モノトーンの黒猫

モノトーンの黒猫 皇龍編上1‐1

1-1

 

 
入学式は滞りなく、予定された時刻をもって終了した。
 
真新しい制服に身を包んだ新入生は体育館から退場し、それぞれの教室へと足を運ぶ。
 
中学校が同じだったのか。見知った顔を見つけた生徒たちが上機嫌にはしゃぐ姿が廊下では目立った。
 
つられるように、そして焦るように、教室中で席が近い者同士がぎこちないながらもおしゃべりに興じている。
 
担任の先生が来るまでの教室は、騒がしくもどこか緊張感が張り詰めた、もどかしい空気が漂っていた。
 
 
 
名簿順ですでに決まっていたわたしの席は、中央列の一番後ろだった。
 
アタリかハズレかで考えると、正直ハズレに近い席だろう。背の高い教師にとって、ここはもっとも目につきやすい位置になる。
 
『灯台下暗しとも言うが、なんだかんだで教師に近い前の席のほうが眠っていても分かりづらい』
 
中学校の先生がそんなことを言っていたのを覚えている。
 
この席の位置だと教壇に立つ教師にばれずに睡眠をとる難易度が上がってしまう。非常に厄介だ。
 
できれば早々に席替えをしたい。
 
担任の先生となる人の人柄次第では、適当な理由をつけて打診してみるのもいいかもしれない、と。
 
そんな甘いことを考えていられたのは、担任が教室に入ってくるまでだった――。
 
 
 
