モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 皇龍編上2‐1

2-1

 

 

今日のバイトは18時30分からと、いつもより時間に余裕があった。
 
かといって一度家に帰ってくつろぐには、うちとバイト先の距離から考えても無理がある。なのでわたしはバイトの時間が遅い日はいつも、教室で時間を潰していた。
 
バイト先のファーストフードは駅前にあり、住んでいるアパートとバイト先を線でつないだ真ん中らへんに、ちょうどこの学校が建っている。
 
位置関係はこんな感じで、ちなみにすべて徒歩で行き来できる距離だ。
 
教室内はわたし一人だけで、物音ひとつしない。
 
三階にある教室の窓から見える空には、あいにくの雨で太陽は見えなかった。
 
ガラスに遮断された室内で雨音が聞こえないことにさみしさを感じ、自身の席を立ったのと同時。
 
ドアがスライドする音がして廊下側に顔を向けると、マヤがいた。
 
急ぎ足で飛び込むように教室に入ってきたマヤは、わたしがいることに驚いているようだった。
 
「まだ残ってたの」
 
「バイトまでの時間つぶし。そっちこそどうしたの」
 
「宿題忘れちゃって」
 
「明日すればいいのに」
 
「吉澤先生の、だから……」
 
「あー」
 
納得。
 
あの先生の宿題は授業の応用問題が主なので、無駄に時間がかかる。
 
間違ってもいいから一度は自分で考えろと言われているので、正解を写すだけでは済まされないのだ。
 
マヤは教室の後ろにある自分のロッカーの鍵を開けて、ノートを探す。
 
窓の施錠を外し、室内と外をつなげてみたが、霧のような雨は音を立てずに地面や屋根へと落ちていた。
 
「結衣は、普通だよね」
 
「――なにが、というか、どこが?」
 
肝心な部分が抜けている。
 
それにしても、「普通」なんて言われたのはいつ以来だろう。
 
記憶にない。そもそもそんなことあったっけな。
 
「わたしに対して、かな?」
 
首をかしげて苦笑するマヤに、わたしは開けられた窓を背にして向かい合う。
 
期待と不安、そして疑念の表情がマヤからは見て取れた。
 
「普通というのが大多数を意味するのなら、わたしは普通からかなり程遠い人間だと思うけど」
 
特にこのクラスの「普通」には、わたしは当てはまらない。
 
「わたしが普通だったら、マヤとこうしてしゃべることもないだろうし」
 
びくりとマヤの肩がはねて、顔がこわばる。気付けないほど鈍い人間だとでも思っていたのか。
 
このクラスは誰もが、マヤのことを特別視している。
 
女子はマヤに必要以上に関わろうとせず、男子はどこかよそよそしい。
 
吉澤先生の効果か、あからさまに避けるような生徒は今のところいないが、マヤがクラスで浮いているのは見ていてよく分かる。
 
「どうして、わたしのこと、何とも思わないの?」
 
うーん。そんな聞き方をしてくるか。
 
「何とも思ってないからだろうね。というか、今の質問はちょっと恥ずかしいよ。あえて言わせてもらうけど」
 
「……え?」
 
「『どうしてわたしのこと、何とも思わないの?』なんて誰かに言われたの、生まれて初めてだ」
 
 
3秒後、マヤの顔は耳まで真っ赤になった。
 
 
「いや、あの、その、自意識過剰とか、そういうのじゃないの」
 
「知ってるよ」
 
話が進みそうにないので、これ以上はやめておこう。
 
愛情の反対は無関心だと有名な人が言っていたけど、確かにその通りだと思う。
 
わたしはマヤを疎んじてはいないし、嫌いでもない。
 
かといって好きでもなければ興味もないので、彼女に手を差し伸べることはない。
 
マヤの言うところのわたしの「普通」は、単にマヤという生徒に対して関心がないだけだから。
 
「わ、わたしね、幼馴染がいるの」
 
あたふたとしながらも、マヤは必死にしゃべりだした。
 
若干パニックになっているのがよくわかる。
 
「昔からよく一緒に遊んで、ずっと好きだった。中学校を卒業する時に告白して、付き合おうって言ってくれたときはすごく嬉しかった。……だから、あのうわさは本当なの」
 
いろいろと打ち明けてくれているところ申し訳ないが、あのうわさの「あの」の部分をわたしはまず知らない。
 
マヤはさらに話を続けた。
 
「わたしは、ミクニショウゴさんと付き合ってるの。結衣にはちゃんと、自分の口から言っておきたくて」
 
「……ああ、そう」
 
こういうとき、どうしても必要以上に慎重になってしまう自分がいる。
 
『ありがとう、ちゃんと自分から話してくれて』
 
『そんなこと気にしないよ。マヤはマヤだから』
 
 
なんていう励ましのセリフはいくらでも思いつくが、それを言うのはどの言葉でも多かれ少なかれ自分の首を絞めることにつながってしまう。
 
こちらにそのつもりがなくても、慰めと気休めの言葉は相手に仲間意識を芽生えさせるには十分だ。
 
『だからどうした』と言うあたりが無難な対応なのだろうが、それを言うにもひとつだけ欠点がある。
 
「それって、有名な人?」
 
なにを隠そう、わたしはミクニショウゴという人物を知らない。
 
 
 
