨ましい。

頼れる人がいるマヤが。誰かに支えられているマヤが。

意地を張って人の手を拒んでいるのはわたしなのに。

馬鹿みたいな矛盾。

羨ましいなんて感情を抱く自分に、どうしようもなく嫌悪する。

考えること、思うこと、感じること。

自分の置かれた状況。

取り巻く環境の全てに嫌気がさして、ただただひとりで泣き続けた。

 

 

 

我ながら便利な頭をしているものだと思う。

一通り泣いて落ち付いたときにはもう、脳は現実問題これからどうするかを考え始めていた。

時刻は夜の10時40分すぎ。

抱きしめていた枕から、涙にまみれたカバーを外して洗濯機に入れる。

はれた頬には災害時の避難袋に入っていた湿布を貼り付けた。

濡らしたタオルに保冷剤を挟んで、泣きはらした目を冷やす。

ベッドの上、壁にもたれた状態で膝を立てて座る。

頭の中を整理しよう。

拉致した5人に、心当たりはない。

やつらはマヤが皇龍幹部、三國翔吾の恋人だとは知らなかった。

わたしとマヤが無差別に拉致の対象となったとは、考えにくい。

――聞いた通り、生意気で偉そうな女だ。

あのとき男はそう言った。

誰に聞いたのか。

わたしを生意気で偉そうと見る人間は――。

 

 

蒸し暑い室内で、冷めた頭が考えをまとめる。

 

――泣き寝入りなんて、絶対しない。

 

このままじゃ、終われない。

 

 

 

続く


BACK  TOP  NEXT

Loadingこのページに「しおり」をはさむ