 
どうしよう。
 
ホームルームのさなか、入学して3時間足らずでこの学校に来たことを後悔しかけてる自分がいる。
 
「高瀬 結衣です。よろしくお願いします」
 
できるだけ声音に抑揚が出ないように努めて言い放ち、自分の椅子に着席した。
 
わたしの自己紹介が終わると、前の席の人が立ち上がり名乗りだす。
 
入学式が終わって高校初となるホームルームは、定番ともいえる自己紹介から始まった。
 
ここまではいい。一度にクラスメイトの顔と名前は覚えられなくても、初対面の人間がそろったら必要なことだとわかっている。
 
だけど、これは。
 
代わる代わる発言していくクラスメイト。各々の名前とその他、趣味、特技などを聞きながら早くも心が折れそうだ。
 
このクラスの自己紹介は、明らかにおかしい。
 
後ろの席で、ぼんやりと起立して名乗りだす生徒を眺める。順番に起立していく生徒の誰一人として容姿を拝めない事態に、戸惑いがこみ上げるのは無理がないはずだ。
 
なんで一番前のこが、後ろを向かずに先生のほう見て自己紹介してるのさ。
 
趣味はお菓子作りって、かわいらしく言ってるけどクラスメイトには顔が全く見えてないよ。
 
次の男子も「喧嘩はこれからもっと強くなります」って、なに爆弾発言担任にかましてやがる。
 
教師に対する牽制か。
 
にしては嬉しそうなうえ低姿勢だねおい。
 
この異常事態に担任――さっき吉澤と名乗っていた――は気付いているはずだ。
 
なのに当の本人は前方窓側に置かれた教員用机で、背もたれに上半身を預けてくつろぎつつ、我関せずという体で何かの資料に目をやっている。
 
……注意しようよ。とこのクラスで担任に呆れているのは自分だけじゃないと信じたかった。
 
呆れたついでに担任を観察してみる。
 
クラスのほとんどの視線が先生のところにあるのだから、わたしのがひとつ増えたところでなにも変わらないだろう。
 
年齢は知らないが、まだ若いこのクラスの担任は吉澤という。
 
名前は名乗らなかったので不明だ。
 
顔立ちは整っているが、吊り上がった鋭い目にはとっつきにくそうな印象があった。
 
茶色の髪をワックスで遊ばせ、入学式のためダークグレーのスーツを着用。
 
若さと容姿とオーラが完全に夜の街を連想させている。吉澤先生は、そんなアウトローな雰囲気を持ったひとだった。
 
女子が色めき立つのはわかる気がする。
 
ただこのふんぞり返った態度と生徒に対する関心のなさは、教師としてどうなのかと思わざるを得ない。
 
クラス全員の自己紹介が終わると、吉澤先生は教壇に上がった。
 
「さっきも言ったが、担任の吉澤だ。教科は数学。このクラスも俺が担当する」
 
教卓に手をつき話し始めた先生の言葉を一語一句聞き逃すまいと、みんな真剣に耳を傾けているのがわたしの席からはよくわかった。
 
「いいか、俺が担任になったからには数学の赤点だけは絶対に取るな」
 
そこは『取らせない』じゃないのか。
 
先生もうちょっと頑張ろうよ。
 
とは心の中で突っ込んだ。
 
「あと、問題行動なんざ論外だ。クラス内だけじゃねぇぞ。
学校の目の届くところでなにかやらかしてみろ。その時は2年に進級できると思うな」
 
……あなたのそれは問題発言じゃないのか。
 
っていうか学校の目がなかったら、なにしてもいいと。
 
クラスの空気は完全に先生が支配していた。
 
明らかな独裁に生徒は誰も反論しない。
 
ちょっとやんちゃそうな茶髪、金髪の男子がこのクラスには何人かいるけど、彼らですら姿勢を正して先生に向かっている。
 
というよりも、普通の黒髪男子よりも後姿が緊張しているのは気のせいか?
 
頬杖をついてクラスを観察しているわたしをよそに、先生は話を進めていく。
 
「コウリュウに属そうがそうでなかろうが、俺は生徒を特別視する気は全くない。
就業時間中は誰であっても対等に扱う。だから――」
 
…………うん?
 
途切れた言葉にいやな予感がして前を向くと、するどい視線でこっちを睨んでいる先生と思いっきり目があった。
 
「――たとえ地味であろうが、普段は普通で大人しい生徒であろうが基本真面目であったとしてもだ。
くれぐれも変な気を起しておかしなことをしてくれるな」
 
先生は言うだけ言って、目をそらした。
 
こちらは蛇に睨まれたカエル状態だった。
 
おいおい今のはなんだ。
 
見立てだが、身長180センチを超える先生が一番後ろの席にいるわたしを見て発言しても、クラスには全員に向けて言ったように思えただろう。
 
だけどあれは、先生が意図的個別の対象者へ向けて放ったメッセージだ。
 
……だからこの席は嫌なんだ。
 
自意識過剰?
 
だったらどれだけよかったか。
 
この手の意思疎通をわたしは逃さない自信がある。
 
そして、先生がわたしに向かって言ったあの言葉にも――。
 
心当たりがありすぎる。
 
「学校の詳しいことは明日のオリエンテーションで説明する。以上、解散」
 
心の中で冷や汗を流しまくっているわたしをよそに、先生は何事もなかったかのように去って行った。
 
先生がいなくなっても、教室は静まり返ったままだった。
 
誰も席を立とうともしない。
 
「……かっこいい」
 
女子生徒の小さなつぶやきは、クラス全体に聞こえた。
 
この一言を皮切りに、教室の時間は進みだす。
 
「すっごくラッキーなんだけど。あの吉澤先生が担任なんてっ」
 
「すんげーキンチョーした。あの人をこんな間近で見れるなんて夢みたいだ」
 
「すごいよねー。話で聞いてた6倍はカッコイイ」
 
「ねっ、ねぇ。最後の普通の生徒も問題起すなって、あたしらに向かって言ったんだよね」
 
「うん。一般の生徒にも気にかけてくれるって、聞いてた以上にめちゃくちゃ優しいじゃん」
 
笑顔で喜々とはしゃぐ周りについていけない。
 
「あの」吉澤先生がどの吉澤先生かを知らないわたしは、完全にクラスからおいてけぼりをくらっていた。
 
みんなにとって「吉澤先生」は、今日会って今知った人ではないらしい。
 
かといって興奮するクラスメイトに水を差してまで、先生のことを知りたいとは思わない。
 
騒がしいクラスからかばんを持ってひとりで廊下へ出た。
 
バイトの時間が迫っているので、昇降口へ急ぐ。
 
学校という小さな社会を平穏に過ごすには、もっとも身近な教員――つまり、担任――を味方につけるのが近道と思っていたが、考えを改めるべきだろう。
 
生徒からの人気もさることながら性格的にも難がある吉澤先生を味方になんてしたら、その日から平穏なんて木端微塵だ。
 
できることなら、高校生活の3年間は無難に過ごしたい。
 
 
楽しくなくていい。
 
二度と同じ轍は踏まない。
 
それさえ守ることができれば、どうだっていいのだ。
 
 
 
 
続く 

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