モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 皇龍編上1‐4

1-4

 

 

 ☆   ☆   ☆

 
 
四月の下旬。明日からは大型連休となる今日も俺と結衣は昼休み、第二体育館の非常階段にいた。
 
朝から小雨が降り続いており、頭上のトタン屋根から時折大きな水滴が足元のコンクリートに落ちた。
 
俺と結衣の間には、いつも会話らしいものは基本なにもない。
 
それが自然であって、無言が気まずさを生むようなこともこいつに限ってはなかった。
 
これに関しては互いに自然体でいられる距離感が同じくらいなのだろうと推測している。
 
階段の上段にいる結衣はさっきから開けた弁当には手をつけず、近くの木に張られた大きなクモの巣をじっと観察して動かない。
 
こいつがなにを考えているのかは、俺の頭では想像するのも難しい。
 
結衣の思考回路は、常に予想の斜め上をいっている。
 
 
 
俺と結衣が初めて顔を合わせたのは、中学2年の始業式だった。
 
進級によるクラス替えで同じクラスになり、初日に行われた席替えで、こいつは俺の隣に来た。
 
面と向かって言葉を交わすのはその時が初めてだったが、高瀬結衣という同級生を俺は小学校のころから知っていた。
 
というよりも、同じ学年の生徒で結衣とその仲間を知らないやつはいなかったはずだ。
 
それぐらいに、こいつらは有名だった。
 
中学2年時のクラス編成はどこかの権力が働いたのかと疑いたくなるくらいに、濃いメンバーがそろっていた。
 
結衣と、その仲間が全員同じクラスなんて、神のいたずらか誰かの策略か、どちらであっても納得してしまう。
 
そんなクラスになった初っ端の席替えだった。
 
廊下側の一番前の端二席を、俺と結衣が引き当てたのは――。
 
 
新任の担任教師(今から思えばこいつもかなりおかしな奴だった)の思いつきで、日直は俺と結衣が指名された。
 
進級して早々、教科書や配布プリントを職員室から教室に運ぶため俺たちはさんざん担任にパシリとして使われることとなる。
 
その日のいつからそう呼んだかは、はっきりと覚えていない。
 
かねてから俺が抱いていた結衣のイメージと、クラスにこいつと似た名字「逆瀬」というやつがいた手前、俺は自然と結衣のことをを「にゃんこ」と呼ぶようになっていた。今から思えば、単純なノリからくる冗談交じりのおふざけだ。
 