日が長くなってきたといっても、17時になれば外も陰って薄暗い。雨降りの今日はいつもより視界が悪そうだ。
 
ちょっといつもより早めに学校を出たほうがいいかな。
 
と、思考が別のところに行ってしまった。
 
前に立つマヤはなに言ってんのこの人と言いたげな目で、わたしを見ている。
 
視線が物理的な力を持っていたら、顔に穴が開きそうだ。
 
 
「そんなにすごい人なの?」
 
「え、あ、う……うん。有名だし、すごい、し。……本当に知らないの?」
 
有名と言われても、最近の時事に関しては入試以降勉強してないしなあ。
 
「ごめん。わたし今新聞取ってない」
 
「新聞なんかに載るわけないでしょ!」
 
焦って返された。
 
どうやら新聞に載るジャンルでの有名ではないらしい。
 
だとすれば、芸人か、アイドルか。
 
といってもなぁ。
 
「わたしのうち、テレビ置いてないから。芸能人とかかなり疎いからわかんないや」
 
あれ、マヤの口端がぴくぴく動いてる。これもハズレか?
 
「――っ、もう知らない!!」
 
怒ったマヤはわたしに背を向けて大股で帰って行った。
 
ミクニショウゴが芸能人でないというのは分かったけれど、これ以上わたしにどうしろと。
 
まあ、怒ったマヤを気にかける必要は今のところわたしにはないし、バイトの時間も迫っている。ひとまずこの件は置いておこう。
 
自分の中で完結させて窓を閉めて施錠を確認して、机の上に置きっぱなしだった鞄を肩にかける。
 
そうして教室を出た、ところで……。
 
黒い塊。
 
ドアの陰でうずくまる不審人物を見つけた。
 
それは一応、この学校の男子制服を着用していた。しかしこの時間に人気のない1年の教室前でしゃがみこんでいる時点でものすごく怪しい。
 
今も廊下でドアに身を寄せてうずくまり、肩を震わせている。先に出たマヤは気付かなかったのだろうか。
 
ひょっとして、具合が悪いのだろうか。だったら職員室に誰かを呼びに行くべきか。
 
なけなしの良心を働かせつつも、あまり関わりたくないので見なかったことにして通り過ぎる。
 
帰りに職員室にいる先生に声をかけるだけでいいだろう。
 
「……う、っぷ。……くくっ」
 
これは後ろからの声。
 
……あの男、笑ってやがる。
 
撤回しよう。この男にかける良心はない。むしろ本物の不審者だ。
 
階段手前にある非常ボタンを押したほうがいいかもしれない。
 
「ねぇ、本当にミクニショウゴを知らないの?」
 
不審者の呼びかけに、足を止めた。
 
振り返ると、不審者は腹に手を当てながらも立ち上がってこちらを見ていた。
 
ネクタイの色はエンジ。制服が本当に不審者本人のものなら彼は2年の先輩だ。
 
質問から不審者はわたしとマヤの会話を聞いていたのだろう。
 
ということは、マヤが帰るときにはこの男はすでにあそこでうずくまっていたことになる。
 
マヤは、気付けなかったのか?
 
ちょっとだけ心配になった。
 
「そんなに有名な人なんですか?」
 
無視して帰ろうとしなかったのは、ミクニショウゴがどんな人なのか、少しは知っておきたいと思ったからだ。
 
「んー」
 
不審者が笑みを浮かべてわたしを見る。
 
好奇の目。
 
疑いの目。
 
――わたしがミクニショウゴを知らないということを、完全に信じていない顔だ。
 
「この学校にいて、この街に住んでいるなら、知らないほうがおかしいかなーって」
 
つまりは地域密着型の人物というわけか。
 
だったら知らなくても頷ける。わたしはこの街に来て日が浅い。
 
街のことについて教えてくれるような知り合いはいないし。
 
唯一まともに話す凍牙とは、思いついたことは言い合うが世間話はあまりしない。
 
それでも、引っ越して1カ月以上たった今、街について全く知らないわけじゃない。
 
学校から10分も歩けば繁華街だし、バイト先もそこにある。
 
そこは駅からも近く、人通りも多い。
 
街で有名――、となると、思いつくのはひとつ。
 
今日みたいに遅めの出勤の日、バイト先に行く道からも見える大きな人だかりの――。
 
「駅前広場でいつも歌ってる人ですか?」
 
「ぷはっ!」
 
噴出された。
 
どうやら違うらしい。
 
不審者は再び腹を抱えて笑いだす。
 
「あいつが、……歌? ……それはない」
 
ミクニショウゴがどういう人間かという以前に、これは見ていて腹が立つ。
 
こいつは本物の不審者確定だ。
 
これ以上は相手にしたくないので、近くにあった非常ボタンを押してそのまま階段を下りて下校することした。
 
 
 
けたたましい警報音の中、焦った男の声が聞こえた気がしたが、知ったことか。
 
 
 
 
続く

 BACK  TOP  NEXT

 
 
 
 
Loadingこのページに「しおり」をはさむ