放課後、学級日誌を書く結衣と、提出されたプリントを名簿順に並べている俺たちだけが教室に残ったときだった。
 
「にゃんこは、やめよう」
 
結衣がいきなり、俺に向かって言いだした。
 
「いや、イメージ的にも猫だろお前」
 
「人間だし」
 
「比喩だ比喩。名字で呼んだら絶対逆瀬とダブるぞ」
 
不服そうに口を噤んだ結衣は手元のプリントを見ながらしばらく考えるしぐさをしてみせる。
 
「……うん。じゃあ、水口君は『みぃくん』でいこう」
 
なんでそうなる。
 
結衣は妙案とばかりに満足げに頷いているが、なんだその見た目も印象も総無視された命名は。
 
俺に対してそのあだ名はかなり痛い。
 
怒りを忘れて絶句する俺に、結衣はにやりと笑った。
 
「このクラスにはイナウチ君と、ミゾグチさんがいるからね。
滑舌の悪い先生がいたら、ミナクチ君とごっちゃになってしまうかもしれないし」
 
 
こじ付けが強引すぎる。
 
なにから言っていいのか迷った末になにも言えない俺を置いて、心情を悟った結衣は人の悪そうな笑みを浮かべさらりと続けた。
 
「ようこそ、ネーミングにゃんこの世界へ」
 
 
脳みそが一瞬、考えるのを止めた気がした。
 
こいつは何が言いたいのか、それすら理解が追い付こうとしない。
 
仲間か。強制的に俺もお前と同種のカテゴリに引き連れようとしているのか。
 
だったとしても、本当に、なんでそんな呼び方になるんだ。
 
それにしても、何なんだこの敗北感は。そもそも勝負も喧嘩もしていないはずだぞ俺たちは。
 
怒りが全く湧いてこないのは、俺の心の葛藤にこいつが全く興味を示さなかったからだ。
 
とにかくここは、俺が折れる以外に道はなさそうだ。
 
 
「――結衣。これでいいんだろ」
 
「うん。じゃあわたしも凍牙って呼ぶ」
 
そう言って席をたった結衣は、カバンと学級日誌を持って俺のいる教卓へと近づいた。
 
「出しとく。また明日」
 
俺が並べ終えたプリントをさりげなく奪って、そいつは廊下へと消えた。
 
 
次の日から、結衣は宣言通りに俺を「凍牙」と呼んだ。
 
それはすぐに結衣の仲間に伝染し、果てにはクラス中が俺を名前で呼ぶようになっていった。
 
俺は容姿のせいで、女子から一定の人気があった。
 
特別誰ともつるまない俺を名前で呼べるということは、女子にとっての一種のステータスとして扱われていたことは知っている。
 
だが、それもこの時までとなった。
 
俺の名前に、どこかの女子が勝手につけていた価値を、結衣はいとも簡単に消し去ってみせたのだ。
 
今から思うと、あの時こいつを「結衣」と呼んでいなかったら、おぞましい未来が待っていたのだろう。
 
絶対にこいつは、俺を「みぃくん」のあだ名でクラス中に浸透させたはずだ。
 
意地を張らずに早々に折れておいて本当によかったと今なら思える。
 
 
中学2年の一年間は、俺にとって学校生活の中で最も過ごしやすい時間たっだ。
 
誰ともつるまない俺を、クラス全体が「そういうやつ」として認めていた。
 
決してひとりでいる俺を特別視することもなく、過剰に気を使ってくるやつもいない。
 
俺という存在を、クラスが自然に受け入れていた。
 
むろん結衣とその仲間が、俺に対してどこまでも普通だったことが影響していたのは言うまでもない事実だ。
 
だからだろう。
 
俺は授業をさぼることはあっても、あの時学校自体を休むことはほとんどなかった。
 
 
中学3年進級時のクラス替えで、結衣とは別のクラスになった。
 
結衣とその仲間も、クラスは散り散りになったようで、俺はまたひとりになり、自然と呼び名は「水口」に戻っていった。
 
クラスの中心にいる女子が周りに見せつけるように俺を「凍牙」と呼ぶのがうっとうしく、そこから俺は次第に学校をさぼるようになっていく。
 
そんなつまらない生活を続けていた時だった。
 
3年も終わりにさしかかった冬、結衣に関するあるうわさが学校中を駆け巡ったのだ。
 
くだらないと思ったが、クラスにいた結衣の仲間の暗い顔を見て、こいつらが仲違いをしたのは本当なのだと分かった。
 
だからといって、俺は何かを心配することもない。
 
こいつらだって喧嘩もする。
 
そのたびに仲直りをして元に戻る様を、今までに何度も見てきた。
 
ゆえに今回も、すぐにこいつらはちゃんともとに戻れると、たかをくくっていたんだ。
 
 
――だから。
 
高校受験の会場で、結衣の後姿を見たとき、こいつとこいつの仲間を殴りたい気分になったのを確かに覚えている。
 
明らかに通学圏内から外れた学校を受験するこいつは、俺に気付くことなく試験を終えた。
 
お前は、ここじゃないだろ。
 
いるべき場所があるだろう。
 
――仲間が、いるだろう――と。
 
言ってやったところで、もう遅いのだとは分かっていた。
 
試験の日に、俺が結衣に声をかけることはなかった。
 
同校を受験した自身の存在を不用意に結衣に知られて、もしもこいつが本当に誰も、俺すらも知らないどこかへ行ってしまったら――。
 
それが何よりも怖かった。
 
 
 
 
校舎から聞こえた予鈴に、結衣が弁当を片付け出した。
 
高校生になったこいつはさぼることなくまじめに授業を受けているようだ。
 
「じゃあね」
 
「ああ」
 
横を通り過ぎる時に軽く俺を見ただけで、結衣は傘をささずに小雨の中を走りだす。
 
不思議な関係だとは思う。
 
友達のような親密さも、ましてや恋人のような甘さもない。
 
人気のない場所で決まった時間を二人で過ごす。
 
それだけの仲だ。
 
毎日のように昼にはここに来る結衣。
 
その様子から、仲の良い女友達はいないのかと想像する。
 
あいつはクラスでうまくやれているのかと、がらにもなく心配している自分を俺は自覚している。
 
 
 
そして、この学校には結衣にとっての居場所がここしかない――。
 
そんな事実に、少なからず満足感を抱いている自分がいるのもまた、俺はしっかりと自覚していた。
 
 
 
   ☆   ☆   ☆
 
 
 
 
続く